位格の結合

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あのー。ここにも誤解がるけれど。
「日本国民」には2乃至3種類あって、普遍的なもしくは現在および将来にわたる「抽象的」もしくは「一般的」と、主権者の権利を現に行使する「個別的」と。
本当の問題は、憲法学者が、「抽象的日本国民」もしくは「一般的日本国民」を扱っていることではなくて、「個別的日本国民」の権能を、実際には奪っているかもしくは奪いたいと熱望してることなんだよ。
だから、我々は現に、国民投票をすべきなの。主権者なんだから。
そのとき彼らがどんな「戯言」を言ってもいいの(そもそも彼らだって、「個別的日本国民」の一人だ)。我々自身の権能を以て清算できるから。問題は、「個別的日本国民」が陰に(政治言説から)陽に(権利の行使という、政治の実態として)排除されていることなんだよ。

それと、彼らの論調は、「リベラル」一般に(も)言えることで。
観念的な危険負担の問題なの。
つまり、合成の誤謬に陥らないために、誰が「中間項」の負担を担うかって話なんだけれど。
例えば、ある人たちが道徳すなわち「長幼の序」を言うのも同じで、この場合、年長者がそのリスク負担をしろってこと(ただし、現実には、権威を以てリスク負担させているから、批判の的になるのだけれど)。
「リベラル」は、政府がその負担を担えっていっているの(無償で)。でも、そんなこと現実的か?ー実際の、彼らの「長幼の序」の取り扱いを見て欲しい。