日渤関係を記述するための意味論的モデルの再検討
1 問題の所在
日渤関係を記述する際には、これを単純に「対等」または「非対等」のいずれかへ分類するだけでは、史料に現れる関係の複雑さを十分に捉えられない。
日渤間では、使節、国書、牒、信物・方物、迎接、宴、返礼などの外交実践が現実に共有されていた。しかし、同一の使節往来や文書・物品授受が、日本側と渤海側において、必ずしも同一の関係として表示されていたわけではない。渤海側文書として伝わる文面には聘隣・隣好・前好などの語彙が現れ、日本側文書には朝貢・職貢・述職などの語彙が現れる。
したがって、日渤関係は、相互に接触しない二つの世界の対立としてではなく、同じ外交実践に参加しながら、それに与える関係上の位置づけが必ずしも一致しない接触として記述すべきである。
本稿は、この位置づけを「関係上の位」と呼ぶ。そして、誰が、どの外交的項を、どの文書・語彙・儀礼手続によって、いかなる関係上の位へ配置したかを問う。
2 関係・世界・位
本稿において「関係」とは、あらかじめ完成した二つの主体を外部から結ぶ一本の線を意味しない。関係とは、一定の意味の中心を基準として、人物、文書、物品および行為に特定の資格を与え、それらを一つの秩序として配置することである。
ただし、歴史的行為者の存在そのものが関係によって初めて生成される、と主張する必要はない。関係によって構成されるのは、行為者の存在ではなく、その行為者が特定の外交局面において、天子、国王、蕃国王、臣、賓、朝貢使、入覲使または隣国使のいずれとして取り扱われるかという資格である。本稿では、この資格を「関係上の位」と呼ぶ。
同様に、本稿でいう「世界」は、地理的範囲または政治的支配領域そのものではない。それは、一定の語彙、文書形式、制度および儀礼によって、ある関係の意味が有効に成立する範囲を指す。「世界」は史料語ではなく、本稿の分析語である。
中華的礼秩序を一つの意味世界として扱うならば、天子、臣、蕃、朝貢、冊封、賜与、述職、入覲などは、孤立した語ではなく、相互に意味を規定する配置規則を形成する。使節の来訪、文書の提出、物品の進献、宴、授位および返礼は、この配置の内部に置かれることで、朝貢、述職、賜与または賓礼として記述される。
しかし、異なる意味世界を区別することから、両者が対象、実務、語彙のいずれも共有していなかったという結論は導かれない。日渤双方は、海路、使節往来、文書交換、物品授受、迎接、宴および返礼という外交実践を共有していた。また、両者は漢文による外交文書と、東アジアの礼制に由来する一定の語彙を部分的に共有していた。
より正確には、日渤双方は、外交的項と一定の語彙・手続を共有していたが、それらに与える関係上の位が常に一致していたわけではない、と記述すべきである。
3 外交的項と関係付与
本稿では、使節派遣の出来事、国書、啓、牒、信物、土宜、方物、迎接、宴および返礼などを一括して「外交的項」と呼ぶ。
外交的項は、すべてを同一種類の物として扱う概念ではない。文書、人物、物品、出来事および儀礼行為という異なる型の対象を、外交関係の分析対象として包括するための総称である。
日本側と渤海側の関係付与を比較する際には、現存史料に表明された公的な関係記述を対象とする必要がある。ここで比較されるのは、行為者の内面的信念そのものではなく、文書形式、称号、物品表示、使節編成、受理・拒否、迎接、宴および返礼などの手続に現れた関係付与である。
すべての外交的項について双方の文書が残っているわけではないため、比較は史料上確認可能な局面に限定される。また、日本側史書に渤海発給文書として収録された文面を用いる場合、それを現存する渤海側原本と同一視してはならない。原則として、「日本側史書に渤海発給文書として収録された文面」または「渤海側文書として伝わる文面」と記すべきである。
本稿でいう call は、この公的な関係付与を表す便宜的な分析語である。call とは、ある行為者または制度が、文書形式、称号、物品表示、席次、宴、返礼、受理または拒否などの具体的手続を通じて、ある外交的項を特定の関係記述の内部へ配置することを意味する。
