今日の新聞の占いを見て、朝からつくづく思ったのだけれど。
この人たちは、自分たちが「脅迫」しているとは思っていないんだな
ってね。
markovproperty.hatenadiary.com
「昭和」がなぜ、暴力的だったかというと、「甘えている」乃至「根性がない」、或いは「未来がない」という言葉が有効だったからなんだよ。
前者が否定的示唆で、後者が否定的包含。前者が規範で、後者が排除(否定的救済)。
こういった言葉を独占できたからだろうと思う。
指導顧問も、(自身が)びびってたのかな?、ということと、暴力って依存性と亢進性があるから(関西の方でもあったかな?)興奮しちゃって歯止めが効かなくなったのかな?というのはあるけれど。
「昭和」が暴力的だったのは、これが「当たり前」だったからなんだよね。
今朝の占いを見ていたら、何の違和感もなく脅迫しているものだから、「昭和」ってこういうことだよなって思いだした。
だから、談話分析が、高校生にとって「当事者」として必要なんだけれど、じゃあ、国文国語学者が、或いは、現場の国語教師たちが、
どういう言葉を以て、それを否定しているか、或いは結果として排除しているか
を見たときに、それもまた談話分析の対象だろうと思うね。
なぜなら、それが「昭和」だから。
共通 | 〔知識及び技能〕 | 〔思考力、判断力、表現力等〕 | 含むと考えられること |
---|---|---|---|
現代の国語 | 情報の扱い方 | 話すこと、聞くこと | 「理系作文」「議論」 |
言語文化 |
選択 | 〔知識及び技能〕 | 〔思考力、判断力、表現力等〕 | 含むと考えられること |
---|---|---|---|
論理国語 | 情報の扱い方 | 「法学」「哲学」「倫理」「時事」 | |
文学国語 | (「批評」) | ||
国語表現 | 話すこと、聞くこと | 「談話」「対話」「討論」「弁論」 | |
古典探求 |
読み始めた。
語用論で
ないものはない
に2つの意味が与えられることに触れている。
これからは感想だが、それは実は、
ないもの〈は〉ない 示唆:「同移率」表現を用いた評価の一意性
ないもの〈が〉ない 様相:包含{0}{1}を用いて、{{0},... ,{0}}
の本来2系で表現されるところ、〈は〉の本質的な修飾性が際立つため、強意をなっている。前者は、手続きを踏んでも判断(評価)が覆らないことを説得的に言うために(つまり、「これ以上探しても、無駄」。)、後者は、すべての内容を含んで、他の選択の猶予がないさまを説得的に言うために(つまり、「なんでもある」。)使用される。このときに、意味を超える意図が彫琢され、語用が論じられる。
すなわち、後者から、
ないものがありません
のニュアンスに近づく。(発話行為における、会話の相手が居る中での)謙譲表現による「浮上」効果が、係助詞の含意する「強意」に近づく。