fair enough とhonorable

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文化的なことって、かなり難しくって。

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ここでfair enoughで言われることは、logicに関わることに思える。
そういった意味では、日本は、やはりfair enoghだったと思う。
アメリカの人たちもアフリカの人たちも、アンフェアと言い募るのは誤謬或いはトートロジーであって、規範を罰則化したときに、それを破るとアンフェアであるというのは、結論の先取りである。

👇「フェア」に求められること、「フェア」に可能なこと(限界)

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それでは無視できるかというと。
そうではなく、問題は、「勝利を求め、最善を尽くす」方であって、これは共同体の規範で、共同体の仲間に対する同情と献身が元になっているけれど、近代スポーツの画期は、これを敵/味方にも拡大したことで、そこにキリスト教の世界が大きな役割を果たした。即ち、ひとつの大きな共同体、である。
ただ、「最善を尽くす」ことと「勝利を求める」ことは必ずしも同じではないが、一方が一方の内容となっている。
それと同一概念であるか不明だが、相手を侮らない、ということに関しては、ネイマールのトリッキーなプレーが問題にされたこともあって、それについての具体的なプレーに関する暗黙の了解は確かに在る。

👇「名誉ある態度」は、"反"合理的な、ロマンチックなことである。

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バックパスの禁止にしろ、「遅延行為」にしろ、そういった非献身的な態度、或いは非名誉な態度を禁止する方向でルールは進化してきた、ということはなるほどあるのだが、スペイン戦を見ても、プレーだけを見る限り、判断は難しい。
日本戦の場合、長谷部が外観上明らかに指示を出していたし(セネガルも指摘していることで、西野監督も否定しなかったのであるが)、それは他の同様の行為に対するエクスキューズとすべきだろうか。それならばそれならば、日本には、まだまだマリーシアずるがしこさ)が足りなかったと、マリーシア(教訓)が求められるだけである。
 
👇「名誉」は、アフリカの人にとって、重要な規範である。

黒檀 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

黒檀 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

 

 
ここで一つ注意したいのは、文化支配に関することで、係る規範が規範であるために当然に、また経験に拠っているために、抑圧的であることである。そうだろう、ルール化された後にはフェアであるが、ルール化されるまでは別のことがフェアであり、ときにフェアである自由を脅かす。自由を保障しないしないフェアはフェアではない。経験主義に対置させるべきは科学主義であり、科学である以上、フェアである。我々は十分科学的であったのであって、『ばかげて』はいなかった。