〇皇道派の政敵は統制派である。
〇対立軸は、総力戦体制の推進である。
〇皇道派は、対赤軍を中心的な問題だと考えた。
〇その際に、日露戦争を参照した。
〇実は、そのころ活躍した板垣退助以来の、自由民民権運動の系譜に連なる。
〇板垣退助は、戦争目的などのために、参加によって達成される主体化による国民統合を主張したに過ぎない。
〇北一輝は、明治憲法下の天皇制を批判したが、それは現代的な象徴天皇制と国民主権の主張である。
〇皇道派は、北を参考にあるいは参照したが、皇道派の云う「天皇親政」は、北の云う象徴天皇制を持つ国民主権のことである。
〇軍人の言葉は、額面通りの意味として捉えると、意図を間違える。
〇軍人は「新しい言葉を持たない人」であり、したがって、復古主義に傾きやすく、皇道派の主張に顕著である。
〇統制派は少数であるエリートの集団で、新しい言葉を持つ人たちであり、先進地たる欧州の知識を普及するインセンティブを持つ人たちであるに過ぎない。
〇統制派は、ドイツ由来の国家主権を信奉する人たちで、「天皇」も国家の一機関(要素)として国家に統合されているに過ぎない。
〇派生的な対立軸として、産業資本(大資本)の取り扱いがある。
〇戦前の対立は、天皇主権説対天皇機関説ではなく、国家主権説対国民主権説だったのであり、それぞれ統制派と皇道派が担っていたのである(気を付けなければならないのは、基本的人権は、主権説からは中立であることである。どちらの主権説に立っても、擁護できまた制限できる、独立の問題である)。
〇基本的人権と国家主権、国民主権との関係は上の通りだが、国家主義と国家主権、国民主権の関係についても互いに排除しない。国民主権が国家主義を強く要請することは歴史上あった。国家主義と対立するのは地域主義、グローバリズムであって、コスモポリタニズムを受け入れる地方主義と国家主義が対立するとは限らず(アメリカにおけるコスモポリタニズム)、帝国主義は拡大された国家主義であって、ただし帝国内に認められる国民と認められない国民の差別化が顕在するという、統合されて潜在化した国家の問題として、国民の問題を内包しやすい。
〇こういう戦前の様相が気づかれないのは、戦後が戦前の「国体」(=エリートの国家運営)を継受したからであり、言葉を持たない者が言葉をもつ者に規定されてしまっているのである。
〇中心の話題からは逸れるが、そういった意味では、岸信介は面白い立ち位置に居る。北一輝の影響を受けたにも関わらず、革新官僚としてエリートの真ん中で国家運営を担っていたのであり、戦後は、象徴天皇制を持ち国民主権を謳う日本国憲法下の日本国で、中小企業対策などリベラルな政策を実施し、一方、憲法を改正して再軍備を目指した政治家であった。北一輝は(当時のリベラル勢と一線を画して)非戦論者ではなかったのである。
なお、余談であるが、昭和天皇が示した通り、社会主義的或いは共産主義的であった大きな は軍であって、共産革命は軍のクーデターによって成し遂げられる可能性があったのであり、逆にそれ以外の革命は、戦前、戦後を通して不可能だっただろう。そして軍による革命は、戦前にしか不可能だったかどうかの答えは、ー第三次世界大戦を起こすことも辞さない男ー服部卓四郎を巡る話の中に在る。
特筆すべきは、日本が泥沼の支那事変・大東亜戦争に突入するのに必要な国家体制が出来上がった要因は、広田弘毅内閣の馬場鍈一蔵相にあるという趣旨のことを、大蔵省が公式の史書に記していることではないでしょうか。馬場鍈一は二・二六事件(1936)で暗殺された高橋是清に代わって蔵相に就任した人物ですが、彼は自由主義閣僚の排撃と軍拡路線を軸として広田内閣組閣を仕切り、蔵相就任後は統制経済と大増税・大軍拡を推進したのです。この路線を次の林内閣では、大蔵省・日銀・財界が一体となって修正しようとしましたが、結局軍事予算はほとんど削ることができませんでした。林内閣の次の第一次近衛内閣が成立してすぐに支那事変が発生、近衛は人気取りのために強硬に軍事介入を主張、そして大日本帝国は泥沼の戦争に沈んでいきました。
ーレビュアー927,政治史を学ぶ取っかかりに良いと思います,2014年10月12日
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