こういう研究は、もっと注目されてよいと思う。
👇これが本当に読みごたえがあるのだけれど。
日本国で、なんで論理の学習が進まないのか、と考えた時に、確かに戦後の国語の「欠落」があげられるけれど。中国における、(西欧的な論理とマルクス主義の論理の議論が、実は日本にもあったと云う。
そのことについては、この方だったか忘れてしまったが、「(分析哲学が、西欧に比べて著しく『地位』が低いのは、)マルクス主義のせい」と云っていただろうか。
神から可能世界へ 分析哲学入門・上級編 (講談社選書メチエ)
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そのことは、「文系不要論」も出る今日の文系の学問状況の不毛を見ると。
早急に、(かつての数学や科学が、そうやって発展したように)「形式論理化」を、法学も進めるべきだろうと思う。
マーシャル・マクルーハン - Wikipediaを考えるときに留意すべきなのは、ニュー・クリティシズム - Wikipediaの方法だろうと思う。
言語の内在規範と外在規範の独立乃至二重性のことであるならば、現在においても、大いに意味があると思う。
文学において、バルトの「作者の死」ということが言えるのと同じように、法律の解釈において議論の経緯からの独立ということがあって、立法の発端に置いてどのような経緯が説明されようとも、解釈に影響を与えないということは、あるのである(固定資産税と租税法規の解釈~納税義務者を巡る最高裁判決を題材に/神山弘之).pdf)。これはあくまで「わかりやすい例示」に過ぎないのだが、こういことを知らないと、憲法議論はママならない。
👇そういった意味で、たぶん、『本当の憲法』の説明にはなっていない。
アメリカ法に独立の論理構文上の原理を発見するほかないのである。これは、科学の話である。篠田の議論は永遠に「憲法(制度)史」の域を出ない。
ほんとうの憲法: 戦後日本憲法学批判 (ちくま新書 1267)
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そのためには、おそらく「形式論理」という方法論が(法実証の厳密化の途上で)必要になってくるのである。ただし、その点では、憲法学よりも言語学の方が、先に進んでいるので、彼らの研究を援用するというのも一つの手である。
こういったことは、案外算数教育にもあて嵌るようなところがあって。
まぁ、それはいいか、面倒くさいし。また、数学=算数教育と混同した議論になって、消耗する。いつも言うけれど、小学生が理解できないとき、そこには合理的な理由があって、「割り算」という言語が本来持っている内在の直観的な理解=実は、発生的な理由と附合すること、と、その後の原理的な解釈によって成立した『割り算』が異なるからで※、幾多の研究者と年月を費やしたことを考えると、子供たちに(前置きなく)『割り算』を理解させること、或いは、理解できると信じることは、荒唐無稽であると思う(立派な大人の研究者ができなかったことを※、なぜ「素人」の子どもにできると思うのだろうか、不思議で仕方がないのだが)。
※憲法学でもとりわけそうなのだけれど、日常語を学問用語にすると、混同される。
※あの天才ブレーズ・パスカルが0を理解できなかったことを知らないのだろうか?