すごいね。

意味わからんけれどさ、「発火パルス列は揺らぐが」って、笊を揺するみたいな感じか。「揺する」というか、伸縮する笊を捻って、目を大きくしたり小さくしたりする感じかね。

補題

 

markovproperty.hatenadiary.com

アメリカの連邦法と州法の関係は、日本の国会立法(法律)と地方議会立法(条例)の違いに相当するか」を考える際に採り上げた憲法学上の問題が、具体的にどのように議論されるかをみるとすれば、

がよいだろうと思うが、1問だけ見ていても仕方がなく、

  1. 国民主権古野豊秋
    国民主権は、国政の組織原理として、どのような制度を要求しているか。国会議員の選挙制度とリコール制を例にして考えよ。
  2. 権力分立(西浦公)
    近代的な権力分立論は、現代では大きく変貌しているといわれるが、現代における権力分立論の特質について説明し、権力分立論が現代なお重要な基本原理といいうるかどうかについて論ぜよ。
  3. 国権の最高機関(百地章
    「国会は、国権の最高機関である」という規定には、どのような法的意味が認められるか。
  4. 唯一の立法機関(武永淳)
    「国会は、必要があると認めるときは、議決により法律案を国民投票に付することができる。その場合、投票の過半数の賛成があるときは、右法律案は法律として成立する。」という趣旨の法律が制定されたと仮定する。この法律に含まれている憲法上の問題点について論ぜよ。[司法S63Ⅱ]
  5. 立法の概念(堀内健志)
    国の行政機関の内部部局の設置及び所掌事務が法律事項とされていること(国家行政組織法第七条第五項参照)と、国会は「唯一の立法機関である」と定める憲法第41条との関係を説明せよ。[司法S51Ⅱ]
  6. 法律と条例制定(村田尚紀)
    条例と法律との関係における諸論点について、政令と法律との関係の場合と対比しながら、説明せよ。[司法S59Ⅱ]
    1. (A説)条例制定権を創設により(憲94)、条例は、国会中心立法原則の例外
    2. (B説)条例は、「地方自治の本旨」(憲92)が国の立法権(憲41)を制約したうえで、国会中心立法の例外を具体的に規定(憲94)
    3. (C説)条例は、国会中心立法の例外ではなく、条例制定権(憲94)は地方公共団体自治権(憲92)の反映
    4. (D説)条例制定権は国家から授権されたものであり(具体的には、地方自治法14条1項)、一種の委任立法※

が適当だろうと思う。体系なので範囲を持つが、具体的には個別の問題性を持つ。その個別の問題を考えるにあたっては、直接答えるのではないにせよ、その範囲を捉えることとなる。

なお、P.80「最高裁はAないしB説をとっているとみられる。」(最大判昭37.5.30刑集16巻5号577頁)

※32の3と4をみると、自衛隊が合憲であると判断する場合と類似したロジックとなっている。自衛隊が合憲なのは、憲法自衛権はもとより具体的な政策としての自衛隊も否定しておらず(否定されているのは政策上の具体例であって、行為制限であり、存在規定ではない。)、かつ、具体的な政策を決定している自衛隊法で内容を満たしているからである。

今件と自衛隊が異なるのは、憲法上の条例の取り扱いに関して、他条文との関係が採りあげられるからである(人権規定にはしばしばみられ、このとき、公共の福祉論が援用される。「男女平等」は人権の反映なのか、人権と拮抗する別の価値規範なのか、である。或いは、「家族」に関しても言える)。


かなえ先生はあくまで「水原事件」の解説をしているので、ここまで拘る必要がないので、気にはならないが、まぁ、詳しく言うと、こんな感じ。

結局、アメリカはアメリカだし、日本は日本で、それぞれやっています、という答えが自然だろうと思います。

だから、答え方としては、

「あぁ。そうだよねねぇ。制度として個々の具体例に成るから、類例として並べらたときに、似たような要素機能を挙げられるけれど、あくまで個々の話であって、同じではないよー。あくまで比喩としての譬えだから、飛躍は在るね。でも着眼点は正当な(憲法学上の)議論の対象と成るから、よい着眼点だと思うよー」

