可笑可耻の文学                  日本の世間と中国の

 

なるほどねぇ。

「有之候さるは」は、「之有り候。然るは、」らしい。
「老る」は「老いる」よりも「老ける」か。

問題は、「尤も」と「極」で、現代的感覚なら「最も」「極限」だが、「当然」「べく」「一極」が「一対」になるだろう。

要は、結婚して急に(年齢不相応に)老け込む人が居るが、実のところ、もちろん恥ずかしいことである一方、

「極」には「端」の意味があり、「端」には「一方」の意味がある。

手紙の書き方 - 国立国会図書館デジタルコレクション

「老る」は「老ゆる」か。

面白いのは、ChatGPTを鵜呑みにできるなら、この文章は1900年(明治33年)11月28日に書かれたものだが、同年の清国で、

今则情见势迫,虽守旧党人亦甘认〔中学〕无用,推西学为有用矣。
可笑可耻尤足悲者,莫如“中学为体”“西学为用”二语。
〔中学为体、西学为用〕之二语为普学堂中之宗旨,亦宗旨中之谰言,顽固大臣所深喜,贤督抚、有司莫敢或逆也。绎其语意,若一习西学便昌言民权、自由、革命、流血,极至无父无君而后已;中学则最纯最正,敦品励行,犹其小焉,极其功用,仁义礼智,可为甲胄,可为干橹,格有苗而仪凤凰。

曹南屏「清末科举改制后的科举考试与新学传播」
『学术月刊』2013年第7期掲載

これが1902年の可能性があるということである(よくわからない)。「可笑可耻尤」とありつつ、「一方」はセミコロンで表現され、「极」は「極限まで押し広げれば」という意味らしい。「亦」という字もある。

そのさらに古い用例として、『抱朴子』外篇「譏惑」があります。「譏惑」は、東晋初期、ほぼ四世紀前半の文章です。より具体的には、葛洪自身が「自敘」で、二十代から草稿を作り、兵乱によって流離したのち、建武年間に『内篇』二十巻・『外篇』五十巻を撰定したと述べています。建武は東晋元帝の年号で、通常は三一七—三一八年に当たります。

この文章の背景には、西晋崩壊後、北方の貴族・士人が江南へ移住し、洛陽・中原風の言語・服飾・礼法が文化的権威をもつようになった事情があります。葛洪は、北方文化の優位を一部認めつつも、服飾・書法・発音・哭礼に至るまで無批判に模倣する風潮を「惑」として批判しました。

したがって、ここでいう「可恥可笑」は、単なる「滑稽」という意味ではありません。自己の本声・本俗・本来の情を失い、外来の権威ある型を不自然にまねることに対する、知的かつ礼的な批判です。

乃有轉易其聲音,以效北語,既不能便良,似可恥可笑,所謂不得邯鄲之步,而有匍匐之嗤者。

此猶其小者耳,乃有遭喪者,而學中國哭者,令忽然無復念之情。昔鍾儀莊舃,不忘本聲,古人韙之。
孔子云:喪親者,若嬰兒之失母。其號豈常聲之有!寧令哀有餘而禮不足,哭以泄哀,妍拙何在?而乃治飾其音,非痛切之謂也。

また、この箇所が『世説新語』の王導・呉語問題と接続して見えるのは、後世の『世説新語箋疏』系の注釈が、王導・劉惔・呉語・北語の問題を論じるなかで、『抱朴子』のこの一節を引いているからです。中國哲學書電子化計劃の『世説新語箋疏』にも、王導の呉語使用をめぐる箇所で、『抱朴子』「譏惑篇」として「既不能便良,似可恥可笑」が引用されています。

儒教?井上毅論

Claudeでシソーラス分析してみた。
Ver.3.3

  • 要約
  • 本稿は、推古朝の対隋外交を「受容/拒絶」の二分ではなく、意味中心の推移として読む形式論を提示する。
  • 意味の中心を、「テクストが自己を命じている位」と定義し、相手側の否定的 uptake がどの位の名を否定したかによって同定し、否定の作用域の分節によって形式化する。
  • 607年国書は、天子号を東西対句の両極に置く同一称号の方位的対称化であり、煬帝の否定が壊すのはこの同位実装であって同位志向そのものではない(¬天子⇏¬\lnot\sim_{\text{天子}} \not\Rightarrow \lnot\sim )。
  • 残存した志向は「東天皇/西皇帝」の称号分離へ再実装されるが、本稿はその遂行層 τ\tau を608年(推古朝遂行層)か720年(書紀叙述層)かの開いたパラメータとして扱い、いずれの場合も隋廷が称号分離を受領していないという不変項( π(Tτ)=\pi_{\text{外}}(T_\tau)=\varnothing )を確保する。
  • この系列を〈紘〉〈掩〉〈宇〉の三相——境界の露出、露出の被覆、秩序縁への再分節と内部秩序化——として素性表示し、素性の反転が〈掩〉のみに局在し〈宇〉は保存的であることを示す。
  • 天皇号の尊称位から制度位(儀制令の用途別配分)への移行は、この推移の称号史上の反復であり、順序主張として τ\tau の裁定から独立に成立する。
  • 系列型としての固有性は、エレンコス(ἔλεγχος;覆いの除去へ向かう系列の鏡像)、コミュニタス(Communitas;剥奪に対する複製)、媒体の軸(uptake を遅延させ、宛先に受領されない発話を可能にする文字)との対比によって定位される。
  • 以上により、Kasulis の synthetic nature 論が方法的に括弧に入れた帰属と年代の層を開くことではじめて、対外的自己規定の推移が記述可能になることを論じる。
  • 内的骨子は閉じており、外部的成立は史料批判・天皇号年代論・比較思想史の裁定に開かれている。
  •  
  • キーワード:遣隋使外交、日出処天子、天皇号、位、否定の作用域、推古型シンセシス

claude.ai

  • 付録 用語集
  • 本用語集は、本稿の分析語彙を、範囲注記(SN: Scope Note)付きの統制語彙として整理したものである。表記は次の略号に従う。SN=範囲注記(当該語の適用範囲と限定)、UF=非優先語(本用語集では見出し語に統一される同義・準同義表現)、USE=優先語への参照(非優先語の項から見出し語へ誘導する)、BT=上位語、NT=下位語、RT=関連語、ANT=反義軸、初出=本文における定義的初出箇所。記号を伴う語には形式表記を併記する。

claude.ai

参考にしたもの

飛鳥・奈良時代における王権思想の位相(要旨)
馬 梓豪,2021

tsukuba.repo.nii.ac.jp

日本律令時代初期における君主号と天皇号の性格
馬 梓豪,日中文化学報  巻 1, p. 25-44, ,2020

tsukuba.repo.nii.ac.jp

儒教?井上毅論

これなんかも典型的な「戦前」の語り口調で—その意味で、同じ戦前のラスキと比べるといいかもしれない—こんなに単純ではないのだ。

「単純ではない」とは難しいということではなく、もっと煩雑なのだ。やたらと細かい。
例えば、「実体」もこんなに安易に使われない。

要は、京都学派に代表される、わかったようなわからないような語り口調の伝統だろうと思う。

渡辺典子の「論理本」もこの限界を超えられなかった。
例えば、詩的である、というなら、戦前の所謂「御製」はどうなんだとなる。

  1. あに ちん が志ならむや
  2. 四方よも の海 みな 同胞はらから と思ふ世になど波風の立ち騒ぐらむ

日本の運命を決定せんとする最高意思決定会議でなぜ「歌」なのだ?となる。
これには時系列があったらしくて、1は詔勅の詔に対する追加修正、2は御前会議後に詠まれたらしい。セットであるとの解説がある。