したがって、call は単なる命名ではない。他方で、それは行為者の内面的信念を直接復元する操作でもない。史料上確認できる公的な関係表示と、それによる制度的処理を指す。
日本側と渤海側の関係付与を、分析者の共通メタ言語上で比較することは可能である。しかし、そのメタ言語は、日渤双方が歴史的に単一の尺度を共有していたことを意味しない。必要なのは、現存史料に現れる二つの関係表示を比較可能にする分析上の記述であって、近代的な共通尺度を古代の行為者へ帰属させることではない。
4 初期日渤交渉における関係表示
『続日本紀』における渤海使来日の初見は、神亀四年、すなわち七二七年九月条である。そこには、渤海郡王使の首領高斉徳ら八人が出羽国に到着したことが記されている。
翌神亀五年、すなわち七二八年正月、高斉徳らは、渤海王武芸の文書と方物を提出した。日本側史書に渤海発給文書として収録されたその文面には、使節派遣について「通使聘隣、始乎今日」とあり、物品について「土宜雖賤」と述べ、さらに「永敦隣好」と記されていた。また、貂皮三百張の送付も記録されている。
ここから確認できるのは、少なくとも当該文面において、渤海側が最初の対日使節派遣を聘隣および隣好の語彙によって公的に表示したことである。
もっとも、聘隣・隣好という語彙だけから、渤海が日本との包括的な対等関係を構想していたとまで導くことはできない。隣、好、聘は、朝貢語彙とは異なる関係表示を含みうるが、それだけで近代的な同権性または主権平等を意味するわけではない。
これに対し、宝亀三年、すなわち七七二年の日本側国書は、過去の日渤関係を「朝貢相續」「始修職貢」「獻誠述職」と記述した。また、渤海側文書に現れた「舅甥」という関係表示を、「故妄稱舅甥、於禮失矣」として退け、日本側の処理について「停其賓禮」と記した。
この国書は、日本側が従来の日渤往来を朝貢、職貢および述職の系列へ配置し、渤海側の提示した舅甥関係を日本側の礼秩序に照らして不適切と判断したことを示す。
したがって、同一の日渤往来について、渤海側文面には聘隣・隣好の表示があり、日本側文面には朝貢・職貢・述職の表示があるという、関係付与の非一致を確認できる。
ただし、この差異は、日渤双方のすべての時期・局面における世界観が完全に異なっていたことを証明しない。確認できるのは、特定の文書局面において、同じ外交的項へ与えられた関係表示が一致していなかったということである。
5 意味の非一致と儀礼実践の継続
壱万福らの使節をめぐる宝亀二年末から同三年初頭の処理は、関係表示をめぐる摩擦と、外交実践の継続とが両立しうることを示している。
日本側は、渤海王表の形式および文言を問題とし、有司に賓礼を停止させた。これに対して壱万福らは表文を改め、渤海王に代わって謝罪した。『続日本紀』は、日本側がその悔悟を認め、改悛を聴許したことを国書に記している。
ここで重要なのは、日本側が渤海側の関係表示をそのまま承認したのでも、渤海側が日本側の関係秩序を全面的に内面化したことが証明されたのでもないということである。文書上の摩擦に対して、表文の改作と謝罪という手続が行われ、その後も復書と贈物を伴う外交実践が継続した。
したがって、関係表示の不一致は、接触そのものの不可能性を意味しない。むしろ、双方の関係理解が一致しないままでも、一定の文書修正と儀礼手続を介して往来が維持されうることを示している。
ただし、日本側が実践を継続した内面的理由や、渤海側が日本側の処理をどの程度受容したかという心理的・戦略的判断を、この史料だけから一義的に確定することはできない。史料が示すのは、関係表示をめぐる摩擦が存在したにもかかわらず、修正手続を経て外交実践が継続したという外形的事実である。
6 九世紀文書と複数語彙の併存
渤海咸和十一年、すなわち八四一年閏九月二十五日付の中台省牒は、渤海中台省から日本国太政官宛ての文書として、『壬生家文書』に写本の形で伝わっている。
これは発給原本ではなく、誤写や異同を含む写本である。『続日本後紀』承和九年、すなわち八四二年三月条には、渤海王啓案と中台省牒案として関連文面が収録されている。近年の金鍾福の研究は、写本を『続日本後紀』等と校合し、中台省牒を日本の太政官へ送られた平行文書と解釈している。ただし、「平行文書」という評価は研究上の結論であり、史料形態そのものと区別して扱う必要がある。
