維新の会が「憲法裁判所」なんて言ったら、維新の会の存在意義が薄れるんじゃないかなぁ。
それは、保守と「リベラル」でしょ。つまり、どっちも大陸志向なんであって。
維新は、アメリカ型憲法とアメリカ型概念形成って方向じゃないのかな?

((明治"國体"保守/明治"国体"保守「リベラル」)/アメリカ型維新)/存在論的公明)という4つの立場が僕の見立てだったんだけれど。
維新の画期は、「戦後」の化けの皮を剥ぐってことだったはずで。それが「憲法裁判所」なんて言ったら、「戦後」の上に胡坐をかくだけであって。
「戦後」という対立点を設けると。
"逆に"、「リベラル」を主としてその欺瞞にベタに対立するのが保守で、メタに対立するのが維新のはずで、つまり、「リベラル」は本当は国体を保守しているだけなんだけれどそれを隠して嘘をついていて、その嘘を真に捉えて反発しているのが保守で、それを「いや、それ嘘じゃん。」って言うのが、維新のはず。「だって、日本国憲法、アメリカ型だし。もうごまかすのやめよーぜ」って。だから、国民投票。「リベラル」は隠しておきたいから国民投票には基本的に反対。いろいろと「エリート」っぽく、理由を付してね。要は、隠しておきたいだけなんだけなんだけれど。


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主語(存在的)から主体(存在論的)へ

数とは何か そしてまた何であったか

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大学及び入試改革が、なぜかこの方向から話されないというね。

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