「はらから」もなかなか考えさせられて、このときは「肚」でやがて「腹」になったのかとも愚考する。満たすものが違う。「肚」とは何かと言われるとまた「臍下丹田」的なことなのか、切腹の中身のことなのか、となってまたややこしい。中心と真意の違いである。腹は「腹が減った」の腹であり、八紘一宇であるが、

  1. 掩八紘而為宇
    『日本書紀』巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」(いわゆる橿原奠都の詔)
    もともとは『』『』などの漢文に見られる。
  2. 八紘あめのしたおお ひて いえ を為す

2は訓読みであるが、「紘」は糸偏からわかるように、縄や紐(糸を撚ったもの)であるが、両腕で輪をつくって囲むような恰好のことであるらしい。「掩」も似ていて、手で覆うらしいが、こちらの「手」は旁ではなく、手偏に草っぱらにでも寝ころんだような手足を広げた状態と雷雲が広がる様子を表しているらしい。それで「覆う」である。「宇」は屋根であるが、単なるウ冠ではなく、その下の字が曲がりを意味して、軒であるらしい。これは「紘」の腕と同機能であるように思われる。要は、似たような意味と構成の三語を並べて定義としているのだ。ならば言外の言があるはずであり、それが語彙に関して随伴的であり、陳述に関して偶性的であるはずである。

ガザーリーなら禁止している定義である。

日常に意味は現れるだろうから、「宇」が「屋根」であるならば、「社稷」ではないかと思う。これを「土地」「穀物」と考えるか「伝統」「正統」と考えるか。

「軒」なら跨ぐ必要が出てくる。跨ぐのは文物だろうか、技術だろうか、となる。
すなわち、「八紘一宇」は循環定義により、開放的(な定義)と謂えるだろうか。

要は、日本人の論理スタイルには、—全部を言えないが—そのひとつには、ガザ―リー『哲学者の意図』で禁止している定義を禁止していないことがありそうであるが、もとより、「紘」「掩」「宇」はまったく同じではない。
三段論法的推移から考えると、〈広がる〉〈かぶせる〉〈覆う〉が順に境界或いは端の定義により構成されている。

ここらへんは推古(ち煬帝)の  ミタスな三段論法を思い出す。
「兄帝(天子)」「弟帝(天子)」の間の「曙を掌る女王」から、「皇帝論」を経て、「天皇」へ至る論法である(隋と朝廷間の、仏教世界における秩序の建設。「天皇」という語はなかなか構成的で、天子として帝を名乗ることはできず、だから皇帝ではないが、皇帝の皇を下において天を称する。要は、ダブルスタンダードだ—だから「おかしい」わけでも「悪い」わけでもない。統一される必要がそもそも「ない」だけである。要は調和である※)。なお、三皇五帝の三皇のうちの「天皇」とは意味を画す)。

これなどは古代ギリシャ・ローマの三段論法を理解するのにお誂え向きであるが、タイプ(命題型)で分類する分析の伝統を欠いていて、政治的事件としか扱われないのは誠に不幸である。

 

※これは結局、朱子学に拘っているのは誰かを射す。
「天皇」という称号が推古から始まったかどうかは知らないが、天皇論は、この見事な推古の三段論法から始まったのではないかと思う。


問題を「解く」だけならすぐにわかるよ。

だけれど、説明を求められると、けっこうむずかしい。

1と4は「欠点」かな。
2は「欠損」。

3は「欠陥」かな。

これは「欠」を使った熟語を使用する際の意味の区別だね。
彼女が「問題」という言葉を選んだのは、おそらく使用頻度が大きいからだよね。
むしろ、「問題がある」とき「何を挙げるのか」を問われてるから、「欠点」だね。それと同じ文の構成をもつのが、4だよね。「貴方に足りない資質は何ですか」と問われて「それは改善できる」ことが挙証できる(挙げることで対象化して、論ずることができる)。実際は、「がんばります」という態度に帰着するだろうけれど、態度には或る程度の客観的な評価が必要だからね。要は、この二文は陳述のレベル。熟語構成としては、(資質として)欠いている点という修飾関係だよね。
欠損は、発見のレベル。見た限り「あります」と言っているだけ。論じる内容ではない。疵(器物のきず、傷)が「ある」から「ある」、或いは無疵(傷)で「あるべき」はずのことが無疵(傷)で「ない」と言ってるだけ。ただし、外観。熟語構成としては、疵として欠いている、或いは、疵という欠(落)という修飾関係かな。ただ、欠損は、例えば「部品が欠損する」という使われ方がほとんどで、この文では「なくなる」という意味だけれど、「損」にはそもそも疵(物を傷つける)の意味があるんだね。

欠陥の「陥」は穴なんだけれど、そもそも「欠」の意味もある。辞書を見ると、「電気器具の—を直す」には「欠点」も「欠陥」も入る(現代例解辞典第4版)。これは対象に関して説明されることで、「欠陥」は、どちらかというと「欠損」寄りで、不備な状態の指摘に留まる。「欠点」はその状態を「不十分」であるとか、「避難すべき」と評価している。「欠損」と「欠陥」ならば、「欠陥」はより広い概念。「そなわっていない」あるいはそもそも「欠いている」というのは、外観上の「ない」だけに留まらない。
ちなみに、「欠欠(缺缺)」という熟語もある(老子「其政察察其民欠欠」)。

最近の語用だと、「この小説には欠陥があるよね」って言い方をしないわけでないから、難しいと思う。この場合小説を建築物にみたてて論ずるべき欠失があるという話であって。問題文のような個別の特徴を具体例として(羅列して)挙げる際の観点ではない。そうだなぁ、固有の欠陥が個別の欠点として挙げられる関係かな。固有(Intrinsic / Inherent)と個別(Individual / Specific)。

儒教?井上毅論                       ガザーリーからユークリッド、ラスキからダールへ                     一方で、呉座から加藤へとは言えないもどかしさ

「近代」を「理想化された」と見做すのは、誰の何の影響なのだろうか?

「民主主義なんてよいものではない」と理論的に謂えれば

 

goto

★★★★★論理的な思考なんてない

2024年10月25日に日本でレビュー済み

フォーマット: 単行本

Amazonで購入

それぞれの思考は文化、その国のお国柄によって備わったもので

論理的思考と言われているものも、経済合理性を背景としたアメリカ文化の産物なだけであった。

そのため、アメリカでは小学生からエッセイで、結論を書いて、その根拠を書いてと

論文的な書き方が染み付いている。

対して、日本は社会を背景としているから、小学生から「感想文」を書く。

筆者はどういう気持ちで、主人公はどうで、自分はどう感じたのか。

ほかにもフランス、アラブの文化も記載されているが、それぞれに違って面白い。

私たちは論理を突き詰めれば、真実にたどり着くと思いがちだけど、

たんに文化が違ったから思考方法が違った。

たまたまアメリカ流が広まったってだけなんですね。納得です。 25人のユーザーが役に立ったと感じています 参考になった 報告する

これはかなり奇妙な言い方で(この読者が悪いわけではない。)、じゃあ、「プラグマティズム」とは何だったのか、となる。

近代化とは社会主義化であって、ただしここで謂う「社会主義」は或るイデオロギーのことではなく、「イデオロギー(そのもの)が社会から生まれてくる」という考え方に基づく主張である。