この文書群には、使頭、嗣使、判官、録事、訳語、史生、天文生、大首領、梢工などからなる使節編成が記されている。ここから確認できるのは、日渤交渉が、文書形式、官司および使節構成を伴う制度化された実践であったことである。
八四二年の『続日本後紀』に収録された中台省牒案には、「宜遵舊章、欽修覲禮」「令覲貴國」といった覲礼語彙が現れる。一方、日本側太政官から渤海中台省への答牒には、「福延等來修聘禮」「隣好相尋、匪亶今日」とあり、聘礼・隣好の語彙が用いられている。
ここでは、単純に「渤海側は隣好、日本側は朝貢」と固定することはできない。渤海側文書にも入覲・覲礼の語彙が現れ、日本側文書にも聘礼・隣好の語彙が現れている。日渤双方が利用できる外交語彙は複数であり、その選択は文書形式、宛先、局面および儀礼処理によって変化した。
さらに、『日本三代実録』貞観十四年、すなわち八七二年五月十八日条に収録された渤海王玄錫の啓と中台省牒には、「常與貴國、通使傳命」「善隣顧義」「隣交有節」「尋修前好」といった表現がある一方、「仍令聘覲」「實當聘覲」とも記される。
したがって、同一の文書群の内部に、善隣・隣交・前好の語彙と、聘覲の語彙が併存している。
この併存について、渤海側が相手方に通用する外交語彙を意識的または戦略的に選択したと解釈する余地はある。しかし、史料から直接確認できるのは、複数の関係語彙が同一文書群に現れることまでである。その選択動機を、信念なき演技、戦略的妥協その他の心理的概念によって断定するには、別個の論証が必要である。
7 史料制約と各々性
渤海側の自存史料は限られており、日渤関係の再構成は日本側史書に大きく依存する。この史料偏在のもとで、渤海の真意、自己認識または本当の世界観を一義的に復元することはできない。
しかし、史料制約があるからといって、関係付与の差異を論じられなくなるわけではない。日本側史書に渤海発給文書として収録された語彙と、日本側の復書または処理語彙とが異なる場合、その差異自体は史料上観察可能である。
本稿でいう「各々性」は、孤立した主体が接触以前に完成した意味体系を保持していることを意味しない。また、近代国際法上の主権的独立を意味するものでもない。
各々性とは、共有された外交的項について、一方の公的関係表示を他方の関係付与から自動的に導くことができないという性質である。言い換えれば、相手方の関係付与によって、自己側の公的関係表示が一義的に回収されないことである。
日本側がある使節を朝貢として処理したことから、渤海側も同じ使節を同一の意味で朝貢として表明したと導くことはできない。
反対に、渤海側文書に隣好の語彙が現れたことから、日本側も同じ往来を包括的な隣国間の同格関係として認識していたと導くこともできない。
したがって、「意味論的自律性」という語を用いる場合も、無制約な自己決定を意味させてはならない。本稿で確認できるのは、史料に公的に表明された関係付与の、限定された非回収性である。
また、この非回収性から、渤海側が朝貢・入覲等の語彙を一切使用しなかったと一般化することもできない。九世紀の文書に見られるように、隣好語彙と覲礼語彙は同一の外交関係の内部で併用されうるからである。
8 「対等」の適用範囲
「古代東アジアには対等の意味論的基盤がなかった」という命題は、そのままでは過大である。
古代・中世東アジアには、隣好、交聘、敵礼、兄弟、舅甥などの関係語彙や制度が存在した。その一部には、分析上、相当性、互酬性または形式的な同格性を認めうる。
また、宋・遼関係については、両者の勢力均衡を背景とする外交上の形式的平等を論じる研究が存在する。したがって、前近代東アジアに相当関係または形式的平等が論理的に存在しえなかったとすることはできない。
しかし、これらの一般例または後代例から、日渤関係に包括的な対等が成立していたと導くこともできない。反対に、中華的礼秩序に階層語彙が存在したことだけから、日渤間のあらゆる局面が単一の上下関係に尽くされていたと導くこともできない。
本稿が否定できるのは、より限定された命題である。
すなわち、日渤関係について、
