丸山 眞男のファシスト的側面

www.nhk.or.jp

チコちゃん(再)面白いな。アカペラとポリフォニー
ルター出てきた。
プロテスタントでは、聖歌の歌詞が良くわからないと大問題。
教会音楽の父パレストリーナが出てきて、「シンプル」で「美しいシンフォニー」となった。ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ - Wikipedia

一方、「一円融合」は「円理」との関係を考えると、楕円はどうであったか。
👇Google Playを使うと、データで買えて安い。

日本数学史講話(澤田吾一) / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」

増修日本数学史(遠藤利貞 遺著 ; 三上義夫 編 ; 平山諦 補訂) / 智新堂書店 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」

無限等比級数の発見

https://www.jstage.jst.go.jp/article/tja1948/17/2/17_2_179/_pdf

二重積分の発見など
安島直円 - Wikipedia

サイクロイド曲線、放物線の研究など
和田寧 - Wikipedia
和田寧とは - コトバンク

しかし、楕円はどこまで研究されていたか。

数学の技術的進展はさておき、「一円融合」にみられる、閉じた幾何学的世界観であるり、二宮尊徳には、キリスト教神学の文献学的伝統であるコピュラの発見が見られないことである。
そこらへんがどうも「日本語は論理的ではない」との誤解を生んでいるようだ。
論理の一つの本質は「導引」であって、或いは接辞、或いは接続語で表現されることである。概念を中心に考え、接辞は「付属物」くらいの扱いだろうか。
接辞は概念と同等に理解されるべきである。
それが「日本語は論理的ではない」の原因でありまた、日本語文法の理解だけでは物足りない理由であるようだ(☟【検討】)。

戦後においてまだ「いきほい」に拘るのは(もちろん、日本的なファシズムに関する政治学的な研究動機があるが)ほとんど無内容であり、係る詩情は、戦前の蓑田らの論理学の伝統だろうか。それは構成論理ではなく解説論理であって、彼らのロジックを所与として受け入れて詳解してしまっている。
丸山真男も(反対的な意味であるとはいえ)所詮、「ファシスト」(の伝統を肯定した者)であった
そうか、美濃部やら丸山やら、こういったことを完全に反証してゆかなければならないらしい。

markovproperty.hatenadiary.com


【検討】「論理的」と示唆/包含/評価

論理的示唆を表現する日本語表記〈然・は〉と論理的包含を表現する〈実・も〉の実例として、いわゆる「うなぎ文」がある。

先行の事柄に対し、後続の事柄が反対、対立の関係にあることを示す。

然はあれどもとは - コトバンク

👆から〈然・は〉だけを抽出すると、

  先行の事柄に対し後続の事柄が反対、対立の関係にあることを示す

ここですでに〈が〉が使用されていて、相互規約であることがわかる。
すなわち、

  僕〈は〉うなぎだ ⇔ 僕〈が〉うなぎだ

  僕〈は〉うなぎだ {A} A→V | V  〈論理的示唆〉

  僕〈が〉うなぎだ {{A1}…{An}…}      〈論理的包含〉

の関係を説明している。

任意の x に対して x ≥ 1000 ⇒ x ≥ 100

論理包含 - Wikipedia

これは何を言っているかと謂うと、選択群{x}と評価群{100,1000}に拠る様相{≥}と構造的な、、、、{⇒}が表現されている。
これが「包含」であるとは、構造的な、、、、{⇒}もまた様相を表現して含意されるということであるので、論理的示唆はこのような構造的な、、、、論理的包含ではない、、、、こととして定義される。だから、オッカムは真に画期的で、実は、ラッセルまで一直線であって、ルターを「パラドックスの真の発見者」としたのもこういった機序であった※。
※それ以前に矛盾的な表現があったとしても、論理上のパラドックスはオッカムによる発見を待たねばならなかった。
反対に謂うと、「日本語が論理的でない」との言い分はこういう機序の欠如のことである。しかし、「然はあれども」とエレガントに表現されたように、日本語もまたヨーロッパの言語と同じように論理的である。
「日本語が論理的でない」よう受け取られることになったのは、おそらくその後の歴史上の文化的経緯によるだろうと思う。

オッカムの「唯名論」は、オッカムの言葉尻を捉えて理解すると、日本人には「真名論」になってしまうだけであった。その経緯から遡及的に、オッカムはルターを準備したと考えた方がわかりやすい。またその反対に、人文学的オッカム(としてのエラスムス)と護教的オッカム(としてのルター)に分かれた(うえで、パラドックスの発見による再統合したオッカムー再人文学的オッカムとしてのツヴィングリ)と考えるとなおよい(そうして、エラスムスに否定されたはずの「優神論」をフィヒテが文献上再発見したのであったーただし、「汎神論」への勘違いとして)。
そうすると、自由主義イエリネックである美濃部とそうではない(本流イェリネックの)上杉の関係によすがを与えることになってよいが、実はその「自由主義」には英學という側面と「小日本主義」という側面があったと理解するときに、それをうまく理論化したのが例えば「報徳思想」という土着思想だったと考えると歴史の見通しがよくなる(これが外来思想でない点が味噌で、日本は「あはれ」のほかに「円理」も持ったのだが、それに「報徳」を加えて違和感がない)。

一木はまさにそのようにイェリネックの言葉尻を捉えて自己の報徳思想を再発見したのだ。