戦争を以て戦争を養う

読むだけで、読解力の身につく文章である。中高生はこういう文章にたくさん触れたほうが良い。

www.huffingtonpost.jp

戦争=秩序化ならば。
秩序化を以て秩序化を養うことであり、亜細亜会議もその生成の一環だったと考えれば、必ずしも敗戦準備とは言えない。というのは、合目的的に考えるならば、すでに東条の主観において(かかる生成によって)「敗戦」しているからである。そう考えると、会議の幕間における、彼のまことに気落ちした言葉にも、納得がゆくのである。
そのように、日本にとっては、戦争の意味が変わってゆく、まことに奇妙な戦争だったわけであるが、そのような機序は「養う」の中にすでにあったのである。
そのような経験を持った国は他にいなかったか。
やはり、イギリスを見なければならない。
第二次世界大戦は(太平洋戦争に限っても)、イギリスが、影の主役だったのであるから。そして、イギリスこそが、"経験主義を以て"、世界帝国を形成できた稀有の国であったのだから。

lab.lojim.jp


なぜそう考えるかというと、

法思想史 (有斐閣Sシリーズ)

法思想史 (有斐閣Sシリーズ)

 

第二次世界大戦の戦後における意味づけの困難があったからである。
評価が無ければ裁けない。しかし、評価は生成された。
もし、東条が戦争中に係る生成気づいていたなら、まことに卓見であったと言えよう。
東条こそは、19世紀ドイツの息子であったのだが。

 
the case of the Kingdom

「国家主権」という思想―国際立憲主義への軌跡

「国家主権」という思想―国際立憲主義への軌跡

 
イギリス帝国連邦運動と自治植民地

イギリス帝国連邦運動と自治植民地

 

 
太平洋戦争を見ると感情的になるのなら、太平洋戦争だけブランクにして、太平洋戦争の前後、日清戦争から朝鮮戦争ベトナム戦争までを見るんだ。そのときの認識形成の一助となるのは、我々がそれだけでは価値の定まらない2つの事柄を理解するときには、再帰的に定義するのが常であること、だけなんだーつまり、いわゆる「卵と鶏」は、論理的には同時に生成しかつ、互いに意味づける(から同時に生成すると言える)。特に、朝鮮戦争ベトナム戦争は、日本人だからこそ、徹底的に精査してよい。いままでと違う風景が眼前に広がると思うよ。戦争って、太平洋戦争を語るときに言われがちなように、綺麗に始まり、適切に行い、綺麗に終わるべきとは限らないんだよ。それ自体(そのように考えること)が一つのイデオロギーなのであって。朝鮮戦争ベトナム戦争の方が、よほど無謀で、荒唐無稽だった。それでもベトナムは勝った
そうして太平洋戦争を見るならば、我々はあえて負けを選んだー秩序化も含めてーということなんだ(かねてより推し進めていた「ソ連化」を前進させ、いやあからさまに言えば工作によってソ連の支援を引き出し(ダブルスパイ)、隠れ共産化することで、太平洋戦争を「ベトナム戦争」化して日本全土でゲリラ戦を展開し、あまつさえ、松代大本営跡 (Wikipedia)をさらに中国大陸に移すことさえしてよかったんだ(これは荒唐無稽な話ではなく、一笑に付されて露と消えたにせよ、素案としては、あった)。ー日本本土では(自発的な)「自由日本軍」がゲリラ戦を展開ー或いはパリのように)。このとき、もっとも重要な事実は、スターリンは世界戦後の米とのライバル関係へ向けてすでにある認識を持っていたが、FDRにはそれがなかったということだ。
もうすでに忘れ去られているが、ソ連は戦後現実に在って、1980~90年代、北海道への侵攻が具体的な危険として認識されていたんだ。中学生のころ、「不凍港」を執拗に教えられていたことを思い出す。その頃ならまだ、終戦時のソ連の動きのよる「北日本(日本民主主義人民共和国)」の可能性を、肌感覚で語れたんだ。
原爆なんて、ただの戦略爆撃兵器のたった一つに過ぎないのだけれど、戦後自体が、「第二次世界大戦」(欧米史観)の秩序化のシンボルの一つであるし、それを前提とした国内政治の  であって。
ただ、そうなると、所詮は軍部内の権力闘争の波及に過ぎないのであって、国体とはつまりは、このような国政を生み出す機序に過ぎないんだ。したがって、ただのエリートの自己保存欲求なんだ。

東条英機は、平時の能吏であって、確かにその能力は高かったということであるが、戦時の将軍としての能力が高くはなかった。それでも評価できるとすれば、国際社会における、価値の生成を伴う、体制競争を正しく理解していた唯一の軍人だったことであると思う。ただ、彼は徹底して開き直ることができずに、結局は時代的な感覚を引きずって中途半端なことをしてしまった(時すでに遅し、の感もあったが)。彼が責任を感じて死のうとしたことに、嘘偽りはないと思う。彼はサイコパスではなかったのだろうと思う。いや偏執的な一面があったというなら、そのエピソードとリンカーンのそれを比べたときにどれほどの違いを認めるかに答えなければならず、そうしてリンカーンに比べてどれほどリーダーとしての資質が劣っていたかを理解しなければならない。

 

信長の野望

信長の野望

 

 ちなみに、私、北海道を落とし、前線を最小化したうえで、前衛と後衛を作ることから始めます。今は改善されているけれど、昔のバージョンは、海上からの攻撃はないという「落ち度」があったから(実際の戦役では、北海道はともかく、海上からの砲撃という戦略転換がある時期行われ、海を背にする築城は難しくなったー日露戦争は200年後なんだな、すごいなこのころの日本。朝鮮出兵でなんで負けたんだっけ、朝鮮にやっぱり海の英雄が出たんだっけ、確かー制海権の芽生えとも言えるかどうか)。