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両者を同種の自立的主体としてあらかじめ定立し、
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地位と権能を測る単一の共通尺度を置き、
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その尺度上の同格性を包括的に判定し、
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その判定を双方に同一の意味で妥当させる、
という近代的かつ包括的な「対等」の共通枠組みを、現存史料から史料内在的に確認することはできない。
この限定は、日渤関係に相当性、互酬性または隣好的関係が存在しなかったという主張ではない。また、包括的な対等を確認できないことから、一方が他方の関係付与を全面的に内面化していたと導くこともできない。
日渤関係では、同じ使節往来、文書、物品および儀礼をめぐって、朝貢・職貢・述職の語彙と、聘隣・隣好・前好・聘礼・聘覲の語彙とが使用された。
したがって、「対等であったか、非対等であったか」という二分法を第一の問いとするのではなく、まず、各局面において、誰が何を、どの関係語彙および手続によって配置したかを問わなければならない。
対等または非対等という評価が可能であるとしても、それはこの関係付与の分析を経た後の二次的判定である。
9 既存研究との関係
朝貢体制を、前近代東アジア全体を一元的に説明する単一かつ静態的な秩序として実体化することへの批判は、本稿の問題設定を補強する。
Kim Bongjinは、前近代東アジア秩序を単純な「朝貢体制」の像へ還元することを批判し、階層性とともに互酬性、公平な配分、調和、共存などの要素を指摘している。もっとも、その研究対象は日渤関係に限定されず、本稿の史料分析を直接証明するものではない。
Song Nianshenの多国間的・多層的観点や、Wang Yuan-kangによる朝貢体制概念への批判も、前近代東アジアの政治関係を単一の中心―周辺図式へ還元しないための比較的補強となる。Wangはとくに、朝貢体制が近代の分析的構成物であり、東アジアに存在した他の政治秩序を覆い隠しうると論じている。
しかし、これらの国際関係論的研究は、日渤関係を直接証明する一次的根拠ではない。日渤関係の認定は、あくまで『続日本紀』『続日本後紀』『日本三代実録』および渤海中台省牒写等の個別史料に基づかなければならない。
近年、足立研幾は、規範的信念が一致しなくても、相互に理解可能な儀礼実践を反復することで秩序が維持されうるという as-if engagement 論を提示している。同論は、共有された儀礼語彙が、関係上の意味の完全な一致を必ずしも伴わないことを明示しており、本稿の一部を比較的に補強しうる。
ただし、日渤双方が儀礼の虚構性を相互に認識しながら戦略的に演技していたとまで断定するには、別個の証拠が必要である。本稿が史料から確認するのは、信念の有無ではなく、共有された外交的項に複数の関係表示が与えられ、それにもかかわらず儀礼実践が継続したことである。
したがって、本稿の「位」「call」「各々性」を、朝貢体制批判、構造主義、言語行為論または as-if engagement の単なる言い換えへ縮減することはできない。
既存研究は、本稿の問題設定を補強し、一部の現象を比較的に説明するために参照される。しかし、本稿固有の分析核を削除する根拠にはならない。
10 結論
日渤関係について確認できるのは、交わらない二つの世界ではなく、同じ外交的項を共有しながら、その項に与える関係上の位が必ずしも一致しない接触である。
日渤双方は、使節往来、文書、物品、迎接および返礼という実践を共有した。また、漢文による外交文書と礼制語彙の一部も共有した。しかし、共有された語彙と儀礼は、関係上の意味の完全な一致を保証しなかった。
日本側が渤海使を朝貢・職貢・述職の系列へ配置したという事実から、渤海側も同じ使節を同一の意味で朝貢として表明したと導くことはできない。
同時に、渤海側文書に聘隣・隣好・前好の語彙が現れることだけから、渤海が日本との包括的な対等関係を表明したと導くこともできない。
