勉強のための個人的メモ

 

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■総動員体制への移行ありや

今回の「コロナ騒動」を「緊急事態」から眺めますと、政府部門/民間部門の割合の変化、片方から片方への移行度合いでかしかありません。

外部不経済の代表例であり、大きな公的分野である、「医療」と「教育」の2分野におけるイノベーション(ただし、要素の再結合。)を達成できるか

日本における戦後医療体制の最大の特徴は、その発端に、PFIで行く、と決めたことであり、それを公的資金で「下支え」をしてきたことでしょう。なにしろ、未舗装道路をなくすのと、医療へき地をなくすのと、その達成が戦後の「焼野原」からの出発における、若い中央政府関係者の大きな目標でした(「焼野原」となったのは、大都市と、中央の指導層のみでしたが)。医療に関して言えば、医療は科学的でなければならないと、医療資源の量的達成だけでなく、その質的達成も目指されました。

■世界に冠たる医療制度の沿革

そうやって、「平時」における医療体制の完成と医療資源への需要不足の解消は、戦前とは比べ物にならないほどの経済規模の拡大(昭和30年代で、すでに戦前の経済規模への回復は達成できていました。)と発展と軌を一にして(条件を同じくして)成立してきたわけです。
ですから今回のような「戦時」で(「平時」の充実ぶりを考えると)意外なほどの脆弱さに驚くこととなりましたー本当に脆弱なのか、ただ驚いただけなのか、これから詳細な検証が期待されます。

■戦後だからこそ、「戦時」の退行行動

ただ興味深かったのは、「戦時」が長らくなかったのか、「戦時」というとまるで敗戦前の状況に後戻りしたかのような社会意識に一部に過ぎませんが支配されたことです。

『新生活様式』は確かに必要なのです。それは一生懸命喧伝されているようなことではなく(それは、日本社会の語彙で言うと、「新生活法」です。要は所与の『生活様式』を前提とした『(生活上の)工夫』ですー二重括弧なのは引用を指しますが、すでに在る言葉である、とここでは言っています。)。『新生活様式』と殊更に、、、言うのであれば、良い悪いの判断を一端棚に上げて、社会進化的、、、、、でなければならないでしょう。要は、リベラリズムであり、しかも後期近代社会(或いは、ポスト近代社会)における言葉になりますので、「個人主義」「平等主義」に掉さす言葉になるはずです。簡単に言いますと、例えば、(「選択制夫婦別姓」という、現況の社会体制の大枠を維持したままで利益分配の割合変更、地位変更を目論む、適度に優位なー或いは、セカンダリーなー社会的地位を持つ或る中間層による、社会的正義のためというよりむしろ、自己への利益誘導のための運動に過ぎない嘘や誤魔化しではなく、  に依拠した)「個人登録制」並びに「家族登録制(相続登録制)」への移行でしょう。そこでは、それを前提として、多様な婚姻制度への移行が企図されます。それこそが、大きな声で『新生活様式』と言える内容です。個々の「テレワーク」の場面で、所謂「ワンオペ」(子育てにおける母親依存を指す、和製英語のワン・オペレーションの略。雇用環境で不利な立場にある母親たちのisolatedな状態で、古くは核家族化に付随した問題と考えられたこと。対になる父親と相対的には、家庭内におけるそのような「母親」と職場内における「被雇用者」の1人2役を意味し、母親のワンオペと父親のワンロールの裏腹或いは家庭における疑似雇用様態における不平等ー母親が家庭における使用人なのか、父親が子育てにおける使用人なのか、いずれにしても父親の態度にあらわれる、、、、、、、、ときの不平等感)が解消されている様子が垣間見られることです。

 ■昔アナ/ボル論争、今アナ/オペ論争、間に、アナ雪論争

SARSの教訓とは、どのような語彙(体系)に位置づけられるか。
「教訓」の定義的要請ーオペレーション
同様に日本語られるべきこと(教訓)が日本にあるかーPCR診断の抑制並びに「外来」設置における、新型インフルエンザ対策からの教訓ー「適正」のオペレーションデザイン

誠に興味深いことに、この度の「コロナ騒動」で役に立ったのはこれら教訓であったが、「教訓」の形容的限界を露呈した(素朴な経験選好であって、Unscientific attitudeNon-analytical attitude)。このとき真に興味深いのは、それが一方で顕彰的であり、一方で成功体験に基づくことである。その「成功体験」はその教訓の目的語のことではない。「大日本帝国陸軍においては、指導者が劣悪で、兵隊は有能だった」というときの、それが顕彰であることの、遂行的な態度があるとき、それに成功していること(事実は、もちろんそんなことはなく、日本の指導層は世界と比べておそらく平均的であったし、兵の能力を見ても、可もアリ不可もアル、平凡なものだっただろう)。世界に冠たる帝国陸軍或いは世界に誇れる帝国陸軍兵士は、アルと言えばアッタだろうし、ナイと言えばナカッタだろう。世界の存在し、存在した多くの軍乃至軍隊と同じ様に。日本の国力から見たところ、どの分野でも力を入れると、世界のトップグループに居るが、世界のトップにはならない、上の中から上の下くらい(上の上を覗う地位で、実際たまに顔を出す。)が、どうも「定位置」になるらしいが、これはただの憶測である。