統帥権の理論的起源~ワーテルローからクリミアへ

イギリス~プロシア・ドイツ
伊藤博文井上毅
     穂積八束
       上杉慎吉美濃部達吉
          吉野作蔵↔上杉慎吉
憲政時代~憲法時代~憲政時代 《記号政治(の時代)》
「議会」「内閣専横」 選挙動員↔愛国動員
藩閥   学閥   (学生運動) 軍閥
天皇主権      国家主権
          (機関説・法人説)
          民主主義~社会主義
          (民本主義

統帥権

アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵) - Wikipedia

このころ陸軍について正規兵の不足などが問題視されていたが、保守的なウェリントン公爵はあらゆる軍制改革に慎重だった。それによって軍隊の統帥権が国王から陸軍大臣に移り、軍隊が議会のものになってしまうことを恐れたためである(P342)
イギリス陸軍の抱えた問題点は旧態依然としたまま残ってしまうことになる。それでも当時の中国やインド、ビルマアフガニスタンを(半)植民地化するには十分であったものの、ヨーロッパ列強の正規軍としては劣弱であることがクリミア戦争で証明される形となった(P341) 

公爵(ウェリントン)と皇帝(ナポレオン)

公爵(ウェリントン)と皇帝(ナポレオン)

 

クリミア戦争 - Wikipedia
ナポレオン戦争クリミア戦争日露戦争第一次大戦~第二次大戦
朝鮮戦争~~ベトナム戦争~アフガン戦争
上がイギリスの戦争
下がアメリカの戦争

ちなみに、
天皇主権説
 伊予宇和島藩士 穂積八束(ドイツ留学、公法、パウル・ラーバントに師事)~大聖寺藩医 上杉慎吉(ドイツ留学(遊学?)、ゲオルグ・イェリネックに師事穂積八束の後継者を自認
国家主権説(天皇機関説
 二宮尊徳の弟子、庄屋 一木喜徳郎(ドイツ留学、行政法)~漢方医 美濃部達吉(ドイツ、イギリス、フランス留学、比較法制史※ゲオルグ・イェリネックに憧れてやまない

こうやって見ると、意外だったりする。
そもそも「国体」だって、ドイツの法律用語だったんだけれどね。
ここらへん「国体」「国家主権説」「国家法人説」と概念の錯綜或いは混同がかなり不穏なレベルなんだよね。ドイツがそもそも連邦国家を強力な「帝国」にまとめあげるために、便宜として利用していた面がある。そのせいか未だに日本では「天皇機関説」としか言えない。本当は「天皇主権説」に対するのは「国家主権説」。イギリスなんかは議会主権だからね。でも立憲君主制。いろんなものが混じって「国家主権」と明言しにくい政治事情があったように思う。それだけのことだろう。
天皇機関説は本当はただのご都合主義で、だから当時は、政治的に正しかったと言える。ここらへんの機微は、ケルゼンとカールシュミットの対立が興味深くて、主権を巡って『翻ってケルゼンは、国家の神聖化につながる理論は主権国家間に自然に生じた国際法に対する主権の優位性を正当化してしまう、と書いている。ケルゼンにとって、主権とは理論的な概念ではなかった。』(ハンス・ケルゼン - Wikipedia)らしい
議会主権(ぎかいしゅけん)とは - コトバンク

トリッキーなのは上杉で、ドイツでどれだけ勉強して来たのか、いまいち判明しない。
ハンス・ケルゼンもゲオルグ・イェリネックに師事している。法実証の後継者。
面白いのは、穂積と上杉が「御用学者」とドイツ法学者(の村)から散々非難されたこと。じゃあ、美濃部は「反体制学者」なのか?
ハンス・ケルゼンの論敵であり、影響を受けた、カールシュミットはナチの「御用学者」と言われた。

藩医出身と言えば、森鴎外で、森鴎外も論争の絶えなかった人物らしい。

日本の脚気史 - Wikipedia
森鴎外 - Wikipedia

鷗外は東京帝國大学で近代西洋医学を学んだ陸軍軍医(第一期生)であった。医学先進国のドイツに4年間留学した。留学中に執筆した二本の論文「日本兵食論」および「日本兵食論大意」は、師のホフマンらの研究論文と1882年(明治15年)頃の日本国内論文を種本に切り貼りして書かれ臨床実験もまったく行われていない論文捏造だった

鴎外 森林太郎と脚気紛争

鴎外 森林太郎と脚気紛争

 

毀誉褒貶の激しい人物ですなぁ。
面白いのは、こんな苦い顔して、鴎外が社交的だったこと。話し好きで、こういうのはあんまり学者にはむいてないんじゃないかね。上杉慎吉もそう。
でも人事は得意という。変な共通点を見つけてしまった。

〇ドイツでまじめに勉強してこなかったけれど、箔だけついている
〇社交的で、人事が得意

脚気委員会では鴎外は評価されてよいと思う。

 

政治的起源は原敬にあるって話だけれど。