という感じだろうか。かなえ先生はご自身でおっしゃっていたけれど、「学術系Vチューバ―」ではないんだよね、敢えて言うなら「実務系」であって、ということ。
だから、あんまり拘る必要もないかなって感じ。

わかりやすくて本当に勉強になるよ。
もうね。思春期の児童たちにはみんな見て欲しい。
これが「公教育」だよって。

www.kokusen.go.jp

これも素晴らしいけれど、児童からすると、ときに専門的でありすぎ、ときに概略的でありすぎる。

実務に携わってきた人特有の具体的に、技術的に説明する能力が高いし、話題の事件に即して詳細に説明しているので、飽きないよね。

それでいて教育に携わってきた経験が活きている。何を目的とすべきか(単なる速報、あるいは、ただの意見なのか)を考えると、そういった源泉があるかなと思う。

単純に人格も円満だと思う。だから、協力者も多いよね。

markovproperty.hatenadiary.com

ゆたぼんもそうだけれど。

大学の入学式がリクスーばっかりの(今は)黒一色で「個性がない」というわだいがあって、いや、(親に買ってもらっておいて)「何を着るか」じゃないよ「どう管理するか」に貴方の個性が出るよって。

ただ学生だと普段スーツを着ないからね。なかなかピンと来ないけれど。

ダイソーでクリーナーと靴墨と靴磨きクロスを買って来た。

belcy.jp

靴墨には、油性(鏡面仕上げ)と乳化性(保湿。革の保護)の2種類があって、ダイソーに置いてあるのは、油性のもの。

油性の靴墨を使うには、下地と仕上げの2層(或いは3層)塗るので、結構大変で、10分の作業ではなかなか光ってこない。

「片足約20分で作業は終了」(P.89)。なにしろ、「指南役の日高さん曰く「できればプロに任せた方が…」というほどの作業なのだ」(P.88)。

集中できるから好きな作業なんだけれど、疲れる。「片足20分」はあくまで油性クリームだけの話だからね。

それで、光沢出たから右足は大満足、左足は小満足して一晩眺めて、翌日、雨が降るから、シリコンスプレーかけたら、微妙に汚くなったというね。

個性が出るね。
何が言いたいかというと、万事「時間がかかる」ということがすごく大事で、その配分に個性が出るんだよ。

(靴磨きに限らず)こういうことを大切にしている人なんだなってわかるんだよ。
それが、直接的でないにも関わらず、他人に対する気配りに「なる」のだろうと思う。
結局、他人との関係を大事に出来るって、こういうところからなのかもしれないよね。拘る必要はないけれど(「拘り」自体が、場合によっては、他人にとっていかがなものかということはあるから)。

何が言いたいかというと、口先とか、手先とかじゃないよってこと。

なかなかできない、、、、、、、、 からね。だから、大事。だから、個性が出る。
ドレスコードでも「ある」のなら気にしないわけにはいかないけれど、「個性」という言葉には違和感を覚えるよね。

それがゆたぼんの作成した或いは出演したビデオにも言えることだけれど、大人の真似事をして(子どもは「そういう存在」だから、否定するものではないけれど。)それが話題になるのは、倒錯的な価値を(大人の管理のもとに行っているので)無責任に面白がっているだけでね、ゆたぼん自身の「個性」ではないよ。或る種の大人が望む「子どもの理想」を見せてくれていたわけ。幼稚で無軌道な、しかし、無邪気で悪気のない、それゆえ、実社会とはよくもわるくも無関係な存在としてね。異世界なんだよ(要は、ピーターパンの世界)。成長するにつれ、年齢相当の発達を見せないと、違和感だけが浮き彫りになって来る(今までの経験を否定するものではありません)。
そういう年齢に差し掛かったというわけ。

親は基本的に、経済的に自立して(大抵は就職に期待をかけて)、精神的自立が充実してきたら、結婚して、対等な関係になったら、子育ては卒業だよね。

フランスなんかあれだよ、18歳になったら自立しているって、経済的にも支援が細る或いはなくなるからね※。それは、日本社会の場合、早いよね。結婚するまで乃至20代を終えるまでのうち、早い方だよね(ただし、発達障碍やその他の自立の協力や協調が必要な場合を除く)。

