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そう、実は、戦後の「戦争観」は、東京のエリート社会(エリートと対抗エリート)の問題だった、ということ(今、気づいたが、いまだに「東京都」と言わずに、「東京」とごく自然に言ってしまっている。「大阪」「京都」「神奈川」。北海道は「北海道」だけれど。また、中国は「中国」で、(戦前を含め)「中華」だったか「支那」だったか 支那 - Wikipedia中華 - Wikipedia。行政区画と理念を排除して位置を代替的に言及することの伝統の一概には言えない様子)。


時間的には、過去と未来の問題があって、一つは原爆、一つは朝鮮戦争(と、或いは「もう一つ」、ベトナム戦争。日本人から見た場合、一連のこと、さもなければ、流れ、と見てよいと思っている。)、空間的には、各地方と東京、欧米と日本、東アジアと日本の問題があった。つまり、戦争観なんて、本当は一様じゃない。
どこで文脈を切るかは、まさに古来から政治の役割で、それはエリートの専任とされてきたんだ。

{江戸の、社会階層ごとの言葉。概念統一と統一言語と近代国家の誕生}

ところが日本の特殊なところは、エリート(の織り成す、「下品」な政治。ただし、それはそれで必要。)から超越したところに、天皇陛下がいて、前回のフィリピン、今回のベトナム訪問は意義深く、感謝すべきことだと思っている(古来から理想とされている、二元的な社会が、ごく自然な形で実現されている)。

 
画のシンボル効果と昂進される意図

『投稿者 kamekurasan トップ50レビュアー 投稿日 2016/11/5
疾患の教育において、写真というのは意外と使いにくいものである。
都合良く病気の特徴が全部そろっている写真はなかなか撮れないし、もしそのような写真があったとしても、プライバシーが重視される現代では、それを出版して公の目にさらそうなどとすればなおのこと難しくなる。
絵であればそのような配慮の必要は弱くなり、また特徴的な所見のみを残して記載することにより、教育的な効果を強めることが期待できる。』

描かれた病:疾病および芸術としての医学挿画

描かれた病:疾病および芸術としての医学挿画

 

 


ようやくこういったことが公に言えるようになった、なってきたんだな。
しかし、それは一面で、「バックラッシュ」が激しく見える時期(相対化され、自由を得るから。)とも言えるか。