朕は国家なり?ー英語ではI am the state.”
ところが、もともとのフランス語では、Jeではない。
素直に日本語に訳すと
国家,これは私だ
語感としてどうなのだろう?ということである。チャーチルはラテン語の授業が苦手で(将来のノーベル文学賞受賞者が!)、机に向かって『机よ』と呼びかけるの(呼格?ということだろうか)がどうしても理解できなかったらしい。この場合も、そういったニュアンスがあるのだろうか、語学に疎いのでわからない。
日本語に1人称の表現が多いのは、内と外を分けるためではなく、単に、明治期に「国語」を作るときの試行錯誤があるだろうと思う。
英語でIは朕ですよねでは、なぜWeは我なのですか 朕朕ではなのですか - h... - Yahoo!知恵袋
「吾輩」もweなら朕もweであるし(Iのときもある。)、そう言えば、財務官僚は今でも「我々」というだろうか※。
※何度も言ったが、「國体」とは、国家主権説上の実体であって実質的な機能群であるエリート共同体のこと。そういった機能の総称を「國体」と謂ったに過ぎないが、天皇主権説から革命的に国家主権説に移行したとは言わないから、これからがごっちゃになって理解されていて、こういったことは経験的に、帰納的に決定するから、曖昧さが残って当で、「國體=天皇制」の理解が必ずしも間違いでないからややこしい(「代表」たる地位を占めていたことは言えるのではなかろうかーこれは明治憲法下の内閣総理大臣と比較できるが、これは機能体系⦅或いは権力体系⦆ではなく、名誉体系⦅或いは権威体系⦆である※)。これは「経験主義」を「科学主義」から区別するとき、帰納的誤謬の必然的胚胎から理解できているかが問われていて、当時そういった言説があったから、そうなのではない。
※これは特殊な組織ではなく、現在でも「右代表」のシステムが残っている組織をしっている。日本ではそれが機能した、という事実がそこにある。
なお、「朕」も「余」も、後から特別な地位にあるひとのみの一人称になったが、当初からそれに限定されていたわけではない。
☟この表紙画を見ると、そうか、「朕」は「我々」だ、と思うが、本当はどうなのだろう?
こういった翻訳で気を付けなければならないのは、「役割語」であるだろう。
下になると、あまりにとるに足らなくて、ウム、現役の先生がその程度の理解力でよいものかどうか、そちらの方が不安になる。
一連の教育改革において、国語に関し議論されるべきマターは、共通テストでの記述問題の出題だけではありません。
— 新しい大学入試に向けて (@exam_reform) 2 november 2019
「論理国語」の新設に伴う、「文学」を通じた学びの軽視。
僕はどうしてもその不安を拭えません。
現代文講師としての思いをまとめてみました。
(現代文 小池)https://t.co/JeY78gedjz
法的に夫婦同性を義務付けてる国は日本だけなので、夫婦別姓反対派の「みんな好き放題に違う姓を名乗ったのでは家族が崩壊する」という意見、日本以外全部家族が崩壊してることになってしまう…! https://t.co/QGdcycBWex
— けんすう@マンガサービスのアル (@kensuu) 2 november 2019
まだ、こういう「1点突破」の誤謬を「本気」で言っている奴らがいるのか
いい加減にしろ(怒)
お前らの言っていることが、まさに、この図の真ん中。
justiceは、個人登録制。俺は嘘つきは大っ嫌いなんだよ。つまり、お前らのこと。
markovproperty.hatenadiary.com