読む四駒漫画

〚構成〛

〚取り立て〛

乾   飯
(晩夏)

狂言回し〛

伏   線

〚振り〛

とたん落ち

〚下げ〛

納   涼
(晩夏)

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伏線について。
 ナイナイの岡村さんがラジオで『昔は「伏線が回収されない」って言うたけれど、最近は、「伏線を回収する」って言う』と、その語用に抱く違和感をつぶやいていて興味深かった。
襯染と伏線の違いを考えてみても、馬琴は『下染め』『墨打ち』と比喩で説明して直観に訴えるだけで、わかりにくい。
襯染を「宣言」としたのは、描写(行為)であることを踏まえた規約事項を言ったのであって、その対義語として考えるならば、伏線は(事後に合理的な)未決事項となるだろうか。この場合は、いずれ決定されることが予定されている。
即ち、岡村さんの指摘は、情報量Q()の順序から(ごく大雑把に言って)、Q(世界)>Q(描写)のときに、かつては、Q(描写)=Q(終結要素)であったところ、最近は、Q(描写)>Q(終結要素)であることを意味している。日常的な事柄すべてが合目的的なわけではなく、無意味な描写が在るわけだ。一見無意味ではなく、まったく無意味な。
エドガー・アラン・ポオの云う「教訓的」がそれを教えていると思う。
かつては『回収される』のが当たり前だったからこそ、『回収されない』ことが目についたのだろう。

とたん落ちについて。
途端落ちとは自己言及のことだろうととりあえずは考えたが、それとされる「愛宕山山」や「後家殺し」を見ても、無化(無力)落ちとでも言いたくなるような下げ方である。

【後家殺し】
浄瑠璃で良い声を響かせたところ、亭主をなくしてからもずっと貞淑を守ってきた後家の琴線に触れて情を通じた常吉が、酒席でその女が若く器量の良い男と会っていることを友人から聞き、酩酊したまま押し入って後家を殺してしまう。
お白州の場に引き出された常吉が、嫉妬した友人の嘘だったことを知って、その口惜しい心境に節をつけ朗々と歌い上げると、奉行が一言
「よ、後家殺し」

下げとなった「後家殺し」の"掛け声"は、要は、酸いも甘いも知った後家ですらよろめくくらいの美声であることの通俗的な褒め言葉だが、もともとそれで付き合っていたところ、嘘が真になった皮肉を笑うものである。「これがホントの『後家殺し』」と云うワケで耳目を引く艶話を面白おかしく膨らましたのだろう。もともとは「艶」の方に力が入っていたのではなかったか、戦時中などは、権力者と呼ばれるような御大が定期的に公館へ呼んでは艶話を所望されたということであるらしい、一文化であるが、今も昔も隠しておいた方がよさそうだ。その手の気持ちの悪い爺さんは失脚してくれる方が嬉しいが。
確かに、「偽」が「真」になり、その「真」がまた「偽」に、話の流れ上は、ひっくり返る。と言っても、自己言及はしないだろう。この場合において、嘘つきが「私の言っていることは本当です」と言っても、本当なんだから仕方がない。裏と表の判別を原理的に失う客観(外部)性を持たないのではなく、裏と表が一致する客観性が保障されている。意味がないのである。むしろ、外部性(の視点)が強調されるならば、「艶話」が本質である。
ロシアの絵本『パンはころころ』やフランソワーズ・サガンの『逃げ道』に見られる顛末で、ストーリーの意味を追うと肩透かしを食らう。

乾飯から納涼について。
ソフトクリームの先端を拡大すると、こんなところにもなぜか米粒が。

 子どもに受けるだろうか。


 いがらしみきおっぽくなったような気がする。