都心の大きめ書店には先日から並んでますが、今日が正式な発売日
— 諸隈元シュタイン (@moroQma) July 13, 2021
諸隈元『人生ミスっても自殺しないで、旅』
ヴィトゲンシュタイン御用達の万年筆、ウォーターマンと並べてもこの通りの小サイズですので、探すのに一苦労かもしれませんが、運よく見つけられた時は、拾い上げてくださったら"幸福"です pic.twitter.com/WxE9Dum8Jy
ウィトゲンシュタインと言えば、この人で(「ヴィトゲンシュタイン」派なんだけれど。それについての考察もこの方はされている。私は「ヴィトゲンシュタイン」から「ウィトゲンシュタイン」への 無分別な 転向派。)、
トロッコ問題に対し、ヴィトゲンシュタインが何を語るかについては沈黙しておきますが、彼が「影響を受けた」人物としてラッセル等とともに名を挙げるカール・クラウスという文筆家の言葉はヒントになるでしょう
— 諸隈元シュタイン (@moroQma) April 14, 2019
「もし二つの悪のうち、より小さな悪を選ばねばならぬとしたら、私はどちらも選ばない」 pic.twitter.com/o4DhYbHDNK
これってすごく大事なことを言っている。
特に、哲学と言うよりも、政治学における、「戦後」と戦後の違いについて。
これぞまさにドイツ人なのは、結局、ライプニッツにしろ、ヴィトゲンシュタインにしろ、「アルものはアル」と言っているんだね。
すなわち、「ナイものはアルと言えない」「アルものはナイと言えない」とう話である。
これをライプニッツは、極小概念で主張したのであって、ウィトゲンシュタインも記号に関してそうだった。そして、それを批判したのも、数学的に洗練された「経験主義者」たちだったのである。 逐一 必要に応じて 任意に 取り出せれば 十分 ではないか、との考えの下、方法的に解決したと主張したのであった。分析的な解決である。
ドイツ人は「(いちいち)定義に煩い」というのが、統合的な嗜好である。
markovproperty.hatenadiary.com
いや、ドイツ人は、「最初から定義しておかないのは、おかしい」と言っているのだ(アメリカ人は、針の先に穴をあけることが、大事である。或いは、私には説明できないが、グラスマン代数のドイツ人ヘルマン・ギュンター・グラスマンと四元数、行列のイギリス人ウィリアム・ローワン・ハミルトン、アーサー・ケイリーの違いかもしれない。ちなみに、グラスマンは数学の父子鷹だったがうだつが上がらず言語学で名を成した。言葉に早熟だったハミルトンは若い頃は社交界のプリンスだったが初恋が叶わず―いや叶っていたが逃げ出して—研究に没頭するうちに、禿げて太って、干し肉なのか、肉片が干からびたのか、齧り跡を残して頓死した。ケイリーは弁護士で食いつないだ。三人に共通していたのが、言語にやたら強いことだった)。
「全称」というが all students なのか、each student なのか、every student なのか、the whole class なのか区別がつかない。
日本語は方便を敢えて言わず、「矛盾なくできればいい」という「足立の剃刀」が使われる。
—all+plural noun,each+plural noun,every+plural noun,whole+plural noun
Which is correct?
The correct forms are:
- all + plural noun: all students
- each + plural noun: each student
- every + plural noun: every student
- whole + plural noun: the whole class
—Explain the different nuances of those.
Certainly! Let's delve into the nuances of each expression:
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All + Plural Noun:
- Meaning: Refers to the entire quantity or group of something.
- Example: All students must complete the assignment by Friday.
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Each + Plural Noun:
- Meaning: Refers to every individual item or person in a group, one at a time.
- Example: Each student received a different topic for their presentation.
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Every + Plural Noun:
- Meaning: Similar to "each," indicating every individual item or person in a group, but it can be more general.
- Example: Every student in the class has access to the online learning platform.
