もしも各科学の主たる目的を「真理」ーすなわち、われわれにとってはまったく無関係な存在であるか、あるいはわれわれに関係するとしても、われわれの恣意的な創造ではなくて、われわれの活動とは独立な必然性ーを理解する努力に見るならば、最終的な結果、最終の目的地は、われわれはいずれにしても近付くことができるだけで、一定不変であり、変えることができない。
対照的に、科学者自身は、これはこれらの結果に至る人間の知識の過程を表すのだが、無限に多様で、無限に異なる表現が可能である。これは、人間の仕事として、科学が人間の恣意性に従属するからであり、精神的能力の不完全性に従属するからである。
限界のない人間に恵まれた人間がいるとすれば、本質的に科学はありえないであろうーそんな人間にとっては、われわれなら長い推論の連鎖を通じて達する最終結論がたちまち自明なものとしてわかるだろうからである。
dedekind,R.,Gesammelte mathematische Werke,3vols
23歳のデデキントがガウスの面前で言った言葉である。
( 『フレーゲ・デデキント・ペアノを読む: 現代における自然数論の成立』P134,足立恒雄)
リヒャルト・デーデキント - Wikipedia
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1854年は黒船来航の次の年。
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こらこら、関口開が紹介されていないではないか。