つまり、具体的に歴史的経緯から近代化とは何かを考えると、

  1. 脱イスラム支配化
  2. 脱教会(支配)化
  3. 脱宗教化

が混然としたもので、特に1に関して「ルネサンス」と呼ばれる長い準備を必要とした変化だったのではないかと思う。ここでもやはり「社会変化」と書きそうになった。「社会」とはそういう根源を提供する言葉である。

2の関しては、イギリスは国教会を打ち立てたし、フランスはライシテなのだが、これは政府が教会と対抗的で、教会の権威を生む施策群の代用を常に用意するという仕方のようである(婚姻がその例で、だから、安易に「フランスは」と日本に持ち込めない)。要は、2の中にも様々な様相がある。

2と3に関しては、神を直接の根拠としなくなって、「社会」を直接の根拠とするようになったということである。このとき、社会を代表する2つの指標が使われるようになって、

  1. 歴史(逆神義論;なぜ神が居るのに悪があるのか)
  2. 進化(神義論;なぜ善があるのか)

ここで重要なのは、神が無定義語だという事実である。直感的に知れる存在である。
1の主張は、可謬性に基づいているが、可謬性は誤謬を本質定義とする。要は、誤謬の可能性を論じる時、それが実現化すると歴史的事実になる。このとき、「悪」とは名辞にあって分析的定義でありこの誤謬の説明内容である。可謬性/必然性の先行関係を見ると、必然性が優位にあるので、

「悪」とは語彙レベルでは随伴的であり、述語レベルでは(本質的)偶性的説明を伴って陳述される(本質である)。

ここで混乱が生じる。「悪」とは無定義語なのか、開放的な定義なのか。無定義語とは循環を避けるために直観的理解を以てそこを議論のスタートラインとする作用を持つ中身を持たない直意的な名辞的定義であるが、開放的な定義はこの限りではない。
「点」が無定義語の典型であるらしい。「点」は定義を持たないだろうか?

  1. ガザーリーの5文
    1. 点は、線から述べられる。
      ただしそれは、線から点が生成されるという意味ではない。点は、線の端・切断として述べられる。
    2. その定義は、「反対物」としての定義ではなく、「限界」としての定義である。
      点は線の反対物ではない。点は、線が延長をもつものとして述べられるとき、その延長の端・切断・限界として述べられる。
    3. 線は面から、面は物体から、端・切断として述べられる。
      面は物体の切断として述べられ、線は面の端・切断として述べられ、点は線の端・切断として述べられる。
    4. 線・面は量に属する偶性であり、点は量的連続体の限界として述べられる。
      量は実体に付随する偶性であり、連続量には線・面・物体・時間がある。線は一方向の延長、面は二方向の延長、物体は三方向の延長をもつ。点は量を持たないが、線の端・切断として、量的連続体の限界に置かれる。
    5. 存在一般ではなく、物体が三方向の延長を受け入れる実体である。
      物体とは、三つの延長を直角に交差するものとして仮定できる実体である。したがって、「存在は三次元で構成される延長を持つ」と言ってはならない。正しくは、物体が三方向の延長を仮定しうる、である。
  2. ユークリッドの5文
    1. 点は、線から定義されるのではなく、無部分者として先に措定される。
      ユークリッドでは、点は「部分を持たないもの」として置かれる。したがって、点は線の切断から説明されるのではなく、線に先立つ無部分の対象として提示される。
    2. 線は、点から生成されるのではなく、幅なき長さとして置かれる。
      線は「幅なき長さ」である。したがって、線は点の運動によって生成されるものではなく、長さをもち、幅をもたない幾何学的対象として定義される。
    3. 線の端は点である。
      ユークリッドでは、点が線から生成されるのではなく、線の端が点であると述べられる。ここで点は、線の延長に対する無延長の端点として働く。
    4. 二点間に直線が引けることは、定義からではなく公準から来る。
      ユークリッドは、点の定義から「二点間に直線が引ける」と証明しているのではない。第一公準として、任意の点から任意の点へ直線を引くことを要請する。
    5. ユークリッドにおける点と線の関係は、限界項と作図公準の関係である。
      点は線の反対物として明示的に定義されるわけではない。しかし、点は無部分・無延長であり、線は長さを持つ。したがって、点は、線の延長性に対する無延長の限界項として働く。その無延長の二点を端点として置き、第一公準によって、その間に直線を引くことが許される。

特に重要なのは、ガザーリーでは「点は線の限界として説明される」、一方で ユークリッドでは「点は無部分者として先に措定され、第一公準によって二点間に線を引く」 という対照です。

これは古代の議論だが、示唆するところはある。
「社会」を安易に使っていることの注意書きにはなる。

日本に限らず、どの社会も社会を背景として議論しているのであるから、要は、「社会」〈は〉議論のスタートを示す指標である。アメリカなら「プラグマティズム」であるし、ヨーロッパなら「ルネサンス」である。

したがって、問題はこう構成されるだろう。

  1. 日本は社会を背景とするとき、なぜ小学生から「感想文」を書くのだろう

例えば、「自由民主主義」という言葉は「それでも※」こう説明される

  1. 自由主義は機会均等を信奉する
  2. 民主主義は結果均等を信奉する
  3. だから矛盾する

これは政治学上の理論的な説明としては誤った説明と言ってよいと思うが、「感想」としては説得的である。

note.com

ラスキの段階では自由民主主義は十分理論づけられていなかったらしい。考察で終わっている。意義深いが権威主義を十分排除できていないかもしれない。それが達成されたのが戦後の到達で、ロバート・ダールの『ポリアーキー』であるだろう。

ここでダールが「現実的」であることを持ち出したのは、古代からの論理を考えると決定的で意義深い。「生」の民主主義は語っても「仕方がない」のだ。

※加藤陽子の語法である

渡辺は非常に啓発的な本を書いて、その著書は労作であるが、日本人好みの哲学で終わってしまったと思う。「わかる」から「わかる」になってしまっている。それでもかまわないのだが、その「わかる」は「社会」の定義に従っているからだと言えなければならない。つまり、日本の哲学は、アリストテレスを論じた中東、ヨーロッパ或いは地中海世界とは異なり、こんな感じなのだ。よく定義に拘るのがドイツ人というが、ドイツ人に限らない。ただ、ドイツ人は、ギリシャ云々に大きく社会を振った時期が或る(『キケロ ヨーロッパの知的伝統』)。

日本社会の場合、一揆の原理(1対1の対面伝達)から「それでも」に繋がると面白いのだが、なかなかの飛躍が伴う。

要は、日本人は日本社会のことをまだよくわかっていないのだろうと思う。

ちなみに、天皇論を言うと、古代の天皇がチェアマンだったのは、全国に有力豪族が居たからで、愛知あたりもかなり有力だった。「津」が港湾の代名詞になったほどだ。いつからか、京あたりの小さい政治世界を考えるようになっただけである。

憲法論から言えば、かような近代団体主義の成立から、人権主義の定立へ、となるだろう。

これなんかも「感想文」の延長ではないかと思った。大学からは「感想文」ではなく「立論」を目指して欲しい。

儒教?井上毅論

以下、ChatGPT


井上毅個人については③「歴史法学を学んだ」。
皇室典範の男系男子制との関係では②「歴史法学的発想を参考にした」。
①「歴史法学に依拠した」は強すぎます。

理由は、井上が明治5年に渡欧し翌年帰国し、その後プロシア憲法に基づく欽定憲法構想や帝国憲法起草に関わったことは確認できます。つまり、ドイツ系国法学・歴史法学的発想に接した、あるいは学んだ、という言い方は可能です。(国立国会図書館)

