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メディア交換の続き。
法実証を考えるうえで、「防空法」(「食管法」との対比で)並びに「動物愛護法」を分析するのが興味深い、と述べた。
でも、そもそも法実証とは、なんなんだろうか。
法実証主義 - Wikipedia
正義論に根差すと英米法に、純粋法学に向かうと大陸法に。もちろん、戦前は大陸法に"向かって"いたのであるし、「動物愛護法」は正義の秤の上に乗っているだろうか?
デデキント切断 - Wikipedia最大と最小 - Wikipedia
ゲーデル数 - Wikipedia
この問題がちょうどよいのではないだろうか。

rocketnews24.com

曰く

問題:「“A子の娘” は “私の娘の母親”。なら、私は “A子” にとって何?」
正解だと思うものを、次の6つの選択肢の中から選んでほしい。
【選択肢】
1:祖母
2:母親
3:娘
4:孫娘
5:私がA子
6:分からない

正解を発表する前に、ヒントを1つ。

ヒント:誰がこの質問をしている?

カギ括弧内が法文であり、それ以外は解釈に該当する。
法文が命題として、テキスト分析をする。尚、ここで命題とは、『主題の叙述するものを肯定または否定する、特定の種類の文である』(命題 - Wikipedia)とし、疑問形は変数が当てられると考える。
名辞(数)を与える。
A子  :A
A子の娘:a
私     :X
私の娘   :x
娘の母親:XX
A系は定数、X系は変数とする。
文を与える。括弧内は情報量
A子  :A=A(A⊖A:0)
A子の娘:A≩a (1)
私     :X=X(0)
私の娘   :X≩x(0)
娘の母親:xx≩x(0)
上記数及び量化子の結合関係により、≧並びにAA,Bを予定する。
私の娘の母親は、X⋚xx(1,0,1,0)であるので、一方向に順序付けると3つの場合がある(X≩xx,X=xx,xx≩X)。
このとき、a=Xであるとすると、a≩A(-1),a=A(0),A≩a(1)であり、前の2つの場合が「ならば」の論理関係により(前提が排除されない為)帰結されない。
このとき、a≠Xであるとすると、(面倒くさいので省略すると)A,AA,Bのいずれかである。直感的には分かり難いのは、ここで述べているのが、集合を順序関係で「切断」して、要素を単独で「切断」仕切れるか、ということであるため、「切断」が順序関係のみに応じており、「親子」の意味内容が素朴な経験に反する為である(テキスト外の語彙を援用してわかりやすく言うと、親子には、血縁親子と法定親子があって、法定親子は順序関係以外排除しない為で、要は、血縁の孫も養子にできる、ということであるし、Bとはそのような親子関係以外にある人であるから、婚姻かもしれないし、恋愛関係かもしれないし、それ以外の人かもしれないー養子縁組に順序関係以外の制限はない)。
法文内で完結するとなると、OYAやMUSUMEを定義しなければならないが、それを「社会的事実」という既出の認証で解消しているのが※、法実証ということになろうか。※それは法体系内の語彙(定義)を指すのだと思う。

👇法実証というから分かり難い。「法による証明」と言ったほうが良い。


解釈論を考えると。
選択肢を与えるとは、∀と∃の関係において、∀X∃pという論理関係を持つということであるから、(∃X∀pの不可能命題ではなく)Xに代入される値に応じて、具体的に値が定まる。したがって、原則「わからない」ということは、ない。例外的には、例えば、解釈の解釈において、それまでの選択肢に該当しない場合である。
ここで考えなければならないのは、解釈のテキストの分析で、どのような情報量がすでに与えられているかである。
しかし、それだけではない。先ほどの例外ですでの言挙げしているが、解釈の解釈である。例えば「母親」はどのような意味量を持つか。
そして、最期には、法文の解釈への言及である。つまり、先ほどは「命題」と制限したが、これは「会話」であることが言明されている。つまり、通常の日本語の文法で読まれるということであり、特に助詞「は」の機能が問題となるしまた、テキスト上に言明されない、応答関係が問題となる。これらにより、この問題への答えが分かれることとなる。

このとき、法文中の「私」は、純粋法学上は(責任主体ではなく)機能的な主体にすぎず、自然法上は(応答義務を持つ)責任主体であることに対応することになるのだと思う。正義論に根差す法実証においては、ここでは価値を論じる必要がないので、特に述べない。