本日発売の『新潮』(6月号)に「数がつくった言語」を寄稿しています。数の「直観」がなくても、数について正しく推論することができるーー現代の計算機の誕生にもつながる、フレーゲの着想の起源。数についての原理的な思索が、いかにして新たな「言語」を生んだか。ご縁がありましたらぜひ。 pic.twitter.com/ElFM05P12v
— 森田 真生 (@orionis23) 2017年5月6日
「ちびまる子ちゃん」ことさくらももこさんが、小学生のころ、算数が苦手だったということで、なら文章から理解する算数(読み下し(順序を持つ)論理演算による算術)を考えてやろう、と実際に作ってみたことがある。
残念ながらどういったことだったかすっかり忘れてしまったが、そもそも自分が小学校2~3年のときに「存在論的掛け算」という自己流論理演算を思いついていたので(ただし、3年生のときに、0の演算を説明できずに、すなわち、基数が1と0とで区別ができなくなって、放棄。「再帰」と「対称」をまだこのころは繰り込めなかった※)、その自信があってやってみたのだが、それほど悪いことと思わなかった。
算術の持つ厳密性、論理性、純粋性を獲得するために,時間的直観,空間直観,心理的諸契機から切り離して基礎付けを与えなければならないというフレーゲの意図は評価できる.数の本性に関する諸家の見解に対する批判はたいてい正当である
P189:5 フレーゲの自然数論/5.11 カントルによる批判
とはフレーゲ『基礎』へのカントールによる書評の要旨ということで、このような理解を数学者が共有していたことを以て「19世紀存在論革命」と呼ぶらしい。
(『フレーゲ・デデキント・ペアノを読む』,足立恒雄,日本評論社)
僕の行った、存在論的掛け算やまるちゃん算数は、存在的直観から存在論的に敷衍して行おうとしたもので、一種の論理主義であったと思うので、自分の中ではまぁまぁだったなと思っている。
こういった方向を広げてゆけば、教科書とは違った面白い算数ができそうな気もするが、テストで点が取れるものではない。点はとれないが、第二のさくらももこを勇気づけるかもしれない。みながみな数学者に成るわけではないので、その方が社会的には有意義で有益と思うが、一般には受け入れられないだろうと思う。創造性を貴ぶ人と言ってもその程度なものである。
Q 自然数とは何か
Q' 自然数の基礎付けをどういう形式で叙述するか
1.0から順に構成する方法
2.公理系によって規定する方法
3.集合論によって全体から捉える方法
4.論理に還元する方法まえがき
存在論的演算からフレーゲに迫る、ということを、余裕があったらやってみたいが、なにしろ自分のやっていたことをすっかり忘れているので、どうしたものか。
※これについて、フレーゲも似たような間違いをしていたのだろうか。足立さんが(フレーゲも使った)「外延」という概念を使って、1と0をうまく定義している。
これは後知恵だが、0を概念「x≠x」の外延,1を概念「x=0」の外延,すなわち
0={x|x≠x}, 1={0}={x|x=0}
と定義すればよいのにどうして・・・?と疑問が湧くのは当然である。
P184:5 フレーゲの自然数論/5.10 外延による定義
ちびまる子ちゃんの作文教室―日記、読書感想文ほか中学入試問題にも対応 (満点ゲットシリーズ)
- 作者: 貝田桃子
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/03
- メディア: 単行本
- 購入: 4人 クリック: 7回
- この商品を含むブログ (7件) を見る