21世紀のリベラリズムに向けて

俄然、選挙が面白くなってきた。

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👇これくらい踏まえておくと見通しがよくなると思う。

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立憲主義に関しては、法実証主義を巡る法学上の争いを踏まえたうえで(法実証主義 - Wikipedia)。大事なのは、学問上の「争いがある」ことをちゃんと理解すること。
👇池田信夫は要注意なんだけれど(「矛盾」なんて平気でいう奴は、矛盾をちゃんと考えたことがあるのだろうか、少なくとも、矛盾が原理的にどのように表現されるものか、考えたことがあるのだろうか、甚だ疑問ではあるが、この論考に関しては、逸脱が少なく、「読める」。ただし、法実証主義を巡る、法学上の争いを押さえないと駄目)。

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右も左も誤解だらけの立憲主義

右も左も誤解だらけの立憲主義

 
世界史の中の日本国憲法 立憲主義の史的展開を踏まえて

世界史の中の日本国憲法 立憲主義の史的展開を踏まえて

 

👆 樋口は視野狭窄なだけ。(憲法体系とは、憲法を最高法規とする法体系であると同時に、憲法は根本規範であるがゆえに内部規範たる体系を持つ(遂行性を持つ)ことである、という理解を当然として、)憲法体系は憲法体制にプロットされる(諸制度の統合として表現される)と考えたうえで憲法解釈権の合法性を認めれば、十分。

そのうえで、今言い争っているのは、ドイツ神秘主義とアメリカプラグマティズムを背景に、原理的には、「具体的妥当性」を必要とするか不必要とするか、で対立しているんだということがわかっていればいいと思う。
シンボリックに言うと、ワイマール憲法が良いかアメリカ占領憲法がよいかもっと古いドイツプロシア型がよいかって話。もちろん、アメリカでしょ。
ただし、自分は、自然法を解釈上必要としない、"実証主義"で(循環)構造派。構造は法的安定性(内部規範)の問題だから、一方で、具体的妥当性(外部性)を必要とする、(操作と非操作を調和する※)科学派。
※ワイマール憲法派は、この非操作を直接調達しようとする無理がある。非操作性は、自然に求めるべきである。自然と当為を別けた朱子学に近づく議論になるが、そうではなく、更にここから、可能を別ける。朱子学は、自然/当為、だが、プラグマティズムは、自然/可能/当為による、3値の人間論理になると思う。
さらに人間観とそれを前提とする社会観について、自己人格を統一的に支配して1個の才能となる人間が一様に配置される社会ではなく、事前と事後が総合的に把握されざるを得ず機会的な現在存在に過ぎない人間が自然に分布された社会を受け入れてくれればよいと思う。つまり、おそらくキリスト教の布教の過程で育まれた、支配対象としての、他者という外延を以て1個と為す内心を持つ、数えられるモノとしてのアナロジーである心を持つ存在としてのリベラルの人間観を覆すことになると思う(したがって、「みんな違ってみんないい」とは言わない(「違う」と観念に対して、個体に対する平等な取り扱いをすることに反対する。加速度のアナロジーを用いるが、違い方が同じでないことに対して、「みんな違って」とひとくくりに出来ない)。

そのことを踏まえて、政策論としては。
①戸籍の廃止(個人登録制への移行と、名前の変更の届け出制の実施)
②学校制度改革(知育と体育を分けたうえで、知育に関して、各教科を個別、独立に評価する資格制を設けまた、物理条件に応じた帰属制限を撤廃し、マルチスクールを実現すること。具体的には、年齢制限のない、聴講生、選科生の、本籍保持のママの受け入れ並びに評価の付与。また、外部教育機関、教育関係事業者との、積極的な協力関係を構築すること)
これを求めます。そういった新しい政党ができればいいなぁ、無いけれど。