美濃部の「定説」を巡って~赤穂論争との比較

 

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 例えば、統帥権干犯問題は、(動機はともかく)その「論争」のもとを辿ればイギリスの首相もつとめたワーテルローの英雄ウェリントン侯の保守的態度に行き着くし、憲法論争はドイツにおける法学論争の「江戸の仇を長崎で討つ」様相を呈している。民法典論争になると、憲法などよりこちらが本命だったのか、欧米の学説のカタログになっている。

憲法自体が(ドイツの学説以上に)ドイツの論争の影響を受けたのか、国会をどうするかが一つの焦点であった。

 上杉の天皇主権にしても、穂積の影響もさることながら、実地で見聞した地方に於ける市民の議論の伝統と速やかな行政実務と一方での王の指導力に感銘を受けたものである(『吉野作蔵と上杉慎吉ー日独戦争から大正デモクラシーへ』)。もちろん、美濃部もドイツに留学して、イェリネックに会うことを切望してそれが叶わなかったとしても、別の大学で公法の研究に勤しんだのであるから何かしら確信するところがあっただろう。

 ただそれ以上に、藩医の息子であり武家出身の上杉(や同じく穂積)と漢方医の息子で庶民出身の美濃部(や一木)の、官報に「」「庶民出身」と出自も明記された時代の人たちであるし、出自から受ける影響もやはりあったとして論争形式に表現されているのではないかと推測してみる。
 穂積は古文辞学の影響を受けているだろうし、一方の一木は二宮尊徳の影響を受けているのであるから、その「天下観」から秩序形式としての諸制度への理解も異なってくるとして、それがどう論争に表現されるかを考えたときに、赤穂事件があったではないか、と思い至ったのである。
 問答形式の論争もあったし、(彼らの学説内容の正しさもさることながら)彼等はどのようにして論争するのが正しいと考えていたのか。

 あと、これは余談であろうが、森林太郎(鴎外)と美濃部達吉の論争スタイルの違いも。 

元禄時代と赤穂事件 (角川選書)

元禄時代と赤穂事件 (角川選書)

 

 「妙貞問答」とは、「三教指帰」と「三酔人経綸問答」をつなぐ位置を占めていると言えるかもしれない。

日本思想史における問答体の系譜:丸山真男の「三酔人経綸問答」論

三酔人経綸問答 (岩波文庫)

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  • 作者:中江 兆民
  • 発売日: 1965/03/16
  • メディア: 文庫
 

 👆丸山の思想はなるほど「思想」であって彼個人の感慨であり、理想を伴なってバイアスのかかった(例えば、言語学の精査にどれほど耐えられるかわからない)「出鱈目」だと思っているが、それでも彼の実感からする「実感思想」と「理論思想」に興味を惹かれる。実感か理論かというよりも、素朴実在にもとづく実証主義(美濃部)か観念的実在にもとづく実証主義(上杉)かという観点から。それは、彼らの師であった一木(報恩思想)、穂積(古文辞学)の影響を受けているのではないか?


ごっちゃにされがちだが、「民主主義観」「政党観」「大衆観」は違うし、「国民観」と「皇民観」の違いと「軍人観」と「官吏観」の違いもある。
〇「天下観」の違いと変遷、「民主主義観」の違いと変遷
(民主主義制度の変遷。特に、群会・町村会/国会・府県会の二層構造の変遷)
〇政党の変遷と「政党観」の違いと変遷
自由民権運動の変遷と政党政治
〇「大衆観」の違いと変遷
(上杉の地方講演に見る、草の根民主主義の実相)
〇「国民観」の変遷
(「皇民」よりも「国民」が先に在った歴史的事実の文脈)
〇「軍人観」と「官吏観」の相克
(大阪「ゴーストップ事件」)


上杉と言えば、婦人の権利運動の先駆けでもあるが、当時婦人の啓蒙運動が結構盛んで、それがどのような文脈をもったかも大事である。

江戸時代には結構離婚が盛んであったが、その際、一部に過ぎないが、女性の既得権として、徒党を組んで打ちこわしじみた騒動を許容することもあったようで(怖くて逆らえなかったというのが本当らしい?)、本当に女性は弱かったのか、意外な印象を受ける。
こういったことは古今東西で珍しくはないのだろうか
アマゾーン - Wikipedia

日本初の女性参政権

1878年(明治11年)、区会議員選挙で楠瀬喜多という一人の婦人が、戸主として納税しているのに、女だから選挙権がないことに対し高知県に対して抗議した。

フェミニズム - Wikipedia

米騒動も富山の漁民の妻たちが起こしたものであるし、最近は「産後うつ」の原因としても指摘された子育て共同体としての本領発揮なのか、「ゴーストップ事件」の起きた大阪では、婦人会の会員獲得競争が自発的に推進されていたのであった。

国防婦人会―日の丸とカッポウ着 (岩波新書)

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  • 作者:藤井 忠俊
  • 発売日: 1985/04/19
  • メディア: 新書
 

 

どれだけそれぞれに関係があるかは存じませんが、いろんな公益団体があって会員の皆さんが社会奉仕に活躍されています。  

☟良品を扱って人気らしい。www.chifure.co.jpちふれ化粧品/全国地域婦人団体連絡協議会

 

また、女性の権利運動では、キリスト教系の運動もあることを見逃してはならない。

1893年に全国組織の日本キリスト教婦人矯風会となり、広範囲な禁酒運動が始まった。

禁酒運動 - Wikipedia

活動初期は禁酒禁煙運動、公娼制度の廃止運動(廃娼運動)、婦人参政権獲得運動に力を置いていた。

日本キリスト教婦人矯風会 - Wikipedia

今の左翼による「廃娼運動」は、性病管理をどう考えているのか、よく知らない。

『また、シベリアからのからゆきさん問題や、大日本帝国陸軍兵士の性病蔓延を改善するために、既にアメリカ軍では実績のあった禁酒と純潔生活を導入したいと考え、純潔運動を行った。当時の日本では、酒と女は軍隊につきものという考であったから、これらの常識に対する挑戦であった。1939年に純潔報国懇談会が設けられた際には、廃娼運動の完成を求めた』(日本キリスト教婦人矯風会 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』、赤字は引用者)

セックスワーカー問題は「労働権の確立」後の組織内「権力問題」(パワハラとその一様態としてのセクハラ)に焦点を当てた権利問題とみなすか、それ以前の人権問題とみなすかで態度が異なるようで、前者の場合、十分法的に保証される心身の健康問題(特に性病対策)といった管理問題に行き着くが(それが人権に適う。)、後者は人倫的な信念以外で何が言いたいのかよくわからなくなる。もしかして性病管理は軍隊独自の問題で、軍隊をなくせば見る必要がないと考えているのだろうか?