補題

 

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アメリカの連邦法と州法の関係は、日本の国会立法(法律)と地方議会立法(条例)の違いに相当するか」を考える際に採り上げた憲法学上の問題が、具体的にどのように議論されるかをみるとすれば、

がよいだろうと思うが、1問だけ見ていても仕方がなく、

  1. 国民主権古野豊秋
    国民主権は、国政の組織原理として、どのような制度を要求しているか。国会議員の選挙制度とリコール制を例にして考えよ。
  2. 権力分立(西浦公)
    近代的な権力分立論は、現代では大きく変貌しているといわれるが、現代における権力分立論の特質について説明し、権力分立論が現代なお重要な基本原理といいうるかどうかについて論ぜよ。
  3. 国権の最高機関(百地章
    「国会は、国権の最高機関である」という規定には、どのような法的意味が認められるか。
  4. 唯一の立法機関(武永淳)
    「国会は、必要があると認めるときは、議決により法律案を国民投票に付することができる。その場合、投票の過半数の賛成があるときは、右法律案は法律として成立する。」という趣旨の法律が制定されたと仮定する。この法律に含まれている憲法上の問題点について論ぜよ。[司法S63Ⅱ]
  5. 立法の概念(堀内健志)
    国の行政機関の内部部局の設置及び所掌事務が法律事項とされていること(国家行政組織法第七条第五項参照)と、国会は「唯一の立法機関である」と定める憲法第41条との関係を説明せよ。[司法S51Ⅱ]
  6. 法律と条例制定(村田尚紀)
    条例と法律との関係における諸論点について、政令と法律との関係の場合と対比しながら、説明せよ。[司法S59Ⅱ]
    1. (A説)条例制定権を創設により(憲94)、条例は、国会中心立法原則の例外
    2. (B説)条例は、「地方自治の本旨」(憲92)が国の立法権(憲41)を制約したうえで、国会中心立法の例外を具体的に規定(憲94)
    3. (C説)条例は、国会中心立法の例外ではなく、条例制定権(憲94)は地方公共団体自治権(憲92)の反映
    4. (D説)条例制定権は国家から授権されたものであり(具体的には、地方自治法14条1項)、一種の委任立法※

が適当だろうと思う。体系なので範囲を持つが、具体的には個別の問題性を持つ。その個別の問題を考えるにあたっては、直接答えるのではないにせよ、その範囲を捉えることとなる。

なお、P.80「最高裁はAないしB説をとっているとみられる。」(最大判昭37.5.30刑集16巻5号577頁)

※32の3と4をみると、自衛隊が合憲であると判断する場合と類似したロジックとなっている。自衛隊が合憲なのは、憲法自衛権はもとより具体的な政策としての自衛隊も否定しておらず(否定されているのは政策上の具体例であって、行為制限であり、存在規定ではない。)、かつ、具体的な政策を決定している自衛隊法で内容を満たしているからである。

今件と自衛隊が異なるのは、憲法上の条例の取り扱いに関して、他条文との関係が採りあげられるからである(人権規定にはしばしばみられ、このとき、公共の福祉論が援用される。「男女平等」は人権の反映なのか、人権と拮抗する別の価値規範なのか、である。或いは、「家族」に関しても言える)。


かなえ先生はあくまで「水原事件」の解説をしているので、ここまで拘る必要がないので、気にはならないが、まぁ、詳しく言うと、こんな感じ。

結局、アメリカはアメリカだし、日本は日本で、それぞれやっています、という答えが自然だろうと思います。

だから、答え方としては、

「あぁ。そうだよねねぇ。制度として個々の具体例に成るから、類例として並べらたときに、似たような要素機能を挙げられるけれど、あくまで個々の話であって、同じではないよー。あくまで比喩としての譬えだから、飛躍は在るね。でも着眼点は正当な(憲法学上の)議論の対象と成るから、よい着眼点だと思うよー」

という感じだろうか。かなえ先生はご自身でおっしゃっていたけれど、「学術系Vチューバ―」ではないんだよね、敢えて言うなら「実務系」であって、ということ。
だから、あんまり拘る必要もないかなって感じ。

わかりやすくて本当に勉強になるよ。
もうね。思春期の児童たちにはみんな見て欲しい。
これが「公教育」だよって。

www.kokusen.go.jp

これも素晴らしいけれど、児童からすると、ときに専門的でありすぎ、ときに概略的でありすぎる。

実務に携わってきた人特有の具体的に、技術的に説明する能力が高いし、話題の事件に即して詳細に説明しているので、飽きないよね。

それでいて教育に携わってきた経験が活きている。何を目的とすべきか(単なる速報、あるいは、ただの意見なのか)を考えると、そういった源泉があるかなと思う。

単純に人格も円満だと思う。だから、協力者も多いよね。

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ゆたぼんもそうだけれど。

大学の入学式がリクスーばっかりの(今は)黒一色で「個性がない」というわだいがあって、いや、(親に買ってもらっておいて)「何を着るか」じゃないよ「どう管理するか」に貴方の個性が出るよって。

