自発的対称性の破れ

アマゾンプライムBBCが面白い。

これについては、コメントが面白い。☞包括適応度(適応度 - Wikipedia
このコメントの文系批判について。それはむしろ、浪漫主義への批判だね。

👇全国民に読んでいただきたい

常々、太平洋戦争をなぜ、ベトナム(戦争)化できなかったか、不思議に思っていたが。エリート内の権力闘争もあったのではないか。梅津はたいがい「昼行燈」だったが(陸大主席の活躍しなさの不思議、ということはいつでもある。)、終戦時に大回転をし始める。あまり注目されないが、おそらくもっとも大きな仕事の一つが、クーデターの排斥だったのではないだろうか。あの頃、もっとも怖かったのは、若手将校による、クーデターだったのだ。中華民国の軍隊は大日本帝国陸軍に敗れた。「卑怯」な中国軍は敗れたはずだったが、一方で紅軍は残った。反対に、「卑怯」な大日本帝国陸軍のエリートは残り、クーデタは起こらなかった。
日中戦争と太平洋戦争を繋ぐ試みには、拍手を送りたい。そして、ここで重要なのは、戦訓である。教訓主義は、いまでも、日本社会を縛っている。
たとえば、『リベラル保守』何か、とは簡単なことなのである。
本文から引用すると。

(引用)

❶権利/教訓/義務
❷戦訓/訓話/戦法
自発的対称性の破れ


さて、宮崎駿が映画を製作するらしい。
ロマン主義
近代国家の軍事国家的側面
ニュートン=キリスト、ナポレオン=パウロ
宮崎駿の、指摘される「矛盾」(兵器好きの、反戦論者)は、近代主義的浪漫主義の現れ。ついでに、共産主義へのシンパシーも、共産主義には、ソビエトの成立(国家に限らない)からして、キリスト教社会の側面と軍事国家的側面が、そもそもある。司馬遼太郎の後継者。宮崎駿自身は、矛盾を感じない。宮崎駿は古典的近代主義者で、近代主義的浪漫主義者なのである。

マルクス主義しかり、フェミニズムしかり、集合主義を採る、あらゆる(疑似)実名論者を考えると。「反権力は善」と言うときの「善」とするのがおかしいのであって、それは「正義」でもなく、権利と義務の間に教訓があるように、やはり中間的な概念が必要だろう。