※或る著名な、職業で成功されてリッチなセレブの方の親子関係が取り沙汰されたことがあって、あれは子ども資質の問題、親の資質の問題、親の経験がないまぜになって、悪気はたぶん絶対にないのだろうけれど、振る舞いがかなり過剰だったよね。

このこの場合、一生、関わってゆくことになるんじゃないかな。それは自立を「諦める」ということでは決してないのだけれど、協調的な、ときに或いは往々にして、支援を必要とすると思う。そこは仕方がないんじゃないかな。

もう一人のお子さんへの態度とは違う印象を受ける。親も含めて、一人一人違うから、難しいのかな。

母親が男児に甘い或いはそれが過剰で実際は虐待に繋がっているとすれば(つまり、成長に応じた関係性の見直しが都度必要なのが、「幼児の抗いがたい魅力」が麻薬並みの誘引を持つのかね。こうなると、アディクションに近いよね。そうじゃないと、幼児が危険だからだろうけれど、問題は、いつまでも幼児じゃないことで。反対に「厳しい」育て方にシフトチェンジしても、ただの「逸脱」になるというね。)、やっぱり経験から知らないということが「ある」んじゃないかな。女児ならば「成人」を知っているけれど、男児の場合、そうじゃないのかね?

ギフテッド


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勉強ってやっぱりこういうことではないかと個人的には思う。

彼女のように、理由として、高いIQだから「ギフテッド」なのではなくて、何かしらの種目に結果を残しているから「ギフテッド」と言えるだろうと思う。

才能というのが結果論なのは、それが複合的だからだ(そしてその本質は社会に在り、彼女はおそらく社会に出てからもその高い才能を発揮するだろうが、それは何等保障されていない。またそれと別のことであるが、あくまで彼女に自由があり、「才能を発揮しない」自由がある。自由は社会にあるか個人にあるか、カント的命題だ)。そして、因果関係を説明するその関数は、自明に得られない。何かしらの帰結主義に準拠せざるを得ない。

 

ハンナ・アーレントは「労働」と「仕事」を弁別したが、彼女の勉強は「労働」だろうか、「仕事」だろうか。

  1. 日常の設計であること
  2. 具体的には、時間配分であること
  3. そのうえで、繰り返しであること
    1. ルーティン(習慣的)であること
    2. メソッド(認知的、訓練的)であること
  4. 外部性があること

Hannah Arendt was a German-born American political theorist, widely known for her work on totalitarianism, the nature of power, and the philosophy of politics. Her life, work, and thoughts on labor are interconnected and have significantly influenced modern political philosophy.

Life:

Hannah Arendt was born on October 14, 1906, in Hanover, Germany. She studied philosophy at the University of Marburg under the tutelage of Martin Heidegger, one of the most influential philosophers of the 20th century, with whom she had a complicated personal and intellectual relationship. Arendt fled Germany in 1933 due to the rise of the Nazi regime, eventually settling in the United States in 1941. Throughout her life, she held academic positions at various institutions, including Princeton University and The New School in New York City.

Work:

Arendt's work spans a wide range of topics, but some of her most influential contributions include:

  1. The Human Condition (1958): In this seminal work, Arendt distinguishes between the private realm of the household, the public realm of political life, and the social realm of labor and work. She argues that the rise of the social realm, dominated by concerns of labor and productivity, has eroded the importance of political action and freedom.

  2. The Origins of Totalitarianism (1951): Arendt's analysis of totalitarianism, particularly Nazi and Stalinist regimes, remains a classic in political theory. She explores how these regimes used terror, propaganda, and bureaucracy to consolidate power and eliminate dissent, and she delves into the psychological and social dynamics that enabled their rise.

  3. Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil (1963): Arendt's coverage of the trial of Adolf Eichmann, a Nazi official responsible for organizing the logistics of the Holocaust, generated considerable controversy. In it, she coined the phrase "the banality of evil" to describe how ordinary individuals can commit extraordinary acts of cruelty when they participate in bureaucratic systems that strip away their capacity for moral judgment.