しかし、旧皇室典範の男系男子制について、井上の直接の反対理由として資料上はっきり見えるのは、歴史法学そのものではなく、次の論点です。すなわち、女帝が皇夫を迎えた場合の姓の変更、欧州にも女子の王位継承を認めない国があること、皇婿問題、女帝の威徳毀損、政事干渉のおそれです。国立国会図書館の整理でも、「皇室制規」草案に女系継承・女帝の夫規定があり、それに対して井上が反対し、その意見に基づき明治19年草案で女系・女子継承条文が削除された、という構図です。(国立国会図書館デジタルコレクション)

したがって、最も精密な表現はこれです。

  • 井上毅は、欧州滞在を通じてドイツ歴史法学・国法学的な固有法重視の発想を学んだ。ただし、旧皇室典範における男系男子制を歴史法学に直接「依拠」して導いたというより、皇統・国体・日本固有法を重視する制度論を構成する際に、歴史法学的発想を背景ないし参考にした、と見るのが正確である。

さらに短く言うなら、

  • 井上毅は歴史法学を学び、皇室典範論ではその固有法重視の発想を参考にした。ただし、男系男子制が歴史法学に直接依拠したとまでは言いにくい。

この三択なら、本文には ②参考にした を採用するのが一番安全です。思想形成の説明では ③学んだ を併用できます。

  • 旧皇室典範における男系男子制は、日本古来の皇位継承慣行をそのまま成文化したものではなく、明治国家が皇位継承を近代成文法として固定する過程で、女帝・女系継承の可能性を排除して成立させた制度である。制度取調局の調査を基にした「皇室制規」草案では、男系継承を原則としつつ、男系が絶えた場合の女系継承や、女帝の夫である皇夫・皇婿の地位も想定されていた。しかし井上毅は、女帝が皇夫を迎えた場合に皇太子の姓・家統が変わること、女帝の威徳が損なわれること、皇夫による政事干渉のおそれがあること、また欧州にも女子継承を認めない国があることを理由に反対した。その結果、明治19年の「帝室典則」草案では女系・女子継承関係条文が削除され、明治22年の旧皇室典範では男系男子制が法制化された。
  • この制度形成は、単なる儒教的男尊女卑だけでは説明できない。フランスやプロイセンの近代成文憲法にも、王位・帝位を男系男子に限定し、女性およびその子孫を排除する規定が存在した。他方、英国やスペインのように女性君主を認める国では、王配の称号・権限・王朝名・外交的影響が現実の制度問題となった。井上は、こうした欧州王朝法上の比較例を参照しつつ、日本の国体論、皇統観、男尊女卑的社会観、皇婿問題への制度的不安を結合させ、女帝・女系継承を否認する方向へ皇室典範を収斂させたと評価できる。

この版なら、かなり史料に耐えます。結論は、**「男系男子は単なる日本古来の伝統ではない」だけでなく、「明治国家が欧州王朝法上の男性継承原理と日本的国体論・皇統論を接合して作った近代法上の固定である」**まで言えます。

1 欧州にも女子継承を認めない国がある

「旧皇室典範制定前には女子にも皇位継承資格があり、10代8人の女性天皇がいた」「旧典範制定過程で女系・女子継承が議論された」「その後、男系男子制が確立した」という骨格は正しいです。国立国会図書館の論文も、旧典範制定前には女子にも継承資格があり、古代8代6人・近世2人の女性天皇が在位したと整理しています。(国立国会図書館デジタルコレクション)

「皇室制規」草案についても、あなたの整理は正確です。同草案は「皇位ハ男系ヲ以テ継承スルモノトス、若シ皇族中男系絶ユルトキハ皇族中女系ヲ以テ継承ス」とし、さらに「女帝ノ夫ハ皇胤ニシテ臣籍ニ入リタル者ノ内皇統ニ近キ者ヲ迎フヘシ」と規定していました。つまり、女系継承と女帝の夫=皇夫・皇婿問題が、草案段階では明文で想定されていました。(国立国会図書館デジタルコレクション)

井上毅の反対理由の整理もほぼ正しいです。井上は、女帝に臣籍降下した源氏系の人物を皇夫として迎え、その間の皇子が皇太子となれば「女系の血統はあるが源姓になり、姓を易える」ことになる、欧州にも女子継承を認めない国がある、女帝以外にも皇胤繁栄の方法はある、と批判しています。さらに、この井上意見に基づいて明治19年の「帝室典則」草案では女系・女子継承関係条文が削除され、その後の明治22年成立過程でも女子・女系継承は再び規定・議論されませんでした。(国立国会図書館デジタルコレクション)

2 第一に、**「女性天皇の即位も認められ」と言うより、「旧典範制定前には女子にも皇位継承資格があった」**の方が正確です。

近代法以前に一貫した成文制度として「女性天皇制度」があった、という意味に読まれるのを避けられます。

第二に、「ボアソナードから憲法・刑法を学んだ」と断定するなら別途一次資料が必要です。国立国会図書館の人物解説で確認できるのは、井上が明治5年に渡欧し翌年帰国したこと、のちにプロシア憲法に基づく欽定憲法構想を立案したことまでです。(国立国会図書館)
したがって本文では、「パリでフランス法学に接したとされる」程度に抑えるのが安全です。

第三に、「ドイツ歴史法学的伝統や欧州王朝法の男性継承原理が男系男子制を作った」と直結させるのは強すぎます。 史料上は、井上が欧州の女王・女帝例や女子継承排除国を論拠として使ったことは言えます。しかし、ドイツ歴史法学そのものが旧皇室典範の男系男子制を直接導いた、とまではこの文脈だけでは証明しにくい。ここは、**「固有法・国体論を重視する井上の法思想と、欧州王朝法の比較事例が結びついた」**と書く方がよいです。

第四に、「皇配(皇孫)問題」は誤記です。ここは必ず 「皇婿問題」または「皇夫問題」 に直してください。

第五に、フランスについては、「近代成文法制下でも王位継承法では男性優位が残った」は正しいですが、表現としては、**「王政・帝政を採る局面では、女性およびその子孫を継承線から排除する規定が維持された」**の方が精密です。1791年憲法は王位を「男から男へ」とし、女性とその子孫を永久に排除しており、摂政からも女性を排除しています。(ウィキソース) 1804年の共和暦12年憲法でも、帝位はナポレオンの男子直系に継承され、女性とその子孫は排除されています。(The Napoleon Series)

第六に、プロイセンについては正しい。ただし「ドイツ全体」ではなく、**「プロイセンを代表例として」**と限定すると安全です。1850年プロイセン憲法53条は、王冠を王家の家法に従い、男系・長子相続・agnatic succession で継承すると定めています。(ウィキソース)

第七に、英国・スペインの王配問題は有効な比較例です。ヴィクトリア女王の夫アルバートは1857年に Prince Consort とされ、英国王室公式サイトも、女王への助言・支援・王室制度への貢献を理由にその称号を与えたと説明しています。(The Royal Family) また、ヴィクトリアとアルバートの婚姻により Saxe-Coburg-Gotha の名が英国王室に入り、第一次大戦中の1917年に Windsor へ改称されています。(The Royal Family) スペインのイサベル2世についても、英仏が婚姻候補に関与し、最終的に従兄フランシスコ・デ・アシスが King consort とされたことが確認できます。(Galería de las Colecciones Reales)

