これ、めちゃくちゃ大事な話なんですよね。これを「屁理屈」と言っちゃわないようにするために「国語」
— kentaro isaka (@isa_kent) 2018年6月14日
を学んでいたりもするわけで。少なくとも学校ではこれをスルーしちゃいかんと思うのよ。https://t.co/f3k7XwhSdm
いや、これは「日常語」であって、これが『わからない』とすると、やっぱり日常生活に支障があるよ。
小学校の算数は、生活に密着した勉強であって。そういったことの意味を理解していない。
1つのはこにみかんが36個はいっています。
はこは4つあります。みかんは全部で何個あるでしょうか。
国語の問題として、考えてみましょうか?
其のとは - Weblio辞書
(連体詞 - Wikipedia)
を踏まえて
1つのはこにみかんが36個はいっています。
そのはこは4つあります。みかんは全部で何個あるでしょうか。
という文章は正しいだろうか。日本語に於いて、その省略はあり得るのである。
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ーきちんと!伝わる! 文章の書き方 身につく便利帖P87
もちろん、
1つのはこにみかんが36個はいっています。
おなじようにみかんのはいっているはこは4つあります。みかんは全部で何個あるでしょうか。
と表現すれば親切であるし、いや
みかんが36個はいったはこは4つあります。みかんは全部で何個あるでしょうか。
とすれば、一目瞭然で、こうしないのは、「問題を隠す」悪問か疑いたくなるが、そう思いたくはない理由がある。
函数の「函」とは箱のことなのである。
これを意識しているとしか思えない。
この問題の主旨は、おそらく、「二段階に分けて考えられること」「(変数)を(変数)として考えられること」の2つだろうと思う。つまり、Y=F(X)とX=g(z)があって、Y=f(g(x))=f◦g(x)の計算なんだ。「箱が4つあります」「箱には46個のみかんが入っています」は、実は、それぞれ独立した計算として考えられる必要がある、というのが、この問題の主旨だ。
日本語の問題ならば、なお一層ちゃんと読めなければならないし、それが数学の問題ならば、多少違和感のある表現も許容されるだけである。なぜなら、数学はロジックであって、十分制限されるべきだからである。