マリリンさんはなぜ、数学者になれなかったか(芸術的才能のないスプツニ子!は可能か)から考える、発達障碍児と飛び級制度

意味を与えるのは、何かー存在と光

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時代が下ればスプツニ子!になっていたか。
しかし、芸術的才能のないスプツニ子!は可能か。
マリリンさんは、映画の良さがわからない。

sputniko.com

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マン・レイデュシャンが好きなスプツニ子!と赤木じゃ、そら合わんわね。

はみだす力 (宝島SUGOI文庫)

はみだす力 (宝島SUGOI文庫)

 

 ちなみに、

はみだすチカラ! 日大芸術学部

はみだすチカラ! 日大芸術学部

 

 


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冒頭の、女性と手首の写真が格好良い。ソラリズムという反転させる技法を使っているらしい。雪だるまを撮影したら、幻想的になりそうだな、できるかな。

茂木の言っていることなんて、まったくくだらないが。

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「習っていない」のか「聞いていない」のか「読んでいない」のか、わからないじゃない。そんなもんいちいち気にすることがおかしいって、いつ気づくんだよ。
例えば、ネットで、算数の割り算の問題が技術者に解けないって、あったけれど、あれも「特殊(制限)ルール」の問題でしょ。社会的にはそういうことは「ありうる」んであってね、「それしか見ていない」からだよ。

 

markovproperty.hatenadiary.com

 「それぞれ」の問題でもそうだけれど、おそらく〇と×しかないのが困惑の原因で(なぜなら、義務教育の目的からも、そもそも「算数」が、社会と隣接して国語や社会的実務の、鵺的な性格を持っているからで、都合の良いほうに解釈する裁量を権力側は持っている。※)△は(以前は認められた時期もあったが、今は廃絶したのか)「保留」であるとか「注意」とかの、それらに代わるものを導入してもいいと思う。

※これに加えて、算数と算数教育は異ならざるを得ない、上記でも述べたように、教育の道程と認知の発達途上から生じる鵺性を必然的に持っている。技術(方法)を身に付けさせるべきか、能力を涵養すべきか、という問題でもある(これらが排反であるとは限らない)。

なお、茂木は論評するに値しない。