飛び級における危険負担

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👆こういうやつらはすぐ「飛び級」に短絡する。またかよ。
なーんにも、考えてないでしょ。「隣の芝生は青い」ってだけで。
(そりゃ日本の世界に誇る天才望月はもちろん、飛び級を利用したけれど。全員が望月じゃない)
👇もはやちょっと古いけれど。それでも、まずこれ見てから言ってよ。本当に。

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まだ小さい頃は「こころの発達」がライフスパンを考えると、特に日本のような社会環境の場合なおさら、重要で、だから自分は、本籍を残したママの(聴講生、選科生も活用した)マルチスクールを提唱するの。

これって、実は体罰問題と一緒。
体罰問題は、(絶対的に)どっちがよいか、ではなく、危険負担の問題。
(考えるときには、「絶対性」を捨てて、敢えて条件を緩和するの。)
正直なことを言うと(自分自身の経験か言って)体罰をしたほうがよいこともある※し、でも誰でも彼でも体罰すれば(対ヒト)、いつでもなんでも体罰すればいいわけでもない(対コト)。そして一番重要なことは、それが「見えない」ってこと。だから、危険負担。だから、必ず誰かが(教師も含め)いわれなき被害者と成るゲームとなる。教師が「殴られる」(不利益の)危険を負担するか、生徒がそうするかの選択で、その場合、教師が社会的に妥当だろうとの判断がおそらく働く。そしてこれはパラドックスだから、(不可逆な、個別から一般に遡らない)補助システムを要請する。その一つが極端なことを言えば、警察などの外部協力であったりするのだけれど。まずは内部処理だね、普通は、それがよいか悪いかわからないけれど。

飛び級も、誰が危険負担するかの問題を抱えている。飛び級を安易に言う糞野郎どもは、いわれなき児童にそれを押し付けようとしているだけなんだよ。所詮、他人事。いつものように「俺、悪くない(悪いの、お前)」の世界。いい加減にしろ。

自分が気になるのは、こういう子の中の「身体的にどこか弱い子」なんだな。はっきりと病気なわけではないけれど。だからまず、ヘルスケアを含めたライフケア支援を前提として、ホスピタリティーを考える。そのうえで、適切な情動形成環境の適切な配置。能力はそれらから切り離していいんだよ(切り離して、能力は能力で、泳がしてあげる。学校というあまりに特殊な制度のせいであるけれど、飛び級は、マルっとひとくくりにしすぎなんだよ)。或いは、必要があれば、(飛び級ではなく)彼らだけを集める、2E児教育環境の整備。


※自分の場合、体罰ではないけれど。似たようなもんだ。
ただし、その瞬間は、憎悪に燃えるんだよ。精神的に引きずるし。ただ、それでも、それがなかったことを考えると、(特に自分のような人間は)ゾッとするわけ(俺は多分とっくに自殺していたと思う。社会と折り合いつかずに)。それぐらいしないと変われないことも実際あるんだよなぁ、本当に残念だけれど。ちなみに、憎しみはそうそう消えません。まぁ、誰でも彼でも恨んでいるってことは、さすがにないけれど。