Labor:

Arendt's views on labor are intertwined with her broader philosophical outlook. In "The Human Condition," she distinguishes between labor, work, and action. Labor, for Arendt, refers to the necessary activities individuals engage in to sustain their lives, such as biological processes and the production of goods for immediate consumption. She contrasts labor with the realm of work, where individuals engage in creative and purposeful activities to build and maintain the human-made world. Arendt suggests that while labor is necessary for survival, it does not contribute to the creation of lasting human artifacts or the formation of meaningful political communities. Consequently, she views labor as a potentially dehumanizing aspect of modern society, where individuals are reduced to mere producers and consumers, disconnected from the realm of political action and freedom.

Arendt's exploration of labor, along with her broader philosophical insights, continues to shape discussions on politics, society, and the human condition.

ハンナ・アーレントは、トータリタリズム(註:全体主義)、権力の性質、政治哲学に関する研究で広く知られる、ドイツ生まれのアメリカの政治理論家でした。彼女の生涯、業績、労働に関する考えは相互に関連しており、現代の政治哲学に大きな影響を与えました。

生涯:

ハンナ・アーレント1906年10月14日にドイツのハノーファーで生まれました。彼女は20世紀最も影響力のある哲学者の一人であるマルティン・ハイデガーの指導の下、マールブルク大学で哲学を学びましたが、彼女は彼との複雑な個人的および知的な関係を持っています。ナチ政権の台頭により、アーレントは1933年にドイツを離れ、1941年にアメリカ合衆国に定住しました。彼女の生涯を通じて、プリンストン大学ニューヨーク市のニュースクールなど、さまざまな機関で学術的な地位を保持しました。

業績:

アーレントの業績は幅広いトピックにわたっていますが、彼女の最も影響力のある貢献のいくつかには次のものがあります:

  1. 『人間の条件』(1958):この画期的な著作で、アーレントは家庭の私的領域、政治生活の公共領域、労働と仕事の社会的領域を区別しています。彼女は、労働と生産性の問題に支配された社会的領域の台頭が、政治的行動と自由の重要性を浸食させたと主張しています。

  2. 全体主義の起源』(1951):アーレント全体主義に関する分析、特にナチススターリン主義の体制について、これは政治理論の古典として残っています。彼女はこれらの体制が恐怖、プロパガンダ官僚主義を利用して権力を強化し、異議を排除する方法を探究し、それらの台頭を可能にした心理的および社会的なダイナミクスに深く入り込みます。

  3. 『エイヒマン・イン・エルサレム:悪の凡庸さについての報告』(1963):アーレントのアドルフ・アイヒマン裁判の取材は相当な論争を引き起こしました。彼女は、ナチスホロコーストの物流を組織した責任者であるアドルフ・アイヒマンについて取り上げ、彼女は「悪の凡庸さ」というフレーズを作り出し、官僚制度に参加することで普通の人々が非凡な残虐行為を行うことができる様子を表現しています。

労働:

アーレントの労働に関する考えは彼女のより広い哲学的見解と密接に結びついています。「人間の条件」では、彼女は労働、仕事、行動を区別しています。アーレントにとって、労働とは個人が生活を維持するために行う必要な活動を指し、生物学的プロセスや即時消費のための物品の生産などが含まれます。彼女は労働と仕事の領域を対比させ、個人が創造的で目的を持った活動を行い、人間が作り出した世界を築き維持することを説明します。アーレントは、労働が生存には必要であるが、持続可能な人間の芸術品の創造や意義ある政治的コミュニティの形成には貢献しないと考えています。その結果、彼女は労働を現代社会の人間を単なる生産者や消費者に減らし、政治的行動と自由の領域から切り離された、人間を非人間化する可能性のある側面と見ています。

アーレントの労働に関する探求は、彼女のより広い哲学的洞察と共に、政治、社会、人間の状況に関する議論を形作ることを続けています。

 

 

現代社会では「労働」「仕事」「行為」を独立して理解することは難しく、能力が社会的能力であり、人が社会人であるならば、「仕事」のための「労働」がありえて、勉強などはそうだろうと思う。

