『無謬だから最終なのではなく、最終だから無謬なのだ』(『憲法改正とは何か』より、連邦最高裁)

 

おいおい、リンゴはビートルズの良心だったよ。「頭脳」か「心臓」かなんて、現代において、それほど大切な違いかね。


憲法改正とは何か: アメリカ改憲史から考える (新潮選書)

憲法改正とは何か: アメリカ改憲史から考える (新潮選書)



リンカーンの革命、FDRの革命、オバマの革命。革命国家は永続革命国家なのである。
 

あまり日本では意識されないけれど、「オバマ時代」は、革命的だった(同性婚を支持する、最高裁判決は、従来の憲法解釈を超えて、「解釈改憲」と指摘されるような側面があった)。それで、表題の言葉の重さを実感するのである(ただし、実効性が必ずしも担保されているわけではないのが、合衆国である)。
それによって救われる人、そうでなくても、普遍的価値に根差して共感できる人がいるとしても、革命的であるというのは、社会にどの程度の影響を与えるかについて、考えてよい。

さて、パトリック・ハーランが、オバマの就任演説は文学的でトランプの演説は飲み屋での愚痴だ、と言ったとか。

グラン・トリノ (字幕版)



そもそも言葉がどれほどの価値があるのか。映画は文学という近代の聖書へのアンチテーゼ
 

 忘れてならないのは、アメリカの大統領は、象徴大統領と実務大統領を兼ねていることで、それを分けて考えやすい日本の気分でそのまま見てはならないのであって、それはオバマ就任時のフィーバーでも言えたことだが。

ダークナイト (字幕版)



神輿と黒子を分ける文化は、アメリカにもあるが。
 

アメリカは、元来「尊敬される国」として始まったことを、我々はどれだけ実感できているだろう(最初の市民革命を成し遂げ、フランス革命に重要な影響を与えた)。世界でもっとも宗教に熱心な国であると同時に革命的な国が、自由主義国家主義と同国際主義の間を、行ったり来たり揺らぐのが、アメリカである。ナショナリズムを、皮肉なことにアメリカの教育によって、「悪」と考えやすい日本ではひょっとしたら奇異に感じるかもしれないが、国家主義は自由と自決の砦を設ける考え方であるし、歴史的には自由主義国家主義が最初に出て来たのである。
一方で、ヨーロッパから見たアメリカを考えるとき、最近のノーベル文学賞の授賞風景が示唆を与えていて、要は、なぜいままで与えられなかったを考えると、「キッチュ」を巡る、欧と米の文化的相違を見るのである。

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

 

 アメリカは、ヨーロッパから見て、アカデミックでなく、「行き当たりばったり」に見えはしないか。騒々しくパワフルであるが、がさつで下品であると映るなら、America is Trump と内心では思っていても、不思議ではない。なに、ノーベル財団は、当のアメリカ人より先に、「トランプ」を受け入れていたではないか。知の(過剰な)権威がすでにそうであるのだから。あと成し遂げていないとしたら、バチカンが受け入れるかどうかぐらいではないか。

 ビルの女性の扱い方も、経済的成功で皆が忘れた実績がある。

お笑い大蔵省極秘情報

お笑い大蔵省極秘情報


「御上」がなんちゅうことしてくれんねん、と大蔵官僚は憤るが、アメリカ人は思ったほど気にしない。アルゼンチン人はもっと気にしない。
 



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