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Whole + Plural Noun:
- Meaning: Refers to the entirety of a group as a single unit.
- Example: The whole class participated in the science experiment.
In summary:
- "All" emphasizes the entirety of a group as a whole.
- "Each" focuses on individual items or persons, one at a time.
- "Every" is similar to "each" but can be slightly more general.
- "Whole" treats the entire group as a single unit.
Consider the context and the specific emphasis you want to convey when choosing between these expressions.
もちろんです!それぞれの表現の微妙なニュアンスについて詳しく見てみましょう:
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全体 + 複数の名詞:
- 意味: 何かの全体の量やグループを指します。
- 例: 全ての学生は金曜日までに課題を完成させなければなりません。
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それぞれ + 複数の名詞:
- 意味: グループ内の各個のアイテムや人物を、一度に一つずつ指します。
- 例: それぞれの学生はプレゼンテーションのために異なるトピックを受け取りました。
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全ての + 複数の名詞:
- 意味: "それぞれ" に似ており、グループ内の各個のアイテムや人物を示しますが、もう少し一般的かもしれません。
- 例: クラスの全ての学生がオンライン学習プラットフォームにアクセスできます。
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全体の + 複数の名詞:
- 意味: グループ全体を一つの単位として指します。
- 例: クラス全体が科学実験に参加しました。
まとめると:
- "全体" はグループ全体を強調します。
- "それぞれ" は個々のアイテムや人物に焦点を当てます。
- "全ての" は "それぞれ" に似ていますが、もう少し一般的かもしれません。
- "全体の" はグループ全体を一つの単位として扱います。
これらの表現の選択に際しては、文脈と伝えたい具体的な強調点を考慮してください。
実と言うと、私は、小学生の頃、カール・クラウスと同じ考えで居た。
後から知ったのだが、ドイツ人に限らず、日本人にも、かつてそういう人は居た。
しかし、今は、フィリッパ・フットを支持する。
敗戦があったからだ。
闇市を認めず餓死した裁判官が居た。犯罪は犯罪だからである。同じ「犯罪」という名である(いや〈犯罪〉は或る形式なのか?)。
問題は、この裁判官の「自死」(自殺自体は犯罪にならない[有斐閣法律用語辞典PP591-592「自殺関与罪」]。望んだ餓死 cf.即身仏)を認めるにしても、一般大衆が闇市を利用することは倫理的に認められないだろうか?
1948年(昭和23年)9月29日に最高裁判所大法廷で判決が出された食糧管理法違反事件では、ヤミ米を購入し食糧管理法違反として検挙され、配給食のみでは健康を維持できないので、日本国憲法第25条2項目の生存権に反し、食糧管理法自体違憲であるとして飛越上告をし争われた(判決そのものは、「個々の国民に対して具体的、現実的にかかる義務を有するのではない」として、食糧管理法は生存権に反しないとされた)。
これは政策の問題であるので、
