「葛城」を巡る古代政治

なんか呉座さんのことが取り上げにくいが(マルクス主義史観を排除した功績は称賛されてよい。歴史物語が歴史学となった。)

gendai.ismedia.jp

 

markovproperty.hatenadiary.com

(なにしろ、歴史に関しては、自分も含めて、でたらめが横行するので、まともな人に居てもらわないと、でたらめ言うにも、困る。)

さて、歴史学者として真っ当な呉座先生の言うには。
なるほど、一条天皇の頃には、思想上の転換があったらしい。

 

gendai.ismedia.jp

記紀にみえる日本古代の宮号 The Name of the Palace in Kojiki and Nihonshoki in Ancient Japan
北村優季 KITAMURA, Masaki

すごい。探していた資料がここに。

ddnavi.com

天皇には、諱のほか、諡号には、漢風、和風あり、はたまは別称まであるぞ。
👆「必要に応じて」が穏当な理解の仕方ではないだろうか。

天智の諱は「葛城」で、意味ありげ※。
諡号には当初「磐」が出てくるけれど、いつのまにかなくなって、「根子」が出て来る。一覧表があると便利。後に「豊」が頻出する。
それに氏族がどうかかわって来るかだろうと思う。
『苗字や姓』はなくとも諱、諡号は「ある」

これが「紀記」である理解が必須だろうと思う。聖徳太子の編纂が焼失したことが惜しまれる。

※「葛城」を倒したのが、「大海人」(おおあま。天武の諱)なんだ。そこで捩じれてくる。
👇中央の王族である「仁徳系」や「允恭系」と異なる「周辺王族」と大海(あま)集団との関係に触れ、『その大海集団を支配していたのが、大和の葛城や吉備(現在の岡山県から広島県問東部)、紀伊(現在の和歌山県)といった五世紀の倭国を代表する豪族たちである』