余論

 

markovproperty.hatenadiary.com

 そう考えると。PTA問題(まさに、戦後の民主化の産物!)とかその中でも、ベルマーク問題(朝日新聞の始めた※、特殊「民主化」、すなわち社会主義に根差した社会運動の一環であることが分かる人がどれだけいるだろうー民主主義、就中、社会主義は「強い個人」ーただし、どの「強さ」が必要であるかは自明ではなく(エリートが勝手に選んだり、みんなで決めたりする)のであるから、ひたすら受任的態度ーとコストを要請するのであって。また、共産主義のスピンオフである市場主義もやはり「強い個人」を要請するのを考えると、やはりリベラリズムとは神のいないキリスト教のことであるのだと思う)と教育現場における非効率性の問題は切っても切り離せないな、と思い、枠組みとしての非効率を不可欠と受け入れてなお部分的な効率性を追求して許される、「悪」からの解放ー正当性の付与と操作的(方法的)合理性への解放を企図する(存在の操作は禁忌であるが、行為の操作は許されるとする)「解脱」が必要なんだな、と思う。ベルマークは、身近に感じる「社会主義」ってことなんだけれど。
ベルマーク運動 - Wikipedia


日本の政治状況は、かなりややこしくて。
安倍批判をする人は、リベラルなのかな、と思ってみると、ベルマークも嫌いだったり。権威主義が一貫して嫌い、というより、個人的利益に根差して、押し付けられる(損する。例えば、機会費用に関して。)のは一貫して嫌い、という意味でわかりやすくまた少なくとも部分的には正しいと思うが。まぁ、個人主義というか。

「国体の護持」と云うのがなぜ虚しいかと言うと。
国=政府、と言い続けるのは理由があって。
戦前、二流エリートに落とされた帝大が、いまや「国体の護持」をしているのであるから。憲法体制的には革命はあって、いまや「アメリカ憲法」の世であるにもかかわらず、「国体の護持」に拘っている。つまり、「国体の護持」は特殊な、エリートの問題なのである。そう考えると、今の、「軍」への協力の否定には、味わい深いものがあって。余程くやしかったんだろうな、という。 なんかは、もう拗れに拗れちゃっていて、陸軍は駄目で海軍は良い、とか、よくわからないことを言い出す始末である(真っ当な学術研究ではもちろん、そんな言い分は通らない)。
近衛の云った「よくわからん状況」がいまだに続いているというね。安倍さんの「保守」が、実は、明治以降の近代制度の保守であって、むしろ本当に問題になるのは、藩閥期なのか、(藩閥を打破した)陸大出身者による総力戦体制期なのか、のはずであって、岸と永田のどっちがエリートとして上なんだ、というか、岸自身、革新官僚だったのだから、「長州」との間で微妙というね。
そして、リベラルエリートも実は、軍部に屈した苦い思い出の払しょくのみに関心があって、戦前の伝統を保守するというね。
いずれにしても国家主義者であって、「本当の意味での」民主主義は実は否定していると云うね(民主主義はエリートの恩恵によって与えるものであって、エリートに与えられるものではない、との手続きの正当性をかたくなに信じている、原理的には考えない)。要は、改憲させないどころか、(結果として、現行憲法の国民による追認になる)国民投票すら許さない、という、どんだけ「アメリカ憲法」が嫌いなんだ、という。その詐術的ロジックに乗る、庶民リベラル、という。
なんでもあり、というね。