「博士」による「ご進講」を求める心情                                                エリートと民主主義

再び、北一輝の批判から、戦前には何が問題となっていたのかを、ポンチ絵で示してみる。

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 明治維新は価値の体系を一新したので「革命」であったのだが、一方で社会規範は直ちに一新されないので、江戸時代と継続的である。
(これは、戦前と戦後の、行政の連続性にも見られる)
その中でとりわけ重要なのが、朱子学とそれを批判した古文辞学で、また一方で国学であった。今でも、それは、解釈論/立法論、文理解釈/論理解釈の対立として残っている。
 今無駄に騒がれている検察庁法の問題も、組織法上の問題(「特別職」国家公務員と刑法194~196「特別公務員」,「特別の機関」ー院>会>庁)、制度上の問題(独任官制と指揮権発動,起訴便宜主義と検察審査会と)、体制上の問題(国民主権の目的としての人権と手段としての三権分立ー司法とは基本的に裁判所のこと)を分けて考えなければならないが、なぜそれが「権力分立」ではなく「三権分立」と敢えて言われるのかを考えてみると、どうも、この頃からあった「『問題の立て方』の問題」のせいで、そう言えば、帝国大学法科大学政治学科と帝国大学法科大学法律学科のエリートが凌ぎを削っていたのも、今から考えると奇妙な感慨を抱かせる話である。「憲法問題」なら法律学科でよいような気もするが、それで収まらなかったということである。それが今の権力分立/三権分立(の見立ての違い)にも受け継がれているに過ぎない(芦部『憲法』における『最高機関』は、天皇大権に対抗して述べられたことでー本来双子の「被(帝国的※)支配者憲法」であったボン基本法に)見られる「国権」並びに「法 (法律を超えて、裁判規範の権原となる、即ち憲法」理解とは異なるー。
※国際政治上の、英(米)型議会(国内法)支配/国連型政府(国際法)支配の分類に従う  
 ただし、一般国民にとっては、「為にする議論」に過ぎないので、弁護士、検察、裁判所の「仁義なき戦い」に巻き込まれない方が賢明だろうと思う。

 一木~美濃部~宮沢~芦部の学統が何を指向していたのかを、批判言説から理解しようとしてきたのであるが、憲政史上最大のゲームチェンジャーとなった宮沢に焦点をあてるとどうなるだろう。

 

「8月革命説」とは本当は何であったのか。
教育勅語の文法問題
▷長崎平和記念像の責任問題
▷戦後主権論争(尾高・宮沢論争)の実在(一致)問題ー再び、主権・政体未分化問題
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