学校に対する不満               ーディケンズ、夏目漱石、西田幾多郎

第一は自分の厭なものを正面より攻撃する男らしき発表、ヂッケンスが悪人を描くには此筆鋒にてまともに手ひどく当たってゐる。第二は丁寧な嘲弄、之はどこまでも礼を失はず時々気味の悪い笑をする、アヂソンの如きはこれである。

漱石における東と西』P4(上),P5(下),松村 昌家,思文閣出版 ,2007/03

高浜虚子の判断によれば、漱石の「学校に対する不満」が彼の不機嫌の原因をなし、』(同P4)小説の創作に至ったということであるが、上記は、文学を吾人(我々)の(社会、人間の現状への)好(positelive)悪(negative)の発表としたうえで、negativeの類型(4つの内2つ)を示したものである。

夏目漱石における東と西 (大手前大学比較文化研究叢書)

夏目漱石における東と西 (大手前大学比較文化研究叢書)

 
漱石と魯迅における伝統と近代

漱石と魯迅における伝統と近代

 

ディケンズフェロウシップ会報第四号(1981年)
ディケンズの新教育観とヴィクトリア朝の教育

ニコラス・ニクルビー (上)

ニコラス・ニクルビー (上)

 

 孤児の過酷な運命ーフランスの場合

ココ・アヴァン・シャネル 上―愛とファッションの革命児 (ハヤカワ文庫 NF 350) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ココ・アヴァン・シャネル 上―愛とファッションの革命児 (ハヤカワ文庫 NF 350) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 

 当時の文部大臣は森有礼といふ薩摩人であつて、金沢に薩摩隼人の教育を注入すると云ふので、初代校長として鹿児島の県会議長をしてゐた柏田といふ人をよこした。その校長について来た幹事とか舎監とかいふのは、皆薩摩人で警察官などしてゐた人々であつた。

「山本晁水君の思出」『全集』十二・二四七~八頁

自由の精神――西田と大拙に学ぶ(レジュメ)

西田の説く、皇室と八紘一宇大東亜共栄圏国家主義
でも、これじゃあ、純然たる実務家である東条には理解できん。観念的でありすぎ、簡単に言うと、アルゴリズムを欠いている。つまり、法の実証を欠いているのであり、世界秩序を形成できん。西田は一度、その期待された高い能力を以て、数学者になるべきであった。これは東条が悪いのではなく、西田が悪い。
コミュニタリアンのようでいて、ヘーゲリアンのようでもある。そもそも一般的と抽象的を区別できていない。個人的には、絶対矛盾的自己同一よりもガウス整数環リーマン球面の発見の方が偉いと思う(西田は円には興味があったようだが、楕円や球には興味がなかったのだろうか、楕円に興味が持てなかったのは和算の限界と同じではないか)。ちなみに、リンクはいずれもWikipedia
西田幾多郎 世界新秩序の原理
西田幾多郎 - Wikipedia
ちなみに、西田は選科出身である(1894年 東京帝国大学文科大学哲学科選科修了)。