デカルトとシェイクスピア

デカルトは、中動態で、能動を説明しようとしたらしい。 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

 

 
デカルトをどう評価するか、というのは、哲学上の意味あるトピックであって。
中世の神学者に比べると、子どもと大人、という評価もある。

針の上で天使は何人踊れるか―幻想と理性の中世・ルネサンス

針の上で天使は何人踊れるか―幻想と理性の中世・ルネサンス

 

ただし、デカルトは、フランス語で書かれた哲学書を最初に著した人物であるということも、忘れてはならない。
デカルトシェイクスピアに近い仕事をしたのではないかと思っていて、しかし、シェイクスピアに劣ることがあるとすれば、新しい言語ー語彙の創造であるだろうと思う。英語自体を作る過程と既にある仏語で哲学概念を整理することの違いに成るのだろうか。デカルトデカルト座標を作ったことから思うに、分析的な知性の働きをする人だったのだろうか。整理は得意であるが、創造は苦手だったのだろうか。
デカルトという哲学者はそういう哲学者であると思う。フランスが哲学の後進国であった時代の人である。

磁力と重力の発見〈3〉近代の始まり

磁力と重力の発見〈3〉近代の始まり

 

グノーシス主義者にして錬金術ニュートンを補助線としておくと。なぜ、ニュートンは、引力/斥力に関して、「魔術」を復活させることができた、、、、、、、、、のか。統合的知性の、未知への蛮勇或いは無頓着、を考えると、興味深い。同じように数学者であるけれども、デカルトにはできなかった(ただし、数学論争でいうと、量子力学における、シュレディンガーに至るまでのアプローチに関する論争もあるので、寛容であってよいかもしれない)。

 

先生も知らない世界史 (日経プレミアシリーズ)

先生も知らない世界史 (日経プレミアシリーズ)

 

これは非常に面白いのであるが、社団/財団の発生機序に興味のある自分としては、
アメリカの外交方針の変遷について、👇と併せて読み込むと、一層面白いと思う。

agora-web.jp

要は、行為羈束である、法と帳簿(或いは、行為価値と結果価値)をどう利用するか、という話である。
尚、インターネットの軍事技術転用説は、すでに反論されているのではなかったか。