失敗の本意(「本質」というとき、すでに後件肯定に陥っているリスクがある)

【雑感】診察補助目的のPCR検査数は「収束期」に増加することに就いて

PCRを増やしたから終息するとは限らない

 

この度の「コロナ騒動」はオペレーション、言い換えると、兵站問題に関して起こることで、清算乃至運用(実際上の減歩率を見込む、マニピュレーションを含む。)の一連のタスクを「事業」としてまとめるよりも、(「工区」の割り付け、乃至)「工事」という観点を導入すると、わかりやすい※。

そうすると、今回のオペに数カ月かかったのは、肌感覚としては、戦前と比較しても、そんなものか、と思わないではない。

このとき、PCRの設置量は、以上で規定される「工事量」に依存するから(でないと、タスクが「目詰まり」を起こす:ボトルネック)、感染の「拡大期」よりも「収束期」に増加するのではないかと思う。

具体的言えば、一般医療機関での、感染者の受け入れなどが考えられる。
(逆言えば、一般医療機関で受け入れても安全な状況であり、またその状況に応じた環境が既に整備されている)。

そうなると、PCR検査量の増加は、(それによって)コロナ感染拡大を終息させるというよりも、コロナ感染拡大の終息を決定づける(程度)とは言えるかもしれない。

オペレーションの意義から考えると、そうなるのではなかろうか?

 

※建設工事だけが工事じゃありませんよ。除雪だって工事です。


戦前の陸軍が兵站を軽視したと言うのは簡単なんです。
しかし、それを十分に「分かっている」今の人たちが、本当に兵站を重視しているかというと、「?」。

つまりは、戦前も似たような状況だったろうなと推測できるのです。