方法・資料一覧
分類 資料・出典 備考
国立国会図書館一次史料 「宮内省立案第一稿・皇室制規」(草案)、「宮内省立案第二稿・帝室典則」(草案)、「帝室典則意見書」等 井上毅の意見書・議事録等。明治期の生資料。
梧陰文庫資料 『梧陰文庫影印 明治皇室典範制定前史』等 井上毅旧蔵文書からの影印集。イメージ写し。
欧州王室法令 フランス1791年憲法、ナポレオン皇帝令1852年憲法、プロイセン憲法1850年 成文の原文(英訳・仏文)で比較。継承条文を対照表化。
欧州王室史料 英国王室公式サイト(ヴィクトリア女王婚姻)、スペイン王室資料館(イサベル2世夫の称号)、ポルトガル史資料(マリア2世夫妻) 女性君主の婚姻・王配例。各国王室公式説明・博物館・伝記など。
研究論文・書籍 笠原英彦「明治皇室典範の制定過程と柳原前光」、山田敏之「旧皇室典範における男系男子による継承制」等 皇室典範成立史・男系論の分析。一次資料の解説・要約。
 
主要一次資料抜粋(原文と要約)
  • フランス1791年憲法(「革命暦12年憲法」第一条):
    「Monarchy is indivisible, and is delegated hereditarily to the reigning family, from male to male, by order of primogeniture, to the perpetual exclusion of women and their descendants」。
    1791年憲法では、皇位継承を男系長子相続と規定し、女性およびその子孫は「永久に排除」すると明記している。

  • フランス第二帝政憲法(1852年):
    「ART. 2. - La dignité impériale est héréditaire dans la descendance directe … de mâle en mâle, par ordre de primogéniture, et à l'exclusion perpétuelle des femmes et de leur descendance」。
    1852年憲法でも「帝位はナポレオン3世の直系男子の間で長子相続とし、女性とその子孫は永久に排除する」と規定されている。

  • プロイセン王国憲法(1850年):
    「Art. 53: The crown is, in accordance with the laws of the royal family, hereditary in the male line of that house following the law of primogeniture and agnatic succession」。
    プロイセン憲法でも皇位は「王家の家法に従い、男子系の長子相続(アグナティック・サクセッション)」で世襲するとされる。

  • スペイン女王イサベル2世の婚姻(1846年):
    スペイン王室資料館によれば、イサベル2世は1846年10月10日にフランシスコ・デ・アシス・ド・ボルボン侯爵(従兄)と結婚し、「名目上王妃の婚姻後に『王妃配』として任命された」(Rey consorte)のち10人の子を儲けた。
    イサベル2世の夫フランシスコは結婚後に「王妃王」と呼ばれたが、実権は女王が保持した。フランスや英国が女性君主の配偶者称号・権限を制御した例である。

  • ポルトガル女王マリア2世の婚姻(1836–37年):
    ポルトガル史料によると、マリア2世の最初の夫オーギュスト(ド・ボーアルネー伯)は子無く早逝し、2度目の結婚(1836年)でフェルナンド王子が生まれると、1837年9月16日に夫フェルナンドが**「マリア2世の共同統治者(王)」となった。
    ポルトガル法では女王の夫は
    王配(King Consort)**ではなく王号を持たせず王子と定める規定もあったが、マリア2世の場合、男子継承者誕生後にフェルナンドが「王」と称された。

  • 井上毅「帝室典則草案」意見書(明治19年):
    「…欧州各国の女帝の例によるならば、女帝には臣籍に降下した源の某という人を皇夫に迎えることになるだろうが、女帝とその皇夫との間に皇子があれば、皇太子として位を継ぐことになり、その皇太子は女系の血統はあるが源姓になり姓を易ることになる…」。
    井上は、ヨーロッパの歴史例に照らせば「女帝の夫は臣下の源姓になる」こと、もしその間に男子が生まれれば皇太子となるが姓が源氏に変わる、と主張した。このように、女性天皇の婚姻が皇室の姓・家統に影響を与える点を問題視した。

継承法令比較表(主要国)
国・地域 法令名・年 主な条文要旨(男女区分) 継承原理(原則)
フランス (1791年憲法) 憲法(1791年9月) 「帝位は長子相続の順に男子から男子へ継承され、女性およびその子孫は永久に排除される」。 男系長子相続(女系・女帝排除)
フランス (第二帝政憲法) Sénatus-consulte(1852年11月7日) 「帝位はルイ=ナポレオンの直系男子間で継承し、女性およびその子孫は永久に排除する」。 男系長子相続(女系・女帝排除)
ドイツ(プロイセン) (1850年憲法) 憲法(1850年1月31日) 「皇位は王家の法に従い、男子系(アグナティック)長子相続により世襲される」。 男系長子相続
イギリス 王位継承法(1701年)他 「カトリック排除」のもと、ハノーヴァー朝(ゾフィー女王子孫)に継承が限定された。女王アンの後はゾフィーが想定された(女性継承可)。2013年法で男女平等化。 元来は長子相続(女系も可)
日本 (皇室典範) 皇室典範(1889年4月) 「皇位は皇統に属する男子が継承し、女系天皇は容認しない」と規定(詳細条文無し)。 男系長子相続(女系・女帝排除)
 
  • 日本の皇室典範は「皇統に属する男子のみが継承できる」ことを基本とし、女帝・女系の可能性を排除する近代的構成であった(明文化は1889年)。
  • 英国では王権継承法で当初から女性継承を排除しなかった(ヴィクトリア女王即位)点が特色で、夫を“Prince Consort”とした。ただし王位継承順位では「プロテスタント女性」を認めつつ現存男子優先の長子相続制をとり、2013年に男女平等化された。
女性君主婚姻・王配事例タイムライン(欧州)
1833-09スペイン –イサベル2世が父王没後に即位1836-04ポルトガル –王女マリア2世が初婚(オーギュスト、子無く早逝)1836-04ポルトガル –マリア2世が2度目結婚(フェルナンド王子と)1837-09ポルトガル –雄子誕生後、夫フェルナンドが共王(国王)に就任1837-06イギリス –ヴィクトリア女王が即位(アルバートはPrinceConsort)1840-02イギリス –ヴィクトリア女王がプリンス・アルバートと結婚1846-10スペイン –イサベル2世が従兄フランシスコと結婚、彼が名目上の“皇妃王”に1853-11ポルトガル –マリア2世死去、夫フェルナンドは摂政に(再び王は子)1889-07日本 –明治22年皇室典範公布、男系男子制を定着女性君主と王配(欧州事例)
 
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  • timeline
        title 女性君主と王配(欧州事例)
        1833-09 : スペイン – イサベル2世が父王没後に即位
        1836-04 : ポルトガル – 王女マリア2世が初婚(オーギュスト、子無く早逝)
        1836-04 : ポルトガル – マリア2世が2度目結婚(フェルナンド王子と)
        1837-09 : ポルトガル – 雄子誕生後、夫フェルナンドが共王(国王)に就任
        1837-06 : イギリス – ヴィクトリア女王が即位(アルバートはPrince Consort)
        1840-02 : イギリス – ヴィクトリア女王がプリンス・アルバートと結婚
        1846-10 : スペイン – イサベル2世が従兄フランシスコと結婚、彼が名目上の“皇妃王”に
        1853-11 : ポルトガル – マリア2世死去、夫フェルナンドは摂政に(再び王は子)
        1889-07 : 日本 – 明治22年皇室典範公布、男系男子制を定着