すなわち、「仕事」には「労働」による準備が必要だが、「労働」は「仕事」を保障しない非対称な関係がある。ここに「労働」から見た「仕事」の外部性がある。

例えば、彼女は、標準的な参考書を「5周する」という。
「効率的な勉強方法」を主張する向きから、「そんな勉強は意味がない」と言われるかもしれない。

そうではないのだ。これは実はリスク負担であって、

  1. 制度負担(組織負担)
  2. 個人負担

とするかの違いでしかない。それに気付かせないのが、学校制度であるのに過ぎない(学校というのは、そうとは言わずに、小学校、中学校、高校と繰り返し同じ問題を訓練する。ただし、意味を再定義するなどで工夫する。「発展的」であることだが、しかし、繰り返しであることに違いはなく、そのことが重要である)。

学校は、もとより社会の再生産を構成員の再生産から担う社会機関であるが、社会に接続する「部分社会」として2つのリスクを負担している。

彼女の勉強方法は、個人でリスクを負担しているのに過ぎない。高コストであるところ、彼女はそれに耐えている。ここに「社会的無責任」の発生余地はないのである。

勉強とはまずは「耐える」ことであるだろうと思う。

それには、

  1. 体力的負担
  2. 精神的負担

の2つがある。何よりもさきに、体力がついてゆかなければならない。「体育座り(三角座り)」は身体拘束であると指摘されるが、「机に座る」ことも身体拘束であって身体的苦痛を伴う(最近はそれゆえの長時間の事務作業の弊害も指摘されるようになった。「机に座る」こと自体が人間の原初的な身体的機能と能力から言ってそもそも健康的ではないのだ)。人間が「長時間机に座れる」のは単純にそのように身体を訓練した成果に過ぎない。

実は、そもそも、そのことに耐えられない児童は居る。

Hannah Arendt's distinction between "labor," "work," and "action" in terms of routine and method is a central aspect of her philosophical framework presented in her work "The Human Condition." Let's delve into each of these concepts and their relation to routine and method:

  1. Labor (Vita activa):

    • Routine: Labor, for Arendt, is associated with the activities necessary for the maintenance of biological life, such as eating, sleeping, and reproduction. These activities are repetitive and cyclical, constituting a routine that is essential for individual survival.
    • Method: The method of labor revolves around the cyclical repetition of biological processes. There is often little room for deviation from this routine, as the goal is primarily to meet immediate biological needs. Labor involves physical exertion and is often performed out of necessity rather than choice.
  2. Work (Homo faber):

    • Routine: Work involves the fabrication and creation of the human-made world, including the construction of tools, buildings, and artifacts. Unlike labor, which is cyclical and repetitive, work entails a more deliberate and purposeful engagement with the material world.
    • Method: The method of work is characterized by craftsmanship and skill. It involves the application of techniques and the use of tools to transform raw materials into meaningful objects. Work requires planning, design, and execution, and it often follows a more structured and intentional process compared to labor.
  3. Action (Homo politicus):

    • Routine: Action, in Arendt's conception, transcends routine as it involves the realm of human interaction and engagement in the public sphere. It encompasses activities such as political participation, discourse, and decision-making that shape the course of human affairs.
    • Method: The method of action is less prescriptive and structured compared to labor and work. It involves spontaneous and unpredictable encounters with others, where individuals engage in dialogue, persuasion, and negotiation to influence the course of events. Action is characterized by its openness to plurality and the unpredictability of human interactions.

Arendt emphasizes that while labor and work are essential aspects of human life, they belong to the realm of necessity, where individuals are primarily concerned with survival and the satisfaction of immediate needs. In contrast, action represents the realm of freedom, where individuals engage in meaningful interactions with others, exercise their capacity for speech and thought, and participate in the creation of shared political and social realities. By distinguishing between labor, work, and action in terms of routine and method, Arendt offers a nuanced understanding of human activity and the various dimensions of human existence.

