憲法に対する大いなる誤解

憲法とは何か
ー最高法規である

最高法規とは何か
ーそれ以上に理解を支持するよすががないため、循環構造を持つ

循環構造だとどうなるか
ーSすなわちOであるため、遂行的になる、可能な論理を要請する

日本国憲法の特徴とは何か
ー米法系のプラグマティックな制度であるが、(占領当初の日本への誤解と戦争評価に付随させる「美しい物語」の要請から)裁判所への信頼の上位に国会の民主的支配を置いて、国会においてプラグマティズムが完成するようになっており、下位法制が大きな役割を果たすようになっている。

憲法9条の理解の問題とは何か
ーただの約束或いは契約なら、(主体はいちいち問題とならずに)相互の行為羈束であればよく、テキストの対象、すなわちオブジェクティブ(ベタ)なレベルの日本語の理解でよいが、上に挙げたように憲法の特殊性から、論理(学)の理解が必要となる。憲法の理解の前に論理学があり、論理学の周縁に言語学がある。

必要な論理的理解とは何か
ー例えば数学にεーδ論法があるように、再帰構造の産み出す無限についての、外挿に依る、具体的な値を返す処理があるから、それである。法学の語彙ならば、「具体的妥当性」がそれにあたる。下位法によって決まるなら憲法が無意味かと言えばそうではなく、憲法には確認的な意味と形成的な意味があるし、また、(具体的な線引きに至らずとも)あくまでスペクトラムに(範囲)抑制する、波及性を持つ。

「中学生に理解できる」ようにするべきとは、どのようなことか
ー生得的に平等な権利と意志能力に関わることで、権利の行使は広く行われるべきであることから、テキストを対象とする(ベタ)レベルの理解について、平易な言葉で書かれるべきとすることであるが、上に挙げた最高法規性とその根底にある論理の理解が高度に専門的で一般の中学生には難しいこともあって、国民投票による決定は、主権者の志向を示すのみになる。


わかりやすく言うと。
髪を切りに行くにも、スタイルだけ要求してあとはお任せで、鋏の使い方ひとつで議論を重ねるわけじゃねえだろ、ってこと。
なぜ、憲法なら素人にもわかると思うのか。
それは、リベラルな人間観ー理性は平等に付与されるべき、という物語に過ぎないんだよ。そういったことで、それをことさらに強調する人は、革新である。保守ならば、大人と子どもをわけるだろう(これは比喩的な意味を含む)。
イギリス人を見習えよ。国民投票の意義を認めつつ、基本的に信頼しちゃいなかったのに。。。
もちろん、日本国の主権者は日本国民であり、主権者の権利の行使は憲法(constitution)に関することに他ならないから、国民投票は行うべきであるが、「中学生にもわかるように」に、憲法上の、重要な意義を見出すべきではない。あくまで、権利の"行使"に関して付随する事柄のみである。