また、九世紀の文書において、隣好・聘礼・聘覲・入覲等の語彙が交錯していることは、日渤関係が一つの固定的な関係表示だけによって運用されていたのではないことを示している。
本稿でいう各々性とは、渤海の内面的意図を完全に復元した結果でも、近代的主権を古代へ投影したものでもない。それは、相手方の公的な関係付与から、自己側の公的な関係表示を自動的に導くことができないという、史料上限定された非回収性である。
したがって、学術的に第一に問うべきなのは、日渤関係が包括的に対等であったか非対等であったかではない。
第一に問うべきなのは、
- 誰が、どの外交的項を、どの文書、語彙および儀礼手続によって、いかなる関係上の位へ配置したか
ということである。
この分析を経た後に初めて、特定の局面における階層性、相当性、互酬性または隣好性を、限定された意味で評価することができる。
この限定のもとで、本稿の意味論的モデルは、日渤関係における共有実践と関係表示の非一致を記述する独自の分析枠組みとして維持される。
主要参照史料・研究
一次史料・史料データベース
研究
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佐藤信編『日本と渤海の古代史』山川出版社、二〇〇三年。
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浜田久美子『日本古代の外交儀礼と渤海』同成社、二〇一一年。
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廣瀬憲雄『東アジアの国際秩序と古代日本』吉川弘文館、二〇一一年。
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김종복「발해〈함화 11년 중대성첩〉의 재검토」『고구려발해연구』79、二〇二四年、101―123頁。
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Kim, Bongjin, “Rethinking of the Pre-Modern East Asian Region Order,” Journal of East Asian Studies, 2(2), 2002, pp. 67–101.
-
Song, Nianshen, “‘Tributary’ from a Multilateral and Multi-Layered Perspective,” The Chinese Journal of International Politics, 5(2), 2012, pp. 155–182.
-
Wang, Yuan-kang, “Explaining the Tribute System: Power, Confucianism, and War in Medieval East Asia,” Journal of East Asian Studies, 13(2), 2013, pp. 207–232.
-
Wang, Yuan-kang, “The Strange Journey of the Tributary System,” Millennium, 50(1), 2021, pp. 267–277.
-
Adachi, Kenki, “Performance without belief: As-if engagement and order-making in ancient East Asia,” International Relations of the Asia-Pacific, 25(3), 2025, lcaf016.
集計上の注意
渤海使来日の回数については、研究や辞典によって三十四回、三十四回以上、三十五回などの異同がある。これは、使節認定、到着年および記録の数え方による。本稿では、回数そのものを理論核の根拠とせず、七二七年以後、長期的かつ反復的な往来が存在したことだけを用いる。
日本から渤海への公式使節は一般に十三回と数えられるが、これも本稿の論証に不可欠な数量命題とはしない。