ウソ、ノリ、カンジョウの情報量政治社会ー或いは、法実証とミズアマ

www.keikubi.com

locafra.com


 

www.gizmodo.jp

ミズアマを信じた人を馬鹿にできないのは、
黎明 – アンナ・カレーニナ冒頭訳...
キリスト教の影響を受けているからである。現代だって、自己実現と多様性を絡めて、幸せは多様だが、不幸は一様である、と言いがちである。
すべてのテキストを価値中立と考えて実証的に考えると。トリックスターがいるだけだとわかる。トリックスターは順序に従わない者である。

www.gizmodo.jp

newspicks.com

ロシアの戦略では(反対の支持を得るといった、積極的にさせることではなく)「近づきたくはない」と消極的にさせることを目論んでいるという。

『私は嘘つきです』と嘘つきが言うと。
『あなたとは感情を共有します』と嘘つきが言うと。

嘘も感情もΔ(情報制限)だとすると、Δ(Δ)とΔ(Δ(Δ))
いや、むしろ、"("も")"も価値平等に取り扱って(でないと、以下の文脈では、それこそが「政治」だからで、これもまた、自己言及の対象であるからで)、圏論的に扱うのが妥当なのだろう。
このとき、人間はなぜ機械とは違うと確信できるのか。再帰性と情報制限が人間を人間たらしめる(嘘と感情は、情報量政治の実証においては価値が等しく、様態に応じて負荷が異なるだけである)。人間は誰だって自己に対するトリックスターで、それが自己確信を生んでいる。それが権力と同じだからである。


ま。人間、そんなもんだ。自分だって、そうだ。

ピアッシング (幻冬舎文庫)

ピアッシング (幻冬舎文庫)

 

ミアの映画早くできないかな。