[メモ]物事を説明すると言うこと

俺とおじいちゃんだけ、2週間、季節を先取りしていたよね。
カーディガンだったな。今日は。

松本人志さんが「負け」発言で炎上したとかで。
大阪の人はよく、そういう"言い方"をするのだ(ろう)けれど、それを東京の小島さんが「間違っている」と指摘しそうとかなんとか。
それはそうじゃなくて、形式的な言葉の定義の話じゃなくて、背後にある文化を受けてのやり取りなんだね。道徳って、その社会に特有のことだってこと。
これを「融け込まない言葉」として、メタ的であるより、カーニバル的であることの選択であって、だから、弁護士の依拠している相互主義はこの批判(別の前提の選択による、帰結の異動)にはならなくて(同じ前提を共有しているとも考えられるから。)、「負け」には、状況認識の転換も含んでいるんだよね。もちろん、弁護士の言葉は、反例を提供しているけれど、それが直ちに社会的に穏当といえることを保証していないのは、松本さんの言葉と同レベルだからであって、それに反論できるのは、(統計を使った)科学だけでしょうって。そこで、「社会学者への社会心理学者のため息を思い出すべき」と言ったのだけれど。つまり、メタ位置というのは、それを形成するメタ理論があって、それを無視できないのであって、それについては互いに共有しているため、結局は、多数決などの「決定のロジック」を外挿するほかない。そういった意味で、ルール依存的であって、弁護士と言うのは、それを言うことが少ない。それこそ、勝ち負けになるからだし、勝ち負けを意識しているからであって。

それはいいとして。
これは、イントロダクション。言いたかったのは、道徳はその社会で培われる、ということ。

本題。
「任意の協力」と「目安」は違うかどうか。
目安とは、目標のことであって、目標と言ってしまうと、道標を目指すことになってしまい、プロセスの評価が伴いかねない(伴う可能性を持ってしまう)。
100点満点のテストを受けたAさんは90点、Bさんは70点だったときに、彼らの評価は異なるのか、ということ。
「任意の協力」だと、そこまでの積極的意味は、含意していないと思う(似たようなことに、可能性/蓋然性があって、在る/なしか、何パーセントかって違いがある)。
ただし、それは形式的な解釈(意味論)であって、「任意の協力」だと抽象的過ぎて、伝わらないときがある。抽象的なのは当たり前であって、具体的な行為は、「お任せ」だから。そのときに、「任意」を(もとより、それは、「努力規定」という形式で、作為義務を指示することであるので)「できるかぎり」と翻案してあげて、その限りで「目安」を  することはあると思う。これは義務の持つニュアンスを口にしただけで、十全の意味を成すことではないがそのような意味を持ちうる方途で、目的論的解釈を導入してあげていることである。「目的論的解釈」は注意しなければならないのであって、正しくはない。それでも、具体的アクションを問われたときの  にはなる。
その社会の期待する義務感はニュアンスでしか伝わらないと思う、ということ。逆に、形式的には誤りでも、伝わることがある。

そのときに、求められるのは、まずは形式的に適切であることの理解。
"そのうえ"で、ニュアンスを以て、期待に沿って、或いは働きかけて、より伝えられるかということ。
そのときに、「間違い」を過剰に恐れていると、それができないってことを言いたかったんだ。そこには認識上の飛躍が必要だから。そこであなたの創意工夫と普段の注意力と努力が求められるということ。ね、ここで、なんで何回も同じことを注意されるかわかるでしょう?
「あ、あの人、あんな説明をしている」って、耳をそばだてていなきゃ、駄目なのよ。ちゃんと「教える」となると、ある種の責任を感じることになるから、形式的な説明に終始してしまいかねない。でもあなた求めている説明はそうじゃないよねってこと。

とりあえず、形式的な予備知識で、指摘していなかったことを言うと。
①建ぺい率
例えば、建ぺい率が70%だったときに、敷地面積が50㎡なら、建築面積は35㎡で、それ以外の面積が15㎡。敷地面積の20%なら、10㎡だから、云々。
②寸法
大人が両手を広げた時の長さを「1尋(ひろ)」と言うとき、
1尋=6尺だから、1尋=1間(けん)≒1.8m
1尋を半径とする円の面積が、約10㎡

あとよもやま話で。半ば冗談で聞いてほしいけれど。
まぁ、生垣的なものを想定しているのかなって。
コニファーなら、1.5mほどかなって。コニファーって大きくなるんだけれど、普通はそこまで大きくしないんじゃないかね(って、大分昔に、先輩に聞いた)。それを考えると、あんまり数字に拘ると、窮屈になる。任意協力だから。

kurashi-no.jp

 


むかし僕もティーネイジャーのときに、尼ヶ崎の先輩に、「やったらなあかんど」って熱いエールを送られたことがあります。お昼の12:45のことでした。
それが人生の指針になったかどうかはわかりませんが、インパクトあるよね。
ちなみに、尼ヶ崎出身でもないのに、「尼」と略すと怒られます。