100年前は、1917年

 

よく説明されるのが、(明治期に)「兵隊をつくるため」ということであって、興味深いのは、実際に軍隊を持っているアメリカは(すでに)そうではなく、日本が(いまだに)そうであるということ。
「兵隊をつくるため」というのは、じつは、(あくまで)具体例に過ぎないんだよね。
近代国家或いは近代社会は、「新しい」社会であるがために、「新しい」それにふさわしい構成単位たる「ヒト」を必要として、その特徴が、共同の時間と共同の空間に規定され、共同の行為によって判断されるといったときの、共同性だということで、技術要件なんだな。だから、本当は、フレキシブルなはずなんだけれど。《期待》で動く以上、なかなか社会は重いというね。
さらに興味深いのは、現在のアメリカ(トランプ政権)も前期近代を志向し、現在の日本も前期近代を志向しているにも関わらず、これだけの違いが出るというね。エリート層の差なんだよね。啓蒙はいつでも大事だけれど、この国では奇妙なことに、啓蒙はエリート並びに知識人に対して行われなければならないというね。

100年前のことなんて、どうでもええわ。

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しかも、AERAという、、、さすが、いろんな意味で。
いや、おおたさんは、吉田豪かおおたとしまさかって話で、そういうご商売だからまったくケチ付けるつもりはないけれど(読み物としては抜群に面白い。結構、二人とも、ファン)。

👇グローバルな経済人とは、この人。単に無人島に漂着した人ではなく、野心的な経営者。ちなみに、ロビンソンは当時、『外国に行って、危険をおかし、事業で一旗あげ、常道をはずれた仕事で名をなそう』とする18歳の1年後の青年だったりする。

完訳ロビンソン・クルーソー (中公文庫)

完訳ロビンソン・クルーソー (中公文庫)