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3×4×5=60、6×7×8=336、8×9×10=720
はどうも関係がなかった。
2×(奇数)に「閏」機能を持たせているが、『はみ出した』のではなく「爾後はみ出す」ので事前調整として抜いて積算する(👆右図)。
ただ、皇極、仁徳、舒明の歴元がある中で、どれだけ実用的だっただろう。条里制を考えるにも、寸と間の関係はわかりやすいが(1間=60寸)、畳、坪などの面積表示はどうしたのか。
やはり「教養」の域をでなかったのではないだろうか。かけ算を用いていないので、乗数といった発想がなく、したがって、高度な計算に向かない(「面積」すら出てこない。かけ算は計算上の便宜だけでなく、抽象概念として重要なのだ)。聖徳太子の時代にすでに三平方の定理はあったのであった。
数学の発展史から言えばさほど興味もわく話ではないが、思想の発展史なら興味深い点はある。
① 「0」を発見していたか。
② 負数を発見していたか。
③ 位上げを発見していたか。
①に関しては、インド人の「シューニャ」( サンスクリット語: शून्य, śūnya。うつろな)が、世界に伝播する中で、〈s〉(概念)と〈n〉(概念)分かれて、両方とも(「ない」と区別して)「0」としてしているが、日本の場合どうも、両方ともあって、〈し(ろ)〉と〈ぬ(の)〉(〈な(の)〉)になったのではないかと思っていた(要は、「白」「布」「七」である。)。
ところが、ここに至って、〈S〉〈m〉〈n〉が同時にあったと考えた方が自然であるような気がしてきたのは、清少納言の60進法を考えるにあたって、当時の周辺状況を若干知ったからだ。
数にしても10進法を採用していたのであろうが、数え方がなかなか煩雑である。
その中でも「もも(×100)」は「百」という量ではなく、〈×100〉を指す係数である。これは「白」が〈より白い〉である指向性と同じである。つまりロジックなのだ。そして、〈もも〉は〈ここ(の)〉や〈なな〉に類する音が重なった語である。
👇「藻」の可能性を考えていたので、そうであれば少しウキウキする。
👇『とくしま消費者交流ひろば』では大和言葉を紹介している。
大和言葉と和語には違いがあるようだ。これは思想史上意外にキーになるのかもしれない。推古天皇の時代に、仏教、儒教、道教、景教など中国文化が多岐にわたって流入して、それ以前から、それ以前から漢字文化には慣れ親しんでいたはずで、一方史上初めて暦元を行いつつも、中国式の暦を採用したのは持統天皇で(『日本数学史』)、
【飛鳥時代】
33.推古(豊御食炊屋姫天皇、在位593-628、河内、女帝)
34.舒明(息長足日広額天皇、在位629-641、大和)
35.皇極(在位642-645)
36.孝徳(天万豊日天皇、大化、白雉、在位645-654、難波)
37.斉明(天豊財重日足姫天皇、在位655-661、大和、重祚皇極、女帝)
38.天智(天命開別天皇、葛城、在位668-672、山科(山城-近江))
「學校」を始め(『日本数学史』)、数学研究をさせた。
「高田」も関係がある。
日本書紀の編纂を命じたのは天武天皇か?古事記は元明天皇
39.弘文(大友、伊賀、在位672-672、山科)
40.天武(天渟中原瀛真人天皇、浄御原天皇、大海人※、朱鳥、在位673-686、大和)
41.持統(大倭根子天之廣野日女尊、高天原廣野姫天皇、在位690-697、大和、女帝)
持統は父が天智天皇、母が蘇我遠智娘。系図がわかりやすい👇
茅渟王 - Wikipedia
42.文部(倭根子豊祖父天皇、天之眞宗豊祖父天皇、大宝、慶雲、在位697-707)
【奈良時代】
43.元明(日本根子天津御代豊國成姫天皇、慶雲、和銅、在位707-715、大和、女帝)
元明は父が天智天皇、母が蘇我倉山田石川麻呂の娘・姪娘(めいのいらつめ)
※オオアマはマレ人信仰のうち天孫降臨と関係があるか。c.f.中臣(ナカツ)
紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(巻1・21・大海人皇子)
万葉集「紫のにほへる妹を~」解説・品詞分解・現代語訳 - フロンティア古典教室
👇これは便利だ。
基数の〈p〉〈m〉〈j〉〈t〉に〈n〉〈k〉、位数の〈t〉〈m〉〈t〉〈j〉となっている。〈p〉〈k〉〈n〉は特殊な数としても〈t〉〈m〉〈t〉〈j〉がなぜ、この順序なのか。「もも」になぜ〈m〉が選ばれ「もも」なのか。
そうしてあらためて考えると、清少納言の60進法の不思議さが目に付く。
「11」と「12」の区別が曖昧なのだ。
なぜかわからなかったが、「もも」を考えるとわかるかもしれない。
これは〈量(そのもの)〉ではなく係数による循環を表現しているからだ。
「0」という「数」を発見していなかったが、〈s〉という指向性を持っており、基数の「1」に張り付いていたと考えたときに、その対象の位置になる「11」「12」も曖昧になったのではないか。この「1」に張り付いた「0」は「ない」ではない。〈m〉なのでひょっとしたら「無(む)」かもしれないが、これもまた「虚」な何かである。そこに「もも」を置くと計算が可能となるのだ。それは「む(6)」と関係が深い。
そして、それは8888と広がる。
そういう曼陀羅図だと思えば、「なるほど」と思えないことはない。
ただ6月と言えば蛍だ。「ほこ星」嫌いの清少納言が蛍に託したこととは何だったか。
それはもちろん、「光(「明け」のうち、月は夜空に、日は蛍に。火ではない)」だったろうが。
万葉集にも蛍の歌はひとつしかないらしい。
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「中(なか)」は、大野晋ら『古語辞典』によれば、
(P86)藤原-中臣氏の出自と実態/奥田尚/東洋文化学科年報12巻PP77-96,1997年11月01日
追手門学院大学機関リポジトリ詳細画面
〈m〉〈n〉〈s〉の違いと関係について―対概念から評価概念へ
〈ナ〉は「最中」といったaspectの役割も果たし※、或いは開集合的なニュアンスを持つ。
※もとから英語の ing 進行形のニュアンスに近かった。端を設けてその「最中」。
【参考情報の置き場所】