イメージとニュアンス

村上春樹は、イメージとしての天使を伝えることはできでも、ニュアンスとしての天使、つまり、言語が持つ優位性ー言語のニュアンスを伝えることはできるか。
村上春樹が「世界文学」と言うが、今更近代以前の(識字率が低かった時代の、宗教理解の為ではなく、宗教支配のための、)大衆向け「宗教画」に戻ることが称賛されるべきだろうか。そういうアートがあることは認めるが、ノーベル賞受賞たるべきか、人類の理性に信頼して、大いに疑問を呈しておく。

 

針の上で天使は何人踊れるか―幻想と理性の中世・ルネサンス

針の上で天使は何人踊れるか―幻想と理性の中世・ルネサンス

 

 

針の上で天使は何人踊れるか - Wikipedia

 

能・文楽・歌舞伎 (講談社学術文庫)

能・文楽・歌舞伎 (講談社学術文庫)

 

 『ミステリアスな能面:情動表出認知には顔の様々なパーツが貢献する』

http://www.nagoya-u.ac.jp/about-nu/public-relations/researchinfo/upload_images/20121122_is2.pdf


日本人は、独自の表徴化を駆使して、ニュアンスを伝える訓練をして、言語はその延長にある。
文化的に退化する必要があるだろうか。

村上春樹は文章が下手で構成が単調であるが、このイメージ喚起力には素晴らしいものがある。だから、なんだと言うのだ。


今たぶん、PIKO太郎にするか、村上春樹にするかで、ずいぶん悩んでいると思うよ。どっちも世界的で、イメージと言語の、一方で遊びにみちているが、それによる喪失感を胚胎する、「並行世界」を現出しているから。そして、対話的(双方向的)だ。こらぁ、揉める。