みこしに乗ったか、レールに乗ったか

 

[参照]

「伊是名夏子がボランティアの高校生に横柄な態度」カレーにケチャップソースの画像ツイートの元ネタ動画を見ると… - 事実を整える

先生に虐待されていたころの話 100cmの視界から―あまはいくまはい―(32) - 琉球新報Style - 沖縄の毎日をちょっと楽しく新しくするウェブマガジン。

【画像有】伊是名夏子の両親は?沖縄で教員をしている子育て方法がすごい!|Basement Picks

Works : コラムニスト伊是名夏子ブログ

 

伊是名氏の「炎上」の例がある。
それはボランティア/障碍者↔教師/生徒の関係性の間で起こったんじゃないかと思う。

伊是名氏は所謂「教師一家」で育って自身も教師の経験がある中で、『なっちゃんはこうだよね』というところをごく「自然」に乃至ごく「フレンドリー」に「語った」つもりなのではないかと思う。

ただ彼女の「自然」は「定型」に過ぎなかったかもしれないし、彼女の「フレンドリー」は「  」だったかもしれない。
これが、「高校生ボランティア」という、未成年(被保護者)で、学校(社会関係からの保護圏内)のカリキュラム(事前の課題付与)で生徒(非就労)が行う活動だったことから、暗黙の関係設定の不一致に関する錯誤が起きて、違和感を覚えるひとが少なからずいたのかもしれない。
要は、理想的な1対1の関係理解が、抽象的に過ぎず、何かしらの事前フォーマットの影響下にあることを考えさせる。

すなわち、

〇認識の形成
〇動機の形成

の双方を考えるのだが、このときに、高校生にあっては、また一方で、進学に関する行為選択群がある。内申書乃至推薦受験の面接に係る「リーダー経験」乃至「社会経験」の有無の評価の問題だ。
これが問題化するのは、ひとつには、アメリカで見られるらしいが、金太郎あめ的なリーダーシップ観があるからだ。

こういった彼ら特有の、行為決定に影響を与える環境があって、彼ら自身も(一般的な属性から言えば)もちろん社会的弱者であるから、伊是名氏の「炎上」の例は言いがかりに思えるけれど、今回は本当にそれが言いがかりでないのか、心配になる面はある。

 

👇一方でこういった活動もある。

www.tama.ac.jp

だから「デモ活動がダメ」とは直ちにならないが、高校生として理想的な主張の仕方があって、それがすなわち(仕組みのことではなく)、発達に応じた理解の深め方と表現の選び方で構成されるとしたら、他方デモは主体性の表現であって主体性の表現自体もまた「高校生として」勧奨されることであるけれども、「定型文」或いは「定型文」に至らない「惹句」を以て行動しさえすればよいのかは、ふさわしい考慮と(ひょっとしたら周囲の大人の配慮)があってよいかもしれないよね。

所詮は仕組みに乗せられているんじゃないの?との疑問が、その仕組みは誰が用意したの?との疑問と容易に結びつくからだ。


寒い中、なぜジャケットを脱いだかわからないけれど、制服なんじゃないの?

校外活動として学校への届け出があったのか、それとも学校帰りに自由にやっているってことなの?