別の近代の模索~井筒 俊彦、大川周明、林銑十郎

禅を経て、イスラムにたどり着くのだけれど。
逆に言うと、彼らの限界が、日本(大日本帝国)の限界でもあったよなぁ。

 

markovproperty.hatenadiary.com

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善の研究 <全注釈> (講談社学術文庫)

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反知性主義」のホフスタッターだって、(その主旨のひとつは、エリート主義の批判と"その"アメリカの伝統擁護だったのであって)直観・内観から考えたほうがわかりやすいのではないか、と思うけれど(「よくある間違い」の一つだろうか)?
今なら本当は、所謂「リベラル」批判だよ。内田樹は真逆のことを言っていて、「知識人」に彼を数えるのは、本当に止めたほうが良い。彼は市井の運動家、一介の運動家に過ぎないのであって。バイアス抜きには語れない。その知識に伴うバイアスこそ、ホフスタッターの標的だったはずで。
👇現代的戯画

逃げ道

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 👇キッチュとは何か

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

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 「数学者とは不正確な図を見ながら正確な推論のできる人間のことである」
(ジュール=アンリ・ポアンカレ
ホフスタッターの言った「曖昧さ」とはポアンカレの言う「不正確」と同じだと思う。

数学的直観主義 - Wikipedia
アンリ・ポアンカレ - Wikipedia
これは法学的にも示唆をうけるもので、なぜ「法的安定性」だけでは駄目で、「具体的妥当性」が"法"(人間による決定)に必要かともかかわってくると思う。「法的安定性」だけでは、どれだけ(現実には)荒唐無稽な法も可能なのは、法実証に対する批判としても重要である。
実際に、数学は、その意味で「荒唐無稽」だが、科学と結びついて、有用である。