ドリルせんのかいすんのかい

Don't screw.Don't screw.Don't screw.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.Don't.
Screw,screw,screw,don't you screw?Or rather screw,do you? 
(3:15~)

youtu.be

He says "drill",and
Ones in Osaka often say "drill" with meaning of screw.

ニュアンスが正しく伝わるだろうか?自信はない。


〇言語の二重性(Subject/Object分析:別の(すなわち非支配下の)Sと(支配下の)Oの重ね合わせ)
 ―比喩はあくまで意味の飛躍,規則による内部対象とそれを用いた外部対象への類推
〇一般性の獲得とアプローチ,公理主義
 ー数学で謂う、具体性とは何か。岡潔の議論と関口開の和算教授方法より(創造性と主体性に関して)
〇(ロールプレイング式)チュートリアル型授業における評価方法,pull(肯定)型評価とpush(否定)型評価
 ー〇✖方式が望ましいのか
 ―算数は数学を内包し、しかし、(素朴な実感に基づく)具対物を対象とするため、それだけ条件(したがって、ときに、それだけ「文脈」※)依存的であって"=(イコール)"ではないため、算数が苦手でも数学が(というか、本当は、数学の主要な一部である演算(に過ぎないの)だけれど、それが)得意ということはあり得、それを恥ずべきではない。ただ、「苦手」というだけである(問題はそれを恥じることである)。
※これが誤解を招く元、というより、教師(自身)が誤解する。あくまで、一般化を通さなければならず、アプローチにとどまる。

【キーワード:相対化社会,自由度,結果価値と行為価値,予測と不可知(結果論)】
《児童(保護者)》
一元的価値支配による、構造化された(疑似的)「主体」
 ―〇✖評価への過度の依存と、抜け駆け志向(或いは、利益移転。全体の、すなわち自己以外の主体の社会評価を固定しつつ(或いは、社会利益の増加を抑制しつつ)、自己の社会評価の再認定こそ皆が望む社会へ。既存構造の堅牢さの一つの要因。従来型「リベラル」乃至運動の限界)
 ―社会評価と能力(そのもの)の観念的分離(行為と存在に準えるなら、再分離)へ
《教師》
結果論(結果評価)と行為価値評価
 ー能力(そのものの)判定の不能と(経験的に知られた十分条件を用いた)代替(代償)措置
《学校制度》
資本蓄積と技術係数に依存して、資産運用による社会評価の再生産(投資と結果の、評価に対する、時間的ずれ)
この結果、資産効率的に、(従来の義務教育に加えて、或いはその中でも特に)体育(部活動)と専門教育(設備投資の必要な高等教育)が主流になると同時に(普通高校の(体育以外の)意味の希薄化傾向が顕著になったという、反対からの、現象理解もできる。このとき、中間機関であるがために、(  であると同時に、)ボトルネックとなる危険も在る。)、アクティブラーニング(対面効果)の流れも
 ―知育/体育の再分離は、マス教育の解体につながるか
 ー職業専門職大学の新設の意義と背景
 ―効率的な知育(道具としての基礎的社会知識の教授と情操を用いた協調淘汰,社会経済合理的な責任按分に基づく主体性の獲得)と身体協調行動による集団化を企図した「義務教育」はいまでも有効か
《社会》

Ⅰ日常言語を用いた問題文

Ⅱ形式(論理)文化【メタ数学】

Ⅲ  の背景(=意義)化による、センテンス抽出

Ⅳ問題文評価

☆問題文評価の基準(方法論)の確立と標準化に向けて
教師は、基本的に命令アセット的な「レジ打ち傭員」※であり(能力差に応じる自由度を低減させ、受益者の為に、行為結果の最低保証をする。)、命令者による(外部)評価を必要とするが、逐次的評価ではなく、係る標準化が望ましいのではないか。

※社会評価の不当な高低を意味するのではなく(どの業務も必要とされているのであり、不可欠である。)、業務の特性を述べている。ただ、憶測であるが、彼らの、抗議に代表される、ワーディングは、仮に単純技能労働者のそれに特徴があるとすれば、それではないか。
ちなみに、それを打破して、授業内容の(特に高度内容化を含んで)一部自由化を潜在的に企図するのが「ゆとり教育」の(潜在的)意義であり、プログラム教育を通じて企図される、また選挙権の低年齢化により高校で必要とされるようになった、普遍的な教養並びにそれを前提とした市民化教育を潜在的に企図するのが「総合的学習」の(潜在的)意義であったが、いずれも表面上は頓挫した(しかし、結局、後期民主制、後期近代に属する現代社会では、それを目指さないわけにはゆかない)。

やることは見えてきているのだけれど、(世界的標準を含んで)体制の転換を目指すもので、道は遠い。
しかし、一方で、技術の進展による、(ネット上の)様々なプラットフォームの隆盛は、特に適切なマッチングに関して、物理的限界を超えた疑似的共同体を構成して、希望を感じる。

そもそも、マルクス論理学から、(世界的標準の)形式論理学への転換を図らねばならん。まさに所謂「老害」の中心にあること

中国人の論理学 (ちくま学芸文庫)

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(笑)
体育礼賛!最先端やねぇ。

corobuzz.com

まぁ、多様化ではないわね。フランスのブルキニと中国のブルキニを比べる余裕が欲いね。つまり、「リベラル」というのは、文脈依存であるがゆえに、差別構造に掉さす存在であるってこと。
違った観点からになるかもしれないが。もう少し言うと。
タバコの喫煙の健康上の弊害が医学的に確定している現在、タバコの受動喫煙が社会的な問題となっているわけだが、この度、食事と並んで運動が、寿命を縮める大きな要因であるとの知見を得られたとのことで、タバコの煙を吐くようにして「体育礼賛」の息を吐くのは、社会的にいかがなものか、と考える余裕があってもいいとは思うねぇ。一般に愚考権は認められるし、個人的には、愚行権も適正な範囲で認めるので、勝手に死ぬ分にはお好きにどうぞ、と言いますが。それ以上のことはどうかね。つまり、これが「社会的に望ましい何か」を提示しているとの言説についてね。自己の利益と引き換えにする個人的な愉悦の自由であって。

👇まぁ、それもこれも、竹内久美子の"仁義なき"動物行動的な何かでしょうね。
「トサカと指は長いほうが良い」という規範を新たに設けて押し付けんなって話で。あくまで事実レベルに収めときなさい。それ以上のことが言いたくなったら、「リビドー」という言葉を思い出しなさいっての。

草食男子0.95の壁―動物行動学的オトコ選び

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遺伝子が解く!美人の身体 (文春文庫)

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