国民主権 - Wikipedia
適当に簡潔にまとまっていてよい。
何に、気づかなければならないか。ー「契機」
「契機」とは、「顕在化」の断片のこと。
つまり、主権論とは、直截には、主権は抽象(的)か具象(的)かで争っていたのだが、潜在と顕在と言い換えることもでき、それが「契機」で接している、ということなのである。
だから、単に、「プープル主権」「ナシオン主権」と呼び習わしてもどれほどの意味があるのか(丸山の「議論」などと云うのは、、、ま、いっか。)、今、顕在している有権者の直接の命令が認められるのか、それとも制限を受けるとして、(それを括弧に入れて)「今、顕在している有権者」とは、憲法秩序上、何を意味するのか、ということである。つまり、「国民」という、或る全体を指す概念の一部であり、しかし、それに内在する権能を、それを代表して実際に行使する△△△であり、顕在化の断片であるとは、契機を以て現れる存在である、ということである。例えば、憲法9条の、具体的妥当性の欠如が憲法意味の充足の 国民の本来的に有する理性的判断により確認されるとき、現に存在する、もしくは近い将来の国民の危機として表れているはずである、ということであり、ここでは、現存在の国民、すなわち、国民の全体の一部の欠如は、全体乃至全体性に関わることであるから、係る国民においては、主権の行使を許される。すなわち、憲法を改正する権利を行使してよい。
もちろん、「官僚主権」などということは、憲法を理解するとき、冗談にも出てくることのない言葉である。つまり、憲法とは無関係の言葉であり、したがって、「主権」とされることがナンセンスである。目についた事実を過度に評価して、妄想に結び付けているだけである。逆に、クーデタ或いは革命が、憲法秩序が所詮はロジックに表現されることと理解するならば、或る暴力行為に限定されることがないことが理解でき、或る暴力行為に限定するのは、やはり目についた事実を過度に評価する、反科学的な、「素朴帰納主義者」の仕儀である。
こういったことを十分に理解するには、キリスト教において展開されてきた議論を理解するのが、迂回のようでいて、正統であると思う。
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「存在の一義性」とは。ードゥンス・スコトゥス
さてさて。村上春樹の知性で、どこまで「ニュアンス」に迫れるか、或いはいつものように、それを放棄したままで済ますか。
結局、主権論とは、普遍論争に還る。弁神論を著したライプニッツは、どのようにしてモナドのアイデアを得たか。主権も人権もともに「モナド」でありながら、対立するとき、どのように調和を図るか。歴史的には、国家が、具体的個人による認識の名に過ぎないのであれば、国際的権威たる神聖ローマ帝国の政治介入を妨げることはできない。それは、それ自身以外の構成的な由来を持たず、それ自身を単独の根拠として止揚して存在する「何か」でなければならない。要するに、国とは、国であるから国である、以上の存在ではない、としなければならなかった。人権という普遍思想を通じて、国際主義を国家にどの程度侵入させるかの、今日の闘争にも受け継がれているし、また、国家主義に対しては本来価値中立なはずの、家族条項における誤信にも受け継がれている。
【法リテラシーの判断の観点】
・「書いてある」ー論外
・「憲法は権力を縛る」ー「書いてある」より多少マシ(ただし、実は、「教科書に書いてある」以上のことは云っていないため、(高校生ならまだしも)学部生の理解としては未熟ーもちろん、大部分が、このレベルがせいぜいなのが現実であり、それをことさらに責めても仕方がない)、資格試験における短答式問題のためのアンチョコレベル
・「天賦人権」ー上に同じ(かそれ以下)
・「芦部ガー」ー上に同じ。他に「丸山ガー」とか、「マルクスガー」がある