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40.天武(天渟中原瀛真人天皇、浄御原天皇、大海人※、朱鳥、在位673-686、大和)
41.持統(大倭根子天之廣野日女尊、高天原廣野姫天皇、在位690-697、大和、女帝)
43.元明(日本根子天津御代豊國成姫天皇、慶雲、和銅、在位707-715、大和、女帝)
こうなると、『日本書紀』『古事記』の編纂は重要で、聖徳太子、蘇我馬子の編纂した皇紀は焼失したのだ。
「高天原信仰」が古代から当然にあったとは考えにくい。むしろ、持統の御代に、中国式歴元ともにあったのではないか。すなわち、この頃に、原始中原思想は古代中華思想、高天原信仰に変わったのではないか。
もうひとつ興味深いのは〈豊〉系と〈原〉系が居るかもしれない点である。
推古も〈豊〉系である。
日本語表記としては〈t〉系の「渟」「津」、〈n〉(ガ格、主格に同じ)系の「渟」「之」が見える。特に『天渟中原』はなぜ〈t〉系なのだろう?
和風(国風)諡号は天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)。瀛は道教における東方三神山の一つ瀛州(残る2つは蓬莱、方丈)のことである。真人(しんじん)は優れた道士をいい、瀛とともに道教的な言葉である。
【メモ】
前回書き忘れたが、
「ここ」=32、「もも」=102、「よろずよろず」=10002
「7」が虚ろな数で「0」も虚ろな数ならば、「なな」=02?
ただし、「よ」=22、「や」=23、「よろず」=1002
(数としての)「0」は本当になかったのか。
清少納言の60進法は、「6(む)」を「無(む;なし)」にしている。
ここでキーになるのが「12」で「とうお(を) あまり ふたつ」なのだ。
今までは中国式の24節季がすでに知られているから「じゅうに」だと思い込み、「2」を「4・ツ・キ」(2×奇数;2、6、10。次にあるとしたら、14。)ごとに消していると思っていたので残していたが、「とうお(を) あまり ふたつ」だと微妙な数字である。 この、在るような、無いような「12」の対称が「0」である。
ただし、「な」は端に囲まれて開放的な、〈はし)な(はし〉でなければならない。
「端」は「へり」や「ふち」など、真ん中から遠い辺りを表す言葉だが、その他、「どっちつかず」「中途半端」といった意味もある。<p> </p>
確かに、〈はし)のイメージそのものだが、和語でなければ意味がない。
「はし」という漢字は現在”橋”と書くが、古くは”間”と書いていたことが多かった。もともと、ものとものとを結ぶ”あいだ”の意味から、その両端部の”はし”をも意味するようになった。 橋は、水平に渡すものであるが、垂直に渡す”はしら”(柱)も同じ語源である。また、母船から陸に荷物を運ぶ”はしけ”(艀)も同様で、艀は”動く橋”なのである。(雄山閣出版「橋の文化誌」より)
石/いし - 語源由来辞典
水/みず - 語源由来辞典
小さい/ちいさい - 語源由来辞典
「し」は「水」なのか「小」なのか。「さ」は「ち」と同じ「小」らしい。「彼方」は「此方」の違いも想像される。「繋げる」なら「も(藻)」はどうなのか。
やはり〈m-a〉も出てきた。
①物事の起こり。はじめ。②へり。ふち。さき。
橋を考える
一方で〈p-a〉〈p-e〉〈p-u〉〈s-a〉が出て来る。
ここで古式ゆかしい、基数{ i / u }補数{ a / ə }混数{ e / o }
基数{ i / u }の〈 i 〉は対の起(点)に関する添加符号である。
〈p-a ◦ s-ui〉=〈p ◦ s〉-〈a ◦ ui〉
ならば、「し」の対になる「す」は何だろう?
「イキ(生)」の上略とする説。
「ひと(つ)」は「命」で「ここ(のつ)」は「粉々」か。ならば「千(ち)」は「小」か。
「10」が「とうお(を)」から「そ」に略転したように、「つ」からはみ出す「10」のことだろうか。本来は「1(ひ)」から「9(く)」がひとまとまりの「つ」で、「ひとく(一句、一区)」であると思うが、ここで、(「19」から)「010」思想に変わったのだろうか、それとも、もとよりそうだったのだろうか。
「0」がなかったと言い切るのも、案外、難しいのであった。
「く」は「き」の母音交替形とされている