ただ学生だと普段スーツを着ないからね。なかなかピンと来ないけれど。

ダイソーでクリーナーと靴墨と靴磨きクロスを買って来た。

belcy.jp

靴墨には、油性(鏡面仕上げ)と乳化性(保湿。革の保護)の2種類があって、ダイソーに置いてあるのは、油性のもの。

油性の靴墨を使うには、下地と仕上げの2層(或いは3層)塗るので、結構大変で、10分の作業ではなかなか光ってこない。

「片足約20分で作業は終了」(P.89)。なにしろ、「指南役の日高さん曰く「できればプロに任せた方が…」というほどの作業なのだ」(P.88)。

集中できるから好きな作業なんだけれど、疲れる。「片足20分」はあくまで油性クリームだけの話だからね。

それで、光沢出たから右足は大満足、左足は小満足して一晩眺めて、翌日、雨が降るから、シリコンスプレーかけたら、微妙に汚くなったというね。

個性が出るね。
何が言いたいかというと、万事「時間がかかる」ということがすごく大事で、その配分に個性が出るんだよ。

(靴磨きに限らず)こういうことを大切にしている人なんだなってわかるんだよ。
それが、直接的でないにも関わらず、他人に対する気配りに「なる」のだろうと思う。
結局、他人との関係を大事に出来るって、こういうところからなのかもしれないよね。拘る必要はないけれど(「拘り」自体が、場合によっては、他人にとっていかがなものかということはあるから)。

何が言いたいかというと、口先とか、手先とかじゃないよってこと。

なかなかできない、、、、、、、、 からね。だから、大事。だから、個性が出る。
ドレスコードでも「ある」のなら気にしないわけにはいかないけれど、「個性」という言葉には違和感を覚えるよね。

それがゆたぼんの作成した或いは出演したビデオにも言えることだけれど、大人の真似事をして(子どもは「そういう存在」だから、否定するものではないけれど。)それが話題になるのは、倒錯的な価値を(大人の管理のもとに行っているので)無責任に面白がっているだけでね、ゆたぼん自身の「個性」ではないよ。或る種の大人が望む「子どもの理想」を見せてくれていたわけ。幼稚で無軌道な、しかし、無邪気で悪気のない、それゆえ、実社会とはよくもわるくも無関係な存在としてね。異世界なんだよ(要は、ピーターパンの世界)。成長するにつれ、年齢相当の発達を見せないと、違和感だけが浮き彫りになって来る(今までの経験を否定するものではありません)。
そういう年齢に差し掛かったというわけ。

親は基本的に、経済的に自立して(大抵は就職に期待をかけて)、精神的自立が充実してきたら、結婚して、対等な関係になったら、子育ては卒業だよね。

フランスなんかあれだよ、18歳になったら自立しているって、経済的にも支援が細る或いはなくなるからね※。それは、日本社会の場合、早いよね。結婚するまで乃至20代を終えるまでのうち、早い方だよね(ただし、発達障碍やその他の自立の協力や協調が必要な場合を除く)。

※或る著名な、職業で成功されてリッチなセレブの方の親子関係が取り沙汰されたことがあって、あれは子ども資質の問題、親の資質の問題、親の経験がないまぜになって、悪気はたぶん絶対にないのだろうけれど、振る舞いがかなり過剰だったよね。

このこの場合、一生、関わってゆくことになるんじゃないかな。それは自立を「諦める」ということでは決してないのだけれど、協調的な、ときに或いは往々にして、支援を必要とすると思う。そこは仕方がないんじゃないかな。

もう一人のお子さんへの態度とは違う印象を受ける。親も含めて、一人一人違うから、難しいのかな。

母親が男児に甘い或いはそれが過剰で実際は虐待に繋がっているとすれば(つまり、成長に応じた関係性の見直しが都度必要なのが、「幼児の抗いがたい魅力」が麻薬並みの誘引を持つのかね。こうなると、アディクションに近いよね。そうじゃないと、幼児が危険だからだろうけれど、問題は、いつまでも幼児じゃないことで。反対に「厳しい」育て方にシフトチェンジしても、ただの「逸脱」になるというね。)、やっぱり経験から知らないということが「ある」んじゃないかな。女児ならば「成人」を知っているけれど、男児の場合、そうじゃないのかね?