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ナイチンゲールへの誤解を解く試みから考える。
ー「鉄の女」サッチャーとの比較 (お嬢様対決)
ー「近代オリンピックの父」クーベルタン男爵との比較(貴族趣味対決)
ー「ナポレオンを倒した英雄」初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーとの比較(志願に関する問題)
ー森鴎外との比較(科学的管理対決)
ー北里柴三郎と比較(経営者対決)
ー「科学的捜査法の父」コナン・ドイルとの比較(医療従事者対決)
ー「英国の国民作家」チャールズ・ディケンズとの比較(観察眼対決)
ー「(当時)世界一の著名人」マークトウェインとの比較(統計対決)
ー(監獄法の生みの親)との比較(仁愛対決)
ー「夫人矯風運動の母(「海外醜業婦取締に関する建白」)」矢嶋楫子(求めるべきは、精神の健全か身体の健全か地位の健全かー婦人運動対決)
ー『自由論』ジョン・スチュアート・ミルとの比較(プラトン対決)
不衛生(と貧困)が人生の余命を制限していた社会は、ヴィクトリア朝にあったイギリスの発展の中で、どう変わって行ったか。シャーロック・ホームズシリーズや『ジキル博士とハイド氏』が読まれ、「切り裂きジャック」による娼婦の連続殺害事件が起きた時代の話。
こうやって見ると、キリスト教倫理(山縣にあっては、儒教倫理)との距離の取り方の問題のようにも思えてくる。
我々がこのような問題を考えるときに気を付けたいのは
ー階級(乃至階層)を社会の当然の前提に考えにくいこと
ーキリスト教を社会の根底に考えにくいこと
ではないだろうか。
ナイチンゲールの有名な科白は、キリスト教的な発想ではなく、むしろ階級的な発想ではないかと思えるのだが、どうだろう。つまり、初代ウェリントン侯は、志願兵の勇気をたたえつつ、「勢いに乗じる」ことの耐性をそれほど信用していなかったのではなかったか。
イギリスの世界支配の時代でニュートンほど 神格化された人物はいないが、ナイチンゲールほどこの時代のイギリスを象徴する人物はいないのではないかと思える。
もちろん、経験主義者であり、技術者である。