VALU & SPORTS ❻              Lennon-McCartneyは合理的か

 

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もっと厳密に言えば(他の事業形態に比べて)
レノン=マッカートニー - Wikipedia
は合理的か。

以前、二人きりのねずみ講を考えたことがある。
「時間利益」と「取引コスト」だろうと思った。一種の事業体効果である。
Krugman: Baby Sitting the Economy
👆供給能力の上限は決まっており、クーポン化はただの需要の制限にほかならず、制限したうえで制限を解除するだから※、この取り組みに意味があるとしたら、何だろう?
ー事業体化する利得(メリット)とは
情報の非対称の問題としてマッチングのアルゴリズムを向上させると、どの程度解消できるかー追加出資はどのように活用すべきか
※「申し出を断れない」という約束を共同体内で結んだ場合と異なるとしたら、何だろう。クーポンを持っていても申し出を断れるのだとしたら(マッチングの失敗)、クーポンを持つ意味は、共同体内の取引の公平の担保(公平の程度での需要の制限)と、クーポンは自己の異時間間の取引と同等で「時間利益」(要素時間の一次結合性と単位時間の投資価値の分離ー時間は一様に伸びるが、それぞれの時間の使用は一様ではなく、それによる便益は異なる)であるから、自己消費時間の制限である。しかし、実際の需要は公平に発現するわけではないから、機会提供の公平にとどまる。結局、資産化による、「貨幣錯覚」を含むのではないか。

持ち株(同額の相互の株式を交換すること)によるコミュニティー形成で、仮に相互の取引における額面上の利益が当初は見込めないとしても、コミュニティ形成の動機、利得(メリット)はあるか。

👇世の中にはこういうゲームもあるのか。勉強になる。

www.gamecity.ne.jp

投資動機とは物語形成による再帰的意味づけだろうと思ったからだ。

PTA脱退に関する言い分を聞いて。
国家に依る強制と同調圧力(国家以外による、事実上の強制を含む。)を分けたうえで、憲法の第三者効力に言及し、
「民主主義から市民は逃れられるか」
と問いかけてみた。すなわち、PTAは「参加型民主主義」に基づいていると述べたのである。
労働をプールしてサービスを提供する、理想的な社団型任意団体(権利能力無き社団)と金銭資産をプールしてサービスを提供する、理想的な財団型任意団体(権利能力無き財団)あると仮定すると、行為に価値を置く理想的な社団型は、主観的な責任主義を採り抑圧に陥り、資産(財産処分)に価値を置く理想的な財団型は、額面表示的な権利請求による搾取に陥るのではないか、すなわち例えば、子守り協同組合を、観念的に、供給する労働をプールしてクーポンで半自由に引き出す仕組みと考えるなら、クーポンの追加配布は等価交換可能な資産(潜在的な残余労働供給能力の顕在化)に基づく権利の追加付与で、これを逆転して、PTAへのサービス要求の場合、実際のプール部分への少なくとも一部が搾取なのであるから、金銭価値に基礎づけられる債権を持っている「資産家」であるあなたに依る搾取を解消するとサービスが提供されないのであるからサービス提供の辞退が望まれるのではないか(ただし、学校は公共なので、公共の定義により、子どもを排除できない。)、と、自称コミュニストの論者へ、疑問を呈した。
つまり、サービス需要ーサービス供給の公平、仮に労働に(提供される金銭額面以上の)剰余価値があるとして、サービス供給間の、すなわち、労働提供の公平の、2つの公平の問題がある、と言いたかったのである。
剰余価値 - Wikipedia
資産と労働という2つの異なる順序体系が、複素数のように実数と純虚数の和として、現に定立しているなら、それぞれで取り扱わずに一緒くたにすると、不公平の問題が生じるということで、ただ、余りに公平に徹すると供給過剰になるのであるから、搾取と抑圧は、資産と労働という二つの表現形式の帰結なのだろうか、と思わないでもない。
どうなのだろう。
c.f.ストックオプション - Wikipediaの短所『付与基準が不明確な場合は、不公平感による従業員のモラールの低下が起きる。』『ストックオプションの行使にて入手できた社員とできなかった社員との二層化』

経済学は不案内なので自信はないが、マルクスとて、簿記を超えるものではなかろう。
これを解消するには、投資と、付加価値結合による革新のもたらす剰余利益ということになるのだろうか。そのとき、それを消費者として受け取ることになるだろうか。

ならば、上記のような、資本交換は、どのような効果を生むだろう、と思った次第である。Lennon-McCartneyは非常にクリエイティブな組合で、特に組合結成初期には、有効に機能したであろう事業体の形態だったのではないか。

(追記)

f:id:MarkovProperty:20170612220314p:plainノーラン・チャート - Wikipedia
X軸:経済的自由,Y軸:個人的自由を表す
リバタリアニズムを経済的自由と個人的自由の両方を支持するものとして定義
個人的自由のみを擁護する左翼-リベラル
経済的自由のみを擁護する右翼-保守とがある。
ノーランは左下の領域に位置する政治哲学をポピュリズムと呼んだが、多くの人々は代わりに権威主義あるいは全体主義と呼んだ。

優生学 - Wikipedia
優生学は、個々人が誕生以前よりその遺伝形質に規定された不平等性を有する、という「人間不平等性論」を前提として構築されている。人間を「尊厳(Würdeヴュルデ)」においてではなく、「価値(Wertヴェルト)」の優劣において理解する思想を、その根底に有している。その意味では、異人種間の価値的優劣を主張する「人種主義・人種差別主義」と、同一民族内における価値的優劣を問題化する優生学は、その人間理解において思想的に通底する。』
私は生得的権利と生得的能力とを分けて後者が前者に回収されることではないと考える。能力は分布的、非独立にして非固有的に不可避に現れ、個として、排除すべき、存在上の劣位が内在するのではなくして、概念上「平等」というカテゴリーの対象となるのではない。ー今のところうまく言えないが、優生学に反対するとともに、正義を擁護する。
リバタリアン党 (アメリカ) - Wikipedia
リバタリアンによるリベラリズム批判には、根底に優生学批判がある、との指摘があった。
(追記終わり)

👇『金融実務の経験なく明日の金融のあり方を自分でアジェンダ設定する!なんてのは、思い上がりに過ぎません。』
それは確かに一聴に値する。俺も「思い上がり」に含まれるかね。

markethack.net

なかなか難しいね。
ただ、共同体って、取引観念を前提として、前駆的な資産供与から始まるんだよね。
その「ずれ」が、彼を共同体に留めるのであって。どの共同体も、如何にずれを作って、全体としての資産運用を行うか、が根本であるような気がする。
だから、自分のアイデアで、有料パックのメディアフォームの提供というのは、「決算公告様式」のことで、これを果たせない参加者は排除するって含意だったんだけれど。。。それでもまだ十分な制限ではないなーその情報の真偽を担保できないし。

アマのクリエイターグループが、すなわち、クリエイションによって継続的な収入が今のところ得られない人たちが、それでも週5のバイトを週3にしてもう少し を上げて頑張りたいなってときに、プロとして1本立ちできるまでの「暫定期間」中、単発の収入を相互にプールして時間的に均して凌ぐってイメージなんだよね。実物収入の均等配分に期待価値の付与分があるから、どんなメカニズムになるかな。