解説: ヨーロッパでは、スペインではイサベル2世の夫が「王妃王(王配)」にとどまった。ポルトガルではマリア2世の夫フェルナンドが息子誕生後に共王に就任した。英国ではヴィクトリア女王の夫アルバートは「プリンス・コンソート」であり王ではなかった。いずれも女性君主の配偶者称号や権限、王朝名の移行問題が制度化されている。女性君主の婚姻が王朝システムに影響する例として、イギリスではヴィクトリア即位以後、ハノーヴァー家(ヴィクトリアとアルバートがザクセン=コーブルク・ゴータ家に属していた)としての継承が続いた。

この人、井上毅をやたら強調するんだけれど、

結構、複雑な人やぞ。

この視点を持つと、

TARE

★★★★★明治維新の重層的で斬新な評価と意義ーフランス革命を始めとする世界の革命との比較史

021年7月3日に日本でレビュー済み

フォーマット: 単行本(ソフトカバー)

Amazonで購入

最後に第四章「日本の歴史学におけるフランス革命像」は柴田・遅塚両氏による1987.7の古典的論文の再掲であるが、私から見た左派系学者の二大グループ「労農派」と「講座派」による古典的な明治維新の評価の違いとその変遷をまとめてくれて有益であった。

松本清張の『昭和史』は講座派の歴史観で書かれていることは指摘されているよね(学のない松本が教わりながら書いたらしい)。

つくしん坊

★★★★☆「明治維新」を「明治革命」と客観的に捉えることで、諸革命との比較の視点が生まれる

2019年6月11日に日本でレビュー済み

フォーマット: 単行本(ソフトカバー)

それによれば、「デモクラシー」(王侯や貴族がいなく、生れでの差別がない社会)の反対語は「君主制」や「専制」でなく「アリストクラシー」(貴族政)である。この観点からすると、フランスは社会がアリストクラシー、政治が絶対王政であった。フランス革命では社会と政治のデモクラシー化が同時に追求され、決着まで紆余曲折の長期間を要した。日本は社会がアリストクラシーで政治は連邦制的であった。しかも連邦の頂点は天皇と将軍が二つあった。

これがどこまで正しいかは知らないが、少なくとも天武天皇が中央集権を指向するまでは、卑弥呼も含めて、「チェアマン」だったというのが妥当な推論というのが通常の見解じゃなかったかね?

ここに「天皇家」はいつから?

という問いが生まれる余地があるのであって。
つまり、「天皇家」「皇室」の使い分け)。つまり、天皇は、天皇の子、であるのと同等の、或いは、それ以上の背景を「貴族(関係形式)」或いは「家(財産形成機序)」として持っていたわけでね。「天皇」という「名」は、むじろ、随伴的な語彙作用であったかもしれないよね、哲学的には。それ自体が、というよりも、それと繋がることで意味を形成する。

司馬遼太郎、或いは、松本清張並みに古い近現代史しか知らないと、たぶん、間に合ってないよね。


統一教会への解散命令が確定したね。

最高裁判所の判断なので、もう覆らないけれど。
「あぁ、そうか」という感じ。
所謂「違憲状態」に抑えて、「立法措置を求める」判断になるかなあぁくらいに漠然と思っていたけれど、時代を画したかな、という気持ち。

すなわち、

  1. 【献金問題】(営利法人など)一般的な法人と宗教法人の違い
    宗教法人は信教の自由に必須の「制度的保証」ではない
    1. 脱税スキームとしての宗教法人問題
  2. 【送金問題】民法(民事訴訟)と刑法(刑事訴訟)の違い
    法文解釈なので、社会背景を忖度しないが、大陸型実証主義ではなく英米型実証主義か?―憲法が禁止するエリート主義(立法行為の主体の制限)との兼ね合い
    1. 「互助会」の社会物理学

現代ではむしろ「基本権に根拠を持つ生活領域の保障」という制度的保障概念を基軸として、その主観的要素としての「権利」と客観的要素としての(広義の)「法制度」ないしは「社会システム」がいかに配分され、構築されるべきかという議論が盛んであり、そしてその根幹となる部分は立法者の立法義務に属するという理解が一般的となっている。

制度的保障 - Wikipedia

いままで(宗教法人は)制度的保証から論じられてきたわけではないけれども(むしろ、戦前の体制への批判、反省から論じられてきた)。

なにをいうとるんや。

相変わらずの破綻パターンだね。貴方はやっぱり変わっていると思う。無内容なことを言っているのは池田だよ。だから言葉が詰まっているのに、それがわからない。

どこで破綻したかというと、養子縁組で。まったく知らないで言ってたことがどこかでわかったんじゃないかね。いつもだけれどね、法的リテラシーが欠如しているのは。

ダサいかどうかは知らないが、高市首相本人(そもそもいい大人が、呼び捨てが必ずしも悪いかどうかは知らないが、悪ぶって呼び捨てにすることがかなり「痛い」が)乃至政権批判を政策の技術レベルで言えないのは、全員、戦前的で、「ダサい」以前におぞましい。なぜなら、ファシストの自覚がないから。

まずは民主主義を自由民主主義のパースペクティブに置いた上で、その不全性を自覚できないと。「民主主義は良いこと」ではありません。

いまだに戦前と戦後の区別が十分につけられないのがいることが(戦前の体制批判をする人間はいるが、要は、敗戦時においてすら近衛が言葉を吐くありさまだったのであって、それは方法論的な問題。近衛に関して言えば、単純に、京都学派の限界。戦後は単に体制が変わった話ではない。それは特殊な理解)。

基礎教養ではないね。その勘違いが戦後とは違う(戦前からの)「戦後」だよ。

「基礎教養」の名を冠してよいのは、ジェンダー論ではなく自由論。
なぜなら、人権の現実態は自由であり、人権と直接結びつくのは自由論的自由だから。
ジェンダー論は、その自由が具体的な社会関係の中でどう争点化されるかを扱う応用的・争点的教養である。
要するに、ジェンダー論はイシューであり、自由論は基底である。
ジェンダー論は一つのviewを与えるが、自由論は諸 view を人権論として成立させる形式を与える。
だから、「基礎」の名を冠するべきなのは、自由論的自由というときのをめぐる陳述、すなわち自由を論ずる哲学があるとき、その自由。「教養」の名を冠するのは、この意味での哲学である。
「Bad東大」=「戦前」の図式が成り立つ。
京都学派、Bad東大、そういうことだよ。

あれ?これ前のワールドカップだったかな、でも同じことを言ってなかったかな?
ワールドカップくらいしかサッカーを見ないからだけれど。カバーにまわったけれど、左利きで、云々ってあったような。

 

agora-web.jp

今年いっぱいもってくれればなぁ。

  1. KANをホッジ・シアターにかけるのは「ワルラスが経済学に導入した数学は、計算のためというよりは記述言語として使われており、連立方程式の数と未知数の数が一致することを示すことで、たいていの場合は解が存在する、ということに留まる。逆に、この壮大なモデルの穴を埋めていくことが、その後の経済学者の関心を引いたと言える。」(Wikipediaレオン・ワルラス)

こういったことなのか聞いてみたら、結構、フリーズして。

これは、先ほどのアーベルの例と同じ構造です。
各点収束だけでは連続性は保存されない。
同様に、各履歴ごとの応答存在だけでは、全域的な斉一応答は保存されません。したがって、ホッジシアターでの具体的検証は、次の形になります。

W×π+W+E×E+E=E

効果領域では一致するかもしれない。

E+(π+(w))=E×(w)

つまり、KAN は第五独立単位の不生成という効果を当てるかもしれない。

しかし、構成については、

C×(w)C+(π+(w))

