事実の探求は興味深いが(文化人類学上の功績〇)、疑似問題である(政治学上の功績✖)

 

 単純に「政治学」の体系的理解が及んでいないだけだと思う。
言い換えると、「近代国家」の基本問題設定を理解してない。
それは、モダン社会が、ポスト・キリスト教社会であることを正しく理解しているかを踏まえる。
つまり、神無き無限問題で、分割問題である。
近代国家は「満ちる」ことが予定されており(だから、「満州」は、、)、近代人は「属する」ことが予定されている。
ここにおいて「無国籍」が理念上は認められない(実際には、法の穴に落ちる人はいる)。ならば、すべてが内に在ることの動員問題に帰着する。
したがって、デヴィッド・グレーバーが言うべきは、「アナーキー無政府主義)」ではなく「国籍離脱の自由」だったのだ※。
ギリシア云々は、歴史的事実のことではなく、理論的系譜の再帰的意味づけである。ギリシアにそのような理論上の契機を発見した、という話である。イデオロギーと言ってよい。
支配/被支配云々は、その文脈を踏まえて、アローを考えればよいだけである。それは構造問題であって、構成上の動機は問題とならない。
※ここで謂う「国籍離脱の自由」は「入籍」を伴なわない。無国籍の自由な選択である。ちなみに、天皇陛下ですら、日本国籍を有する。つまり、天皇制はこの意味で、まごうことなき近代的制度なのだ。


👇日本人が読むべきは、『カラマーゾフの兄弟』ではなく、『魔の山』である。

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