Hannah Arendtの「労働」、「作業」、および「行動」の区別は、日常と方法論の観点から彼女の哲学的枠組みの中心的側面です。それぞれの概念とそれらが日常と方法論との関係について詳しく説明しましょう:

  1. 労働(Vita activa):

    • 日常: アーレントにとって、労働は生物学的な生活を維持するために必要な活動に関連しており、食事、睡眠、繁殖などが含まれます。これらの活動は繰り返しであり、周期的であり、個人の生存にとって不可欠な日常を構成しています。
    • 方法論: 労働の方法は、生物学的プロセスの周期的な反復を中心としています。この日常からの逸脱の余地はほとんどなく、目標は主に直接の生物学的ニーズを満たすことです。労働は身体的な努力を伴い、選択ではなく必要性によって行われることが多いです。
  2. 作業(Homo faber):

    • 日常: 作業には、道具、建物、工芸品など、人間が作り出した世界の製造と創造が含まれます。労働とは異なり、作業はより慎重で目的がある素材の世界との関与を意味します。
    • 方法論: 作業の方法は、技術と技能に特徴付けられます。これには、素材を意味のあるオブジェクトに変換するための技術とツールの使用が含まれます。作業には計画、設計、実行が必要であり、労働と比較してより構造化され、意図的なプロセスに従うことが多いです。
  3. 行動(Homo politicus):

    • 日常: アーレントの概念では、行動は他者との相互作用と公共領域での参加を含みます。政治的参加、対話、意思決定など、人間の行動を形作る活動が含まれます。
    • 方法論: 行動の方法は、労働や作業と比較して、より規定的で構造化されていません。これは、他者との突発的で予測不能な出会いを含む、個々人が人間関係において言葉や思考の能力を行使し、共有された政治的および社会的現実の創造に参加する場面です。行動は多様性への開放性と人間関係の予測不能さを特徴としています。

アーレントは、労働と作業が人間の生活の重要な側面である一方で、これらは必然性の領域に属し、個々人は主に生存と直接的なニーズの満足に関心を持っています。それに対して、行動は自由の領域を表し、個々人は他者との意味のある相互作用に従事し、スピーチや思考の能力を行使し、共有された政治的および社会的現実の創造に参加します。労働、作業、行動を日常と方法論の観点から区別することで、アーレントは人間の活動の微妙な理解と人間存在のさまざまな側面を提供しています。

 

勉強が学生の「仕事」とはよく言ったもので、勉強とは「仕事」をする上での「労働」に位置付けられるはずのところ、「仕事」が社会人のものであるために、部分的に制限される学生には、「労働」が「仕事」となる。

ともあれ、ギフテッドである彼女は、将来に於いて、きっと、彼女の望み通りの素敵な仕事を得られるだろうと思う。


ゆたぼんに関して言えば、まずはここからではないか、と思っている。

日常生活に勉強時間を配分して、継続することに努力を傾注する。
まずは「継続して努力する」などに存する「効果目的を指向する」態度をあらためて、「継続すること自体に努力する」ことを目的とする。この限りで意味を棚上げにすることに眼目がある。

  1. 身体能力
  2. 計算能力
  3. 言語能力

から、それをどう実現してゆくかをデザインする。
彼は、「100マス計算」から始めて、「宮本式(賢くなる計算)パズル」に進めばよいのではないかと思う。もちろん、高等学校卒業程度認定試験(旧大検)を目指すのであるから、それだけを行っていればよいのではなく各単元の勉強も必要であるが、ここからじゃないかと思う。要は、中学校で行う始業前の朝のドリルのようなもので、効果はあると思う(学校では、単元の学習に基づくものであるが、ゆたぼんの場合は、基礎的な計算能力、及び認知的な勉強の習慣づけ—要は、頭の切り替え。頭のスイッチ—を目標とする。)。

意味がないのではない。意味を求める必要がないのだ。それがホーリズムであって、外部性である。意味は結果を受け入れるために求められるのに過ぎないのであって、それがロマンチシズムであり、主体性である。

余談であるが、人間は宗教を半面で必要としなくなった。ホーリズムとロマンチシズムに過ぎないからである。

  1. 教義の要求
  2. 共同体形成

それが1であり、もう半面が2である。

ゆたぼんの生活上の問題乃至課題は、

  1. 虚言癖(の克服;「嘘つき」ということではない)
  2. 快楽傾向(の克服)
  3. 依存傾向(の克服)

