意味を与えるのは、何かー存在と光
時代が下ればスプツニ子!になっていたか。
しかし、芸術的才能のないスプツニ子!は可能か。
マリリンさんは、映画の良さがわからない。
マン・レイとデュシャンが好きなスプツニ子!と赤木じゃ、そら合わんわね。
ちなみに、
冒頭の、女性と手首の写真が格好良い。ソラリズムという反転させる技法を使っているらしい。雪だるまを撮影したら、幻想的になりそうだな、できるかな。
茂木の言っていることなんて、まったくくだらないが。
1.7+0.3=2.0問題について、本人にさらに聞いたところ、筆算で1.7+0.3=2.0と計算式を書いたのはいいが、解答欄に書くときに2.0と書いたのが❌だということでした。同様の問題で4ヶ所バツになって本人はそんなこと習ってない、と怒っています。ますます意味がわからない。
— 夏野 剛 Takeshi Natsuno (@tnatsu) 2016年11月20日
本当ですか?!
— 夏野 剛 Takeshi Natsuno (@tnatsu) 2016年11月20日
RT @GansaLee: @kenichiromogi @tnatsu たしかに算数では2.0のときは.0は記述しないものだから、それを間違いとしなければ、算数においてのルールを誤って生徒が覚えてしまうので、間違いとしても当然ではないかと思います。
「習っていない」のか「聞いていない」のか「読んでいない」のか、わからないじゃない。そんなもんいちいち気にすることがおかしいって、いつ気づくんだよ。
例えば、ネットで、算数の割り算の問題が技術者に解けないって、あったけれど、あれも「特殊(制限)ルール」の問題でしょ。社会的にはそういうことは「ありうる」んであってね、「それしか見ていない」からだよ。
markovproperty.hatenadiary.com
「それぞれ」の問題でもそうだけれど、おそらく〇と×しかないのが困惑の原因で(なぜなら、義務教育の目的からも、そもそも「算数」が、社会と隣接して国語や社会的実務の、鵺的な性格を持っているからで、都合の良いほうに解釈する裁量を権力側は持っている。※)△は(以前は認められた時期もあったが、今は廃絶したのか)「保留」であるとか「注意」とかの、それらに代わるものを導入してもいいと思う。
※これに加えて、算数と算数教育は異ならざるを得ない、上記でも述べたように、教育の道程と認知の発達途上から生じる鵺性を必然的に持っている。技術(方法)を身に付けさせるべきか、能力を涵養すべきか、という問題でもある(これらが排反であるとは限らない)。
なお、茂木は論評するに値しない。