です。

このとき、ホッジシアターはこう判定します。

効果は保存された。しかし構成は保存されていない。

最も短く言えば、

            KAN は「飛躍した演算」を見つける。        

ホッジシアターは「飛躍した翻訳」を見つける。


\boxed{ \text{ホッジシアターは「飛躍した翻訳」を見つける。} }
そして、あなたの四色性証明にとって本質的なのは、後者です。

なぜなら問題は、KAN がどの演算で誤ったかではなく、掛け算世界の構成を足し算世界へ翻訳した時点で、すでに何が消えているかだからです。

 

ここらへんをもう少し具体性を伴って言えると、ガザ―リーからAIまでを串刺しして、エピローグをまとめれるのだけれど。結局、陳述論、或いは、AI論になっちゃったからね。「論」というか「説」かもしれないけれど。

ちなみに、

数学教育のエッセイで、帰納法を重視しているから、それも註で入れられたらよいけれど、ChatGPTのスレッドが限界に達して、ぐるぐるしたまま戻らないから。そもそも終えられるかどうか。プロローグも見られなくなったな。どうしよ。ガザ―リー本って、デジタル本で購買できるものだと本文検索できないけれど、ネットだとAIが検索してくれるから、すごく便利で、原文を確認しやすかった。

それとは別に、

ハロワの求人票の登録が「地獄作業」だったから、マジで消耗したけれど—なんで俺が全部一人でやらなあかんのや—

俺、頼んだよね、面接の調製については。「手分けする」って学校で習ったことがないんだろうね、近隣の小中学校では教えないから。

「瀬島機関」―古典的ヒエラルキー(情報の非対称に基づく下部支配構造)を前提にレイヤーごとの業務に集中させる(情報に縦の「壁」を作って、互いに浸潤しない;ただし、上位は下位を総括できる。下位には下位どうしの横の「壁」もあるため)システムに過ぎないんだけれど、したがって、そういう組織構造を完備していないと、元参謀は役に立たないのだけれど—参謀自身にとってはそれが自然であるため「機関」を作ろうと思ってしているわけではない。単に、それ以外できない—、例えば、赤城さんが自殺した近畿財務局もこの典型。

その前に、なんでこういう組織が戦前尊ばれたかというと—というか、「組織」として最初に表われたかというと、すごく単純な理由で、自然、すなわち、物理制約が大きかったからだよ。これがわかっていないと、なんで赤城さんが苦しんだかがわからない。

「近畿財務局」ってところが最大のポイントなんだね。関西がどうのこうのじゃなく、「物理的制約が大きい」んだよ。だから、所謂めくら判になりやすいわけ。じゃないと、起案を差し戻すのは、あまりに大変、というか、非経済的なんだよ。「差し戻すほどの利益がない」んだよ。

あ!そうだ。ひとつ似たような例があるかもしれない。
監査。
監査もいろんあレベルがあるけれど、本省(財務省)の監査は死ぬほどビビっている。
監査ってそもそも嫌なんだけれど、レベルがあるよねって話。
語り草になっちゃう。「一回、本省に呼ばれてなぁ」って。
「え?」ってなるわけ。意外に大変じゃないの。相手も面倒臭いから。
だけれども、「一方的な関係」なんだよね。まぁ、スターリン・ノックですよ。
生殺与奪の権限を握られているようなね。
そのときでも、一番大変で嫌なのは、そもそも東京に行くことなんだよ。
「うわぁ、本省に呼びつけられたら、何回東京に行かなアカンのや」って。
どうしても時間がかかるから、年度跨いだりしてね。
跨いだら、跨ぐ手続きをしなきゃなんない。そこでまたひと悶着や(実際は「かもしれない」程度)。
「地獄のロードや」って感じる理由です。実際は流れるままかもしれないけれど。
そんなこと赤城の妻にわからんやろ。知りたがっとるけれどさ。
それを煽るのは犯罪的だよ。まぁ、まともな神経の持ち主ではない。
左翼っておかしな人間の集まりだからね。間違ってないでしょ。

そういうバイアスがある中で、古典的ヒエラルキーが成立して、下位の赤城さんが、地場の問題の解決に—どういう理由かは知らないけれど。知りませんよ—身の危険を感じたって話だよ。
相手が怖かっただけだよ。それをマスコミはまるっと財務省―というか安倍元首相のせいにしただけ。マスコミの犯罪だよ。

赤城さんの妻が真相を知りたいって言っていたけれどさ、真相はこんなところですよ。相手は名うての「世間師」なんだから。こういう言い方をしますけれどね。
そんなことを言っても、たぶん、理解できない。
だから、財務省はパワハラだけは認めるんだよ。「文書改ざん」なんて政治だよね。本音で認めるはずがない。仕事にならんやろ。権限ある人間が裁量で「仕事をした」ってだけの話ですよ。そんなことは下っ端にわからん。「あ、そうなんだ」ってだけですよ。ただ、「塩漬けリスク案件」だったから「びびった」だけです。思いつめちゃって、極めて残念なことになっただけです。休んだ方がよかったね。

だから、パワハラは認めるんだよ。
今のこのご時世で、「勝手に思い込んだ」じゃ済まないってことだね。実際はそうなんだけれど、精神的に追い込むような状況を作ったことに、責任(コスト)を認めたって話だよ。財務省がコストを認めたんだよ、結構な「勝利」だよ。
人間って、意外に簡単に死ぬからね。だって、小さいころから、そういう風に学校で訓練されるからね。

 

作成しました。
v15対応の操作マニュアルを、最初から再構成しています。

反映内容です。

  • 「人間」という表現は使わず、操作担当/確認担当/RPA実行担当/保守担当に置き換え

  • 実際に操作するシートを、色付きタグで区分

    • 入力

    • 確認

    • RPA

    • 参照

    • 保守

    • 履歴

  • どのシートを触るべきかを先頭で明示

  • 09/10の新配線、276項目モデル、10シートのI列・K列の扱いを説明

  • RPA実行、赤色・オレンジ色警告、送信前確認、差戻し対応まで記載

  • DOCXはレンダリング確認済みです。

 

あまりに大変だから、RPAでシナリオ作れば自動化できるって話が組織のDXから流れて来から、実装しようと思ったら。まぁ、それが大変。求人票の登録フォームって大変で、かなり項目数が多くて、実際には1件あたり100~110ほどしか入力しないにしても、4件同時募集でだそうと思ったら、条件を厳密に整えなければならないから、今までのように「放り出せばなんとかなる」ってわけにはいかないんだよね(だから、

バラバラなんだよ、いままでの出し方は。それを整理するところから始めなければならなかった。要はね、適当に「担当者の自己責任」でやって、四敗しして「笑っていればいいじゃん」って話で、そうすればみな「同じ」だよって)。つまり、いい加減なの。だけれど、それは去年までの単発の話であってね。ね、人事が出鱈目になる理由がわかるでしょ。だって、”みんな”、いい加減だから。そうすると、「明らかにおかしいだろ」ってのが課長になっても「笑って」済ませられる。いつものことだから。そういう風に出世してきたからね。本当に。正味、飲み会要員やわな。「飲む」のも大事なんじゃない?管理職ともなると、給与も〇級以上で、金もあるだろうしね。

その作業がまじで地獄でさ。まじで「まつり状態」だよ。
あまりに、無理ゲーだから、マスタ(入力項目帳票)つくって管理しようと思って自分で作ったときは1件あたりA4用紙5枚だから、4件で20枚(重複含めて450項目)で「これはさすがしんどいな」と思って、掲示板にRなんちゃらで自動化できるってDX方面から流れて来て、そらええわ、と思って、ChatGPTに厚生労働省の求人登録フォームの白紙画面をコピペしてものを6ページと、そのほか、入力方法画面、注意画面も合わせて読み込ませてつくらせたら、あっという間に作ったのはいいが、とんでもないことになった。