であり、生活上の目標は、「等身大の自己に主体的な意味を見出す」ことである。

それと彼は仮想通貨を巡る父親との金銭上のトラブルを匂わせていたが、それももちろん大事なことであるので、まずはその記録を 詳細に、、、 残して、高等学校卒業程度認定試験(旧大検)の勉強に余裕があれば、受験勉強、或いは、ファイナンシャル・プランナーの勉強をしたらどうかと思う。

つまり、18歳での経済的自立を目指すのであって、親子の金銭トラブルは、場合によっては「縁を切る」ことも視野に入るので、適切に準備を進めるのである。

これは脅しで言っているのではなく、いずれにしても18歳で精神的自立できているのは望ましいのであるときに、たまたま父親と「対等」な関係に 基づいて、、、、 話をする機会が訪れたということである。金融知識と法律知識は専門家に頼ったほうがよいと思う。

それに関してゆたぼん自身に必要なのは、自立する準備である(ただし、彼が発達障碍ならば、場合によっては、自立を旨としつつも、継続して親、家族の協力と協調を必要とするかもしれない)。

ゆたぼんはやっぱり不安を隠せない顔つきが印象的だよね。
それが個人の資質によるものなのか、親しい者との関係によるものなのか判然としない。あるいは発達障碍特有の過剰のせいなのかもわからない。

彼は法螺(嘘ではない。)を吹いているときが一番いきいきとしている。これが反転(的な逸脱)行動なのかが気がかりな点である。もっと年齢に応じた自信を持つことが望ましい。

なんかよくわからないんだけれど、要は、1超電導技術で頑張っているチームと、2冷却原子技術で頑張っているチームがあって、2のチームがブレークスルー果たして、1が先を越されて嘆いているってことなのかな。要は、電子か原子かだったのかね?

昔、IPSチームとESチームが競っていて、ESが有望だったけれど、IPSがブレークスルーを果たして、 ESへの投資、、、、、、 が壊滅的になったというのと近いのかね?

へー。

カント以降における物理学者アインシュタインの発明主義と数学者フォン・ノイマンの発見主義                      「ギリシャ哲学リバイバル後」のヨーロッパの「人間がサイコロを振る世紀」


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哲学における6大勘違い

  1. シェークスピアの「生きるべきか、死ぬべきか」
    —善き死を巡る(古代の物語の)キリスト教的問答へ展開。キリスト教の擁護であって、答えは決まっており、そのニュアンスを日本語に翻訳するのはそもそも難しい。比較対象は、24年後に生まれたホッブスが著した『リヴァイアサン』。
  2. デカルトの「我思うゆえに我あり」
    —近世的神学観(直観的実在観)に根ざすテキスト(シンボル操作)に基づく近代的論理学の先駆け
  3. カントの「認識論的展開(コペルニクス的転回)」
    デカルトの実在観(名辞論理)を克服する、主語が従属する述語的展開
  4. ニーチェ
    ルネサンスヘブライズム、ヘラニズム、ゲルマニズムの調和)の完成としての「近代」以降のローマ主義を批判するギリシャ主義
  5. アインシュタインの「神はサイコロを振らない
    —人間による発明主義の(皮肉な)宣言
  6. ゲーデル不完全性定理
    ヒルベルトプログラムの否定的解決による数学の可能性の展開(計算主義を批判して論理に従属する計算を指向する概念数学、その裏に在る数学におけるギリシャ主義を標榜したヒルベルトとその学統のその後の発展)

アインシュタインノイマンの微妙な関係は、政治的立場(アインシュタインはリベラルで、ノイマンゲーデル保守主義者であった。)と、ヒルベルトを巡る、従って、ギリシャ主義を巡る、従って、カントを巡る、物理学者と数学者の或る種の緊張関係を裏に持っていたと思う。


