憲法の議員内閣制ー議会主権か国民主権か

憲法を巡る4次元
(保守 「明治」國体保守)(「リベラル」 (明治)国体保守)
(維新 米型憲法容認)
(公明 存在論的)
ということは述べた。

米型憲法否定か容認化かは、今のところ、違憲立法審査、憲法裁判所がメルクマークに成るらしい。
じゃあ、存在的と存在論的は、どうか。
どうも、議員内閣制がそうであるらしい。

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政治学を知っていれば、民主主義における政党の歴史を知っているはずで、アメリカの歴史を知っていれば、トクヴィルとPresidentに期待された役割をしっているはずで、しかしアメリカ政治自体が変容を迎える中で(政党は、野盗のごとき集団として忌避されていたものが、正当な政治手段として擁護されるようになったし、リンカーン、FDRの時代を経て、一国家としての統一と中央集権化も進んだ。)、日本国憲法は新しいアメリカの理想としてどう表現されているかが大事で、そういった意味では、トクヴィルから見ると(また、議員内閣制の本家イギリスから見ると)あまりに民主的でありすぎるー民主的統制に期待が大きいのかもしれない。つまり、アメリカの政治発展史の中で、日本国憲法をどう位置付けるかが論じられるべきで、上のような指摘はせいぜい「高校生レベル」の疑問で終わっており、はなはだ残念なことである。
補助線として、アメリカの猟官制を巡るすったもんだ、行ったり来たり、を見ると、いいかもね。理想で始まり、諦めで終わっているというね。

ikedanobuo.livedoor.biz

それを言っちゃうと、高橋洋一の議論に乗っかっちゃうんで。今までは、ミクロ対マクロのねじれがあったかもしれないけれど。
高橋は「保険(方式)ー直接徴収」か「税(方式)ー間接徴収」か「国債(方式)ー間接徴収」かで、「国債(方式)」で"payする"って言ってゐんじゃねーかと。
要は、フンボルトの時代は、戦争に負けて「資本蓄積」が十分でなくって直徴で自転車操業してたよ、って話で、蓄積進めば自律すんでしょ、っていうのが高橋の主張の本旨のはずだから、こうなると、投資効率の問題になる。つまり、経済学と言うより経営学で、会計学だ。すなわち、高橋、手前は話が雑過ぎんだよ、って言えるかどうかで。
不良資産と在庫、、、というと、学生に甚だ失礼な言い方になるけれど、雇用のミスマッチの話で、ところがそれに関しては、高橋にもまた一家言あるよってストーリーに成る。そこまで話してワンセット。

まぁ、大学で勉強したから社会のエリートに成れるって、よく考えたら奇妙な話で、産業社会における社会の設計思想と切っても切り離せない話だよね。問題は専門分化が著しいことと、先端分野の研究費用の高額化が著しいことだよね。要は、金が足りんなぁ、という話で。

大学入試の難問奇問なんか、あんなの本気で能力判定に役立つと思ってんのかね、とあきれるのだが、結局入試も行き着くところは「バンド仲間募集」のようなことなのか、遊び仲間を募集するときに大切なのは、先行者とフィーリングが合うかでしょってことなのかなって、先行者の利益を自ずと認めるんだってね。そう考えると、学生って、今も昔も「おまけ」だよなって思うよ。まぁ、学生もいずれ、学生じゃなくなるんだけれど。

親学批判。
なんで親学出てきた、言うたら、ゆとり教育の失敗があったからやからねぇ。
どういうことか。
ゆとり教育って、
①高度化を含めた多様化
②(全人格教育を目指すマス教育の限界から)学校/家庭の比重の見直し(学校からの解放)
って問題意識あったからね。
ところが、リベラルって国家主義というより、何でも国家主義だから、いつものように反発したってだけで、奇妙なのは、自称自由主義者ゆとり教育批判をしたってこと。
ほなら、なんでもガッコでせなあかんか、言うて、「道徳始めました」って。学校に対する過剰な期待が根っこにあるじゃねーのって。

👇道徳教育って結構大事、世界中で。

action-now.jp

「リベラル」の不都合な真実なもんだから、世界の潮流にガン無視決め込んでいるっていうね。
"You are never to fancy."
ディケンズと教育ー『ハード・タイムズ』と『我らが共通の友』を中心に
(中島彰子,大手前大学論集第10号pp163-176,2004
)pdf
詰め込み教育の弊害

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貧民学校と義務教育

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第7章

ヴィクトリア朝の人と思想

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第2部第7章 宗教と教育

イギリスの社会と文化200年の歩み

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 『ヴィクトリア朝という用語は、非常に厳しいがしばしば偽善的な道徳的基準、などといった幅広い意味合いを持っている。』
ヴィクトリア朝 - Wikipedia