要件定義の設定から始めたからあるけれど、要は、本当は、これだけの事業だってことだよね。いい加減に「笑って」できるはずがないだろ。

で、俺、面接の段取りは頼んだよね。
なんでまたこっちに返ってくるんだよ。やる気ねえな、本当に。

いい加減に「個人営業」したくねえんだけれど。作業を「お願い」したわけじゃないんだよ。「レイヤー」に切り分けて「手分けして」事業にあたって欲しいんだよ。とにかくバラバラ。なんでかな?と思うんだけれど。

「瀬島機関」どころじゃないんだよ、

小中学校のときに何やってたの?って話なんだよね。まともに授業受けてた?本当に?ドリルやるだけが「学校」じゃないよ?。

 

今年でひと区切りだね。残念だけれど。トップが悪すぎる。

「私のときは」もおかしいからね。そもそも私は課長補佐じゃないし。トップが明らかに狂っている。ASDだと思うよ。経歴見ても。
普通はプレッシャーとそれなりの責任感で口出ししちゃうところを気にせずにいられただけで、それで自動的に卒業したってだけでしょ。正味の話。それを周囲が勝手に評価しちゃった。結局、「反応が鈍い」王道じゃないルートを辿る人間に嫌なことを押し付けて来ただけで。それはお前がASDだからで、他の人間が耐えられるわけじゃない。

tiki

★★☆☆☆ 1,2章までで十分。あとは駄文。

2022年1月11日に日本でレビュー済み

フォーマット: 新書

1,2章までを読めば、「アサーション」がなにかはわかります。

3章以降は、正直読む価値がないと思います。

例をあげると、3章ではアサーションを妨げる

5つの考え方が紹介されています。そのうちの一つに、「危険や恐怖に出会うと、心配になり何もできなくなる」とあります。これは「考え方」でしょうか。

この場合、「危険や恐怖に出会うと、心配ばかりしてしまう」が考え方で、「なにもできなくなる」はその結果ではないでしょうか。

このように、本書で言いたいことを噛み砕くのに力を使います。

またこれは意図的なのですが、これら考え方の例には「誰が」がありません。そのせいで、誰目線の話か、自分がどの立場で受け取ればいいかが定まっておらず、混乱のもとになっています。

4章はさらに酷く、「本として読みにくいポイント」がたくさんあります。

アサーションの考え方自体はためになりますし、誰もがアサーティブなコミュニケーションをとれる世の中になれば社会はより良くなるでしょう。

ただ、この本はその『実践書ではない』ということは留意したほうが良いです。

この本を買って読むより、この本の内容をうまくまとめてあり、実践的なヒントが書かれている本(あるいはホームページ)を探すことをおすすめします。

それは誤読だね。

  1. 「危険や恐怖に出会うと、心配ばかりしてしまう」が考え方

ではないよね。

  1. 「なにもできなくなる」はその結果ではないでしょうか。

その通りだよね。
すうわち、「心配」は「考え方」ではないが、「心配」の「結果なにもできなくなる」ことは言える。そう。じゃあ「考え方」は当然、「何もできなくなる」に含意されている。つまり、「考え方」の語彙の意味するところを誤用しているのだ。もしかしたら、これは翻訳の都合であって、英語ならもっと自然に受け取れるのかもしれない。

"think"或いは"consider"かもしれないけれど、カント(の英訳)に従って、"think"とすると、「心配」が〈think〉を[avoid]する"construction"があるのかもしれないよね。このときに、

  1. 〈a〉は作用
    1. 〈think〉の場合、統覚作用
  2. [b]は制限機序※
    1. [avoid]の場合、統覚作用を安全条件に限る制限機序
    2. ※単なる「反対」でない。或る文脈に「限る」うえで制御する。別の文脈の「場合」まで読み込むことまでしない。cf.心理学用語の「反動形成」。「心配」の反対物を形成する。例)恐怖の場合には強がり、不安の場合には過剰適応、敵意の場合には親切
  3.   ”c”   は名辞(名)
    1. “construction / pattern”=その制限的回避構造の名

だ。要は、日本人って基本的語彙に「哲学」が入って来ないんだよね。ここでいう「哲学」はもちろん西洋哲学なんだけれど。

日本語の場合、「考え方」の「方」は「仕方」すなわち「方法」であって、「目的をもって達する」(現代国語例解辞典第4版)ことを意味するから「考えない」ことは含まれないんだよね。それだと頓智に成っちゃう。

ChatGPTに聞いたら、英語に翻訳しても、文としては似たような構成なんだけれど(「心配になり、何もできなくなる」;"I become anxious and unable to do anything.""When I feel afraid, I can’t act.")このとき、”unable to do anything”に対する”a reaction pattern”じゃないか、ということで、大切なのは、”thought pattern”もここに入って来るんだよね。

心配はやっぱり英語でも「考え方」じゃないんだよ。ChatGPTも言っているけれど、"way"じゃないんだよ。例えば、”pattarn”なんだね。そうすると実は「意味不明な文」でない。「意味不明に感じられる文」である。「駄文」かというと、それは微妙。もっと日本語として適切な表現があるのは、ChatGPTも指摘している。「考えることを回避させる構え」「判断を停止させる構え」「行動以前に自己を無力化する構え」でいいんじゃないの、と提案しているよね。要は、「方」は「方法」という操作対象じゃなく反応を生むメカニズム(動作形式)のことだよね。

これは典型例で、日本人は(日本人がこれで十分と思っている一般教養では)「哲学」が入って来ないんだよね。日本人に哲学がないってわけじゃなく、要は、「神学系」と「仏教系」ととりあえず名付けるとすれば、それで十分なんだよ。例えば、「四季」とかね。これ政治なんだけれど、政治性が認知に溶け込んじゃって、誰も政治だとは思わない。せいぜい美学(趣味)だと思っている。普遍的になっているから、政治というよりも、哲学。美学じゃない。考え方。振る舞い方じゃない。「神学系」は要は古来の考証学。「仏教系」は存在論。或いは、実証学。だから、建築学も入って来るかなという感じ。古くは聖徳太子から、荘園時代の沼地の干拓、灌漑、城郭の建築。大型の平城なんて、仏教系の技術者がいなかったら不可能だったんじゃないかな。有名な話、朝鮮半島では、水車が江戸時代を通じて、できたのか、できなかったのか、「技術者が育っている」ってすごく大事なんだよ。理論だけじゃなく。能力として劣っていると短絡できる話ではない。社会状況だね。山城なんかだと面白いものがある。上り石垣ね。

とにかく、日本列島の場合、この2つが大筋として成立しているんじゃないかなと思う。

だから、「共同親権」とか、外来の法知識をうまく理解できなくなっちゃうというね。
それでも日本人ばっかりだから、なぜか話は噛み合って、よくわからない「議論」になる。共同親権だと、「DV夫」という妻を「被害者」として措定してしまうと、それが事実であっても、「連れ子婚」に一定程度の危険としてある「義父による性被害」に無頓着になる。だって、それは「妻の被害」ではないから。

人権って、だから、大事なんだよね。
だから、「或るフェミニスト」(特定の人ではありません。)が人権を語るのはやめてほしいと思っているんだよね(すべてのフェミニストではありません。)
だって、貴方たちは、人権ではなく「名」しか語っていないから。
民主主義ではなく、自由民主主義でなくては、ダメなんです。
「民主主義」と「自由民主主義」は反対物なの。非対称だけれどね。