デカルトもそうであるが、)カントが理解されないのは、アリストテレス哲学の受容史を欠くからとしか言いようがない。

ガザーリーライプニッツ、就中、「認識」「本質」「本性」「偶有性」「充足理由律」(例えば、三角形の本質が「三角形そのもの」と見なせるばらば、「三角形の内角の和は2∠R」であるとか「平行でない線分で囲まれる図形」であるとかは、本性を指す。本性とは本質的な説明であって本質そのものではなく、それは本質とはそれ以外に説明のしようのないことであるからである。本性とは本質にかかわると思しき内容に関して事後的が説明を加えられるときに、その内容のことであると理解できる。)、それに加えて名辞論理と命題論理(例えば、因果的論理は、原因と結果を説明するが、論理に時間を加えたものとみなされる)の理解が必要なのだろう。

カントの語彙に振り回されすぎな感が否めない。

そもそも「認識」はカントの発見した語彙でもなんでもない。
当時は、アリストテレス論理学の完成が目指されていたのに過ぎないのだ。

その経緯に於いて、神学と哲学の関係が整理され、心理学と論理学が分別され、数学と科学に革命が起きることとなったのである。

「普遍的」であることが強調されるのでわかりにくいが、要は、ヨーロッパ大陸の精神史、内容もそうであるが、イスラム哲学者の活躍やルネサンスなど事件の経緯を説明する歴史の側面が軽視されている。日本人は基本的にそれを共有していないのだから、議論の前提を有していないと言える。

だから、説明が晦渋なわりに、習合仏教的な観念論に落ち着く(日本における近代史において、実際に、新仏教が興隆して広範な影響を与えたが、戦後の吉本隆明の内容のなさなどもこれに起因しているだろうと思う。吉本の無内容は、習合を通じて日本流に考える工夫程度の話で、何番煎じかすらわからない)。

メモ いや、本当に勉強になります。正直、感心している。


www.youtube.com

まだ途中だけれど。

興味深かったので。

まずかなえ先生の話を理解する前提知識としては

wirolabo.net

規範類型を理解しておくこと。

すなわち「法」が「規範」であるとは、

  1. 行為規範
  2. 裁判規範
  3. 組織規範

であるとき、就中、「裁判規範」に着目する。
このとき、法の種類には、

  1. 実体法
  2. 手続法

があるとき、日本のラジオで説明したのは、立法に着目した法令の違いについてであったが、ここで説明されているのは、司法に着目して、訴訟手続きから実体法を見ているとイメージするとわかりやすいかもしれない。

要は、「連邦法」という実体法は、裁判規範として、連邦裁判所の司法手続きを規定する手続法と一連のものであるということのようだ(また、州法も同様)。

lex.tokyo

日本国憲法第41条 - Wikipedia

日本国憲法第92条 - Wikipedia

日本国憲法第94条 - Wikipedia

日本の地方行政の概要総務省資料)

政治学に事寄せて、「合衆国」といいう在り方が、「独立国の集まりのようなもの」というのが正しいか正しくないかはさておき(これは、ヨーロッパの歴史もあって、アメリカはそういう在り方と理解する方が自然だ—ユダヤ人ネイション※、ドイツ帝国ソ連など、域内で「世界」を為した例は枚挙に暇がない。州の憲法に関しては、イギリスとの植民地契約を踏まえているので、一説では最初の憲法である—別の説もあるらしい—マサチューセッツ州憲法には、色濃く「契約書」の体裁を残していたらしい。)、このとき、建国の父たちがどのように建国したかを見ると、銀行については、アレクサンダー・ハミルトンである。

※従前なら、ステイトとネイションは違うという「わかったような言い方」もできたが、「ユダヤ人ネイション」(もちろん、正式の国家ではない。)の成立を見るにつけ、異なる歴史の曲面を見合わせて類似性を発見できても、経緯と影響を鑑みて判断すべきで、それぞれであると考える方が無理がない。アメリカの場合は、イギリスの植民地経営の戦略的巧緻が無視できない(そればかりでもないと思うが)。

それでも、比喩が分かりやすいのは、国際刑事裁判所があるからである

国際刑事裁判所 - Wikipedia

捜査を担う警察組織がどうなっているかは知らない。


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日本でも「詐欺」は視野に入ってきますけれどね。

以前はテレビのバラエティーでも取り上げていた。