こういう差別が「普通にある」ことを見ると、つくづく、村上春樹ノーベル文学賞を受賞しなくてよかった、と胸をなでおろすのである。
彼の文学は、戦前の海兵国語と同じ文脈の正当性を独占する※「頸木文学」で統制的であり、ファシズムに通底するのであるから(いずれ、海兵入試の国語の問題と、構造的に同じであることを研究してみたい)。
それを彼(ら)は、その不当性をポジショニングで回避できると信じているが(『卵と壁』演説に代表される)、それは違うだろうと思う。所詮、彼らの相対性は、例えば国家という絶対悪もしくは不動の基点を設けないと、成立しないのである(相対主義という絶対主義の反対効果)。

 ※文脈があるのは当然で、これも当然と思われる向きがあるかもしれないが、これは文脈と対置する批判について、その正当性を主張するのである。
ハルキストがなぜ、敬遠されるかと言えば、かつての憲兵と同じだからである。文学にはある程度の導きがあってよいかもしれないが、文学は読者のものであるべきであり、批判は許されるべきである。それが主体の保存であって、よい読み方と悪い読み方を以て、社会的評価を当然に与えるべきではない。ハルキストはとにかく、尊大で、嫌味である。文学はもっと楽しんでよく、おのおのに楽しんでよい。

markovproperty.hatenadiary.com

我々は、この頸木から逃れなければならない、逃れるすべを模索しなければならない。
そうして、近代主義の持つ、本源的なファシズムを克服しなければならない。
それが現代的問題である。イシグロの文学を読んでみたいと思う。



news.livedoor.com

ライフスタイルや風俗など、現代日本の今を描いているにもかかわらず、世界中で深い共感を持って読まれている。現実と非現実の境界線の往来、怨霊などを描いた源氏物語に通じる超自然性など、人類にとって根源的な共通の物語、普遍性があるからだ
(下掲記事中、内田樹

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「森」をメタファーに持つドイツ神秘主義を起源とする、またFDRを魅了してやまなかったそのー反吐の出るー「普遍性」を持った、いまだに読者を増やし続ける、ナチス文学の最高峰、『我が闘争』にもノーベル文学賞を差し上げるべきだね、内田樹よ。

アカデミー周辺の、大人の研究が増えることを祈るよ。