楕円の軌跡の中心との外分点を考えた時に、カッシーニの卵形線 - Wikipediaのカッシーニ一族を知った。(ちなみに、内分点,外分点の公式と証明 | 高校数学の美しい物語)
ムッシュ・ド・パリを世襲で出したサンソン家と並行に生きた。
ムッシュ・ド・パリ - Wikipedia
シャルル・サンソン・ド・ロンヴァル
Charles Sanson de Longva(1635年 - 1707年)
シャルル・サンソン
Charles Sanson(1681年 - 1726年9月25日)
シャルル=ジャン・バティスト・サンソン
Charles Jean Baptiste Sanson(1719年 - 1788年)
シャルル=アンリ・サンソン
Charles-Henri Sanson(1739年2月15日 - 1806年7月4日)
アンリ・サンソン
Henri Sanson(1767年 - 1840年)
アンリ=クレマン・サンソン
Henry-Clément Sanson(1799年5月27日 - 1889年1月25日)
他に、「王宮及びフランス大裁判所の判決及び宣告の執行者」ニコラ=シャルル・ガブリエル・サンソン(Nicolas Charles Gabriel Sanson、1721年 - 1795年)などもいる。
サンソン家 - Wikipedia
ジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニ/ジャン=ドミニク・カッシーニ
伊: Giovanni Domenico Cassini(1625年6月8日 - 1712年9月14日)
ジャック・カッシーニ
Jacques Cassini(1677年2月18日 - 1756年4月8日)
セザール=フランソワ・カッシーニ,カッシーニ・ド・チュリー
César-François Cassini de Thury (17 June 1714 – 4 September 1784),
ジャン=ドミニク・カッシーニ,コント・ド・カッシーニ
Jean-Dominique, comte de Cassini (30 June 1748 – 18 October 1845)
アンリ・カッシーニ,アレクサンドル・アンリ・ガブリエル・ド・カッシーニ
Alexandre Henri Gabriel de Cassini (May 9, 1781 – April 23, 1832)
Des villages Cassini ... - Dossier "CASSINI"
神話的パリークロノトポス的中心:パリ・ロワイヤル(1),加倉井仁.pdf
→クロノトポスについて(バフチン)http://www.geocities.jp/runomi1953/pdf8.pdf
一方で、隠されるマルキ・ド・サド - Wikipedia
ベルサイユの薔薇とイノサン
そのうち、宝塚で上演されるだろうか。
フランス人の名前はややこしい。
フランス革命の理性を以てしても、名前を「断頭」することはできなんだか。
👇フランスの「市民籍」と住所(ちなみに、住所と本籍地は違う)
籍制度のない国ではどのように、個人情報を管理しているのでしょうか? - ... - Yahoo!知恵袋
👇ココの嘘と市民籍
ココ・アヴァン・シャネル 上―愛とファッションの革命児 (ハヤカワ文庫 NF 350) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
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👇日本の場合
戸籍を移す手続き(転籍届)
(以下、特にリンク先の記述がない場合、Wikipedia)
腕木通信 - Wikipedia
ナポレオン1世が腕木通信を積極的に活用したのは有名らしく、当時の高層建築のパリ天文台に設置されたのではないか、と勝手なイメージを描いていたが。どうも違っていて、ルーヴル宮殿の方だったのだが、腕木通信に興味を持ち自作もしていたレオン・フーコーが後に天文台で偉大な実験をしていたことを知った。
フーコーの肖像と南半球における振り子の動作
(フーコーの振り子 - Wikipedia)
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👇「百科引用大小説」(邦訳版の帯より)フーコーの振り子 (小説) - Wikipedia
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クロード・シャップが腕木通信を発明したのが、1793年で、シャルル=アンリが、ムッシュ・ド・パリになったのが1778年、最初のギロチンに依る死刑が行われたのが1792年(ただし、『ギロチンのような断首装置の原型は13世紀のヨーロッパにはすでに存在した』-Wikipedia『ギロチン』)。ちなみに、サンソンは医者もしており、職業柄正規の教育を受けられなかったため、独自の観察とそこで得られた知見に基づいていたが、却って観念的ではなく比較的
イタリアの地中海貿易が船舶料の高騰で衰退し、ヨーロッパの覇権が大陸の雄フランスに移ったのはいつだったか。最も古い大学のボローニャ大学を出たジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニが、新しい大学のパリ天文台でジャン=ドミニク・カッシーニになった頃だったのだろうか。フーコーが天文台の台長の補助技師として活動したのは、ナポレオン三世とパリ万国博覧会の時代である。18世紀に広く読まれたという『歴史批評辞典』をピエール・ベール が著したのが1696年、イーフレイム・チェンバーズ が、『百科全書』の先駆けとなる、『サイクロペディア、または諸芸諸学の百科事典』を出版したのが1728年、その世界最初の百科事典と呼ばれる書物を
フンボルトのベルリン大学が設置されたのが1810年である。知識人の集まり、百科全書派は瓦解したが、総合大学は国家の礎として発展した(ちなみに、定礎の意味☞建物の壁に付いてる定礎の意味!由来や中身を解説! | ニュースと共に生きる)。しかし、一方で、パリは、パサージュを造った。パリのパサージュは、ルーブル宮殿に隣設する、パレ・ロワイヤルに原型がある。資産運用、及び消費と市民化の資金循環の話である。ドイツ人とフランス人は文化的親戚のくせに、見た目がずいぶんと違う。「アメリカ・システム」の父、国家資本主義者、アレクサンダー・ハミルトンが大統領宛に意見書「国立銀行設立に関する法律の合憲性」を提出したのが1791年である。その後、重商主義イギリスと保護関税のビスマルク・ドイツの対立を生むのだから。彼らの後継である、大日本帝国と大日本帝国憲法は、実はラディカルで、
憲法がconstitutionであるとの指摘は至当であるが、記号論に到達していないとすれば、意味がない。それは、レビューにあった、美濃部達吉「日本国憲法原論」を持ち出し違和感を述べても、どっちもどっちである。
最初の国内博覧会がパリで開かれたのが1798年、最初の国際博覧会、ロンドン万国博覧会が1851年にアルバート公によって(コラム 1850年以前の博覧会 | 第1部 1900年までに開催された博覧会 | 博覧会―近代技術の展示場)。
国家の博覧会は、一方でオリンピック・メディアによって消費を喚起し、一方で「部活」によって産業社会を回す。
渦動説 - Wikipedia
デカルトとカッシーニはアリストテレス式の世界観で渦動説を唱えて失敗したが、フーコーは過電流を発見した。
👇パリの工芸技術博物館でフーコーの振り子を見られるらしい。
工芸技術博物館
👇日本の都立永福高等学校には、あったらしい。
フーコー振り子
http://pendule.a.la9.jp/%20html031125/
高校に設置する様子の記録写真も掲載されており、非常に興味深い。
フーコーの振り子のアイデア自体は誰でも思いつくと思う。でも、なぜ、世界中の振り子でその現象が発見されていないのか、と思うと、思い付きを放棄してしまうのではないのか。つまり、よくある思い付きの一つで、いちいち気にしていられないのである。しかし、そこには、技術力の問題があったのではないか、と思う。
ガリレオの振り子の話を幼少の頃兄からはじめて聞いたときに、不思議に思った点の2点のうちの一つである(自転、公転のことはすでに聞いていた)。なぜ、平行線上を辿るのか。もう1点は、本当に等時性なら、なぜ、振り子は止まるのか(同じ位置に常に戻ってこないのか)。子どもとは、そういうものである。
👇ちなみに、ピサの大聖堂では、ガリレオの振り子のランプを見られるらしい。