同年12月1日、大蔵大臣池田勇人の答弁が「貧乏人は麦を食え」と誇張して報道され[11]、いまだ白米が行き渡らぬ家庭の反感を買うが、翌1951年(昭和26年)10月25日には麦の統制撤廃が閣議決定された。これをもって米以外の食品は全て自由販売となり、ヤミ物資ではなくなった。同年12月、東京都内の常設露店は廃止となり、いわゆるヤミ市は姿を消した[5]。
経緯としてはこれで民意も落ち着いたが、当初は生存権が争われた。それについて最高裁は「プログラム規定説」を採用してこう判示した。
すなわち,国家は,国民一般に対して概括的にかかる責務を負担しこれを国政上の任務としたのであるけれども,個々の国民に対して具体的,現実的にかかる義務を有するのではない。言い換えれば,この規定により直接に個々の国民は,国家に対して具体的,現実的にかかる権利を有するものではない。社会的立法及び社会的施設の創造拡充に従って,始めて個々の国民の具体的,現実的の生活権は設定充実せられてゆくのである。
最(大)判昭23・9・29刑集2巻10号1235頁(食糧管理法違反被告事件)
P.218,【判旨】,144生存権の性格(1)—食料管理法事件,第3章国民の権利および義務〔Ⅶ生存権的基本権〕,憲法判例〔第3版〕,有斐閣双書
裁判例結果一覧 | 裁判所 - Courts in Japan
その他の「食糧管理法違反」に関する裁判
ロジックが面白い。「そもそも」論から入る。多少抜粋する。
原文は 主文 本件上告を棄却する。
- そもそも、人類の歴史において、立憲主義の発達当時に行われた政治思想は、できる限り個人の意思を尊重し、国家をして能う限り個人意思の自由に対し余計な干渉を行わしめまいとすることであつた。
- そこで、個人の自由権的基本人権の保障が定められた。
- かくて、国民の経済活動は、放任主義の下に活発に自由競争を盛ならしめ、著しい経済的発展を遂げたのである。
- ところが、その結果は貧富の懸隔を甚しくし、少数の富者と多数の貧者を生ぜしめ、現代の社会的不公正を引き起すに至つた。
- そこで、国家をして他面において積極的に諸種の政策を実行せしめる必要を痛感せしめ、これがいわゆる社会的施設及び社会的立法である
- 社会的立法及び社会的施設の創造拡充に従つて、始めて個々の国民の具体的、現実的の生活権は設定充実せられてゆくのである。
- 国家経済が、いかなる原因によるを問わず著しく主要食糧の不足を告げる事情にある場合において、若し何等の統制を行わずその獲得を自由取引と自由競争に放任するとすれば、買漁り、買占め、売惜み等によつて漸次主食の偏在、雲隠れを来たし、従つてその価格の著しい高騰を招き、遂に大多数の国民は甚しい主要食糧の窮乏に陥るべきことは、識者を待たずして明らかであろう。
- 同法は、国民全般の福祉のため、能う限りその生活条件を安定せしめるための法律であつて、まさに憲法第25条の趣旨に適合する立法であると言わなければならない。
- 等しく食糧管理法違反と言つても、その犯罪の内容実体は極めて多種多様である。その犯情が同情すべき場合においては、検察官が或は微罪不起訴となし、或は起訴猶予となすこともあろう。裁判所においても、或は刑を軽減し、或は刑の執行猶予を言渡し、或は特殊な事情の下に行われた場合には刑を免除し又は犯罪の不成立を認めることもあるであろう。と同時に犯罪が悪質と認められる場合においては、厳しき処罰をなすであろう。これらは、何れも事実審において、それぞれ各事案に即して適当に裁量判定せらるべきものである。
要は、「お前は阿呆か。食管法が生存権じゃ」と言ったのであるが、腰を抜かしたかもしれない。そして「個別の事情は斟酌する」と言ったものだから、それを受けて政府が、「国民は適当にうまいことやれ」と言ったのであるが、言葉が過ぎた。すなわち、「自由主義を基調とする」が「社会立法で一般的に救済する」ところ、「粗相があった場合には、個別に事情を斟酌する」のであるから「仕組みを十分理解しないさい」と言う程度であったが、なにしろ、貧富の差に照らして「富裕層(勝ち組)」から「貧困層(負け組)」に言ったものであるから、国民としては「社会とは、一蓮托生だろ(だから、我慢してきた)」といった具合である。我慢して、負けて、我慢する、仕方がないにしても、 今更 お前が言うことか、「(お前は勝ち組やないか、)お前が我慢しろ、偉そうにいうな」という話である。「麦云々」はそのシンボルでしかない。今ならさしづめ、メリトクラシー(リテラシーを支える能力主義)に潜む、「自己責任論」を押し付ける、パターナリズムに対する怒りといったところである。
こらやばい、ということで、自由競争に復帰した経緯である。これが面白いのは、積極的自由権が統制社会と裏腹であるところ、一般社会が求めていたのが、消極的自由権だったところである。何のギャグなのか。
裁判長裁判官はこんな人だった。
「この人に頼むと何でも無罪になる」との伝説も生まれたが、塚崎は「そんなことはない。罪のある者を無罪にはできるはずがない」と述べている
つまりは、憲法原理を実現した立法(政策モデル)が現実に適合しなかった顛末である。ここで重要なのは、原理/モデル、抽象/一般/個別の区分が理解されていることである(憲法的「一般」に対する法律的「一般」が「国民一般」と「個別の国民」の間で「法的対象」として集合化されているのであるが、。これに対して憲法上の「普遍的な国民」は抽象化された「国民」である。この場合の「国民」は「幸福」と類似の概念であるが、「一般的な国民」と言った場合に、社会の中に現に存在する「国民」となる。しかし、どの「国民」とは対象化されていない。この対象化は立法を通じなされるところ、立法には立法目的があってはじめて立法されることから、対象化された属性をも有する「国民」が目的に応じて形容的にその程度に制限されて見出だされる。その対象化に反応する国民が、個別の「国民」であるから、反応の具合の個別性も含意する次第である)。抽象的な価値は大切だが、そればっかり言っていても仕方がないから、現実を見るけれども、それには具体的な方法が居る。だが、その方法も割り切って行くから、幅のある話や。ということである。それは矛盾なのか、矛盾でないのか。それが問われる。
法律上は、違法阻却(或いは責任阻却に関する)超法規的措置の問題である。
ところで、日本人は経験的に条件を緩めることを知っている。
やむを得ずにした行為
なお、盗難防止法は正当防衛の特則を定め、同法1条1項各号の場合に、自己または他人の「生命、身体又は貞操」を防衛するため、犯人を「殺傷シタルトキ」には本条1項の防衛行為があったものとし(同法一Ⅰ)、「やむを得ずにした」という要件を必要としていない。
P.60,第7章犯罪の不成立及び刑の減免〔§36〕,第一編総則,別冊法学セミナー基本法コンメンタール改正刑法[第二版],日本評論社,平11
(正当防衛)
刑法第36条 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
第一条 左の各号の場合に於て自己又は他人の生命、身体又は貞操に対する現在の危険を排除する為犯人を殺傷したるときは刑法第三十六条第一項の防衛行為ありたるものとす
- 盗犯を防止し又は盗贓を取還せんとするとき
- 兇器を携帯して又は門戸牆壁等を踰越損壊し若は鎖鑰を開きて人の住居又は人の看守する邸宅、建造物若は船舶に侵入する者を防止せんとするとき
- 故なく人の住居又は人の看守する邸宅、建造物若は船舶に侵入したる者又は要求を受けて此等の場所より退去せざる者を排斥せんとするとき
ちなみに、
業務上の特別義務者(本条Ⅱ)
「業務上特別の義務がある者」とは、一項の規定を適用しない。すなわち緊急避難も過剰防衛も認められないことになる。
「業務上特別の義務がある者」とは、自衛隊員、警察官、消防職員などのように、業務上の性質上危難に身をさらさなければならない義務のある者をいう。これらの者は、自己のための緊急避難は原則として許されない。しかし他人のための緊急避難は一般原則に従って許されると解すべきである(団藤・綱要総論230頁)。警職法七条により警察官に認められている「緊急避難」は、この意味のものである。P.63,第7章犯罪の不成立及び刑の減免〔§38〕,第一編総則,別冊法学セミナー基本法コンメンタール改正刑法[第二版],日本評論社,平11
(緊急避難)
刑法第37条 自己又は他人の生命・身体・自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を軽減し、又は県叙することができる。
2 前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。
若干、注意が必要なのは、これが正当防衛のことではないことである。
さて、これらは、明文化されているので当たり前